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suryaの夢。
夢の解釈をお願いしていいですか?
今日の昼間に見た夢です。
積み上げられた本のなかでかるた大会が行われていて
高校の全生徒が体育館に集まってその様子を見物しています。
選手は交代で、生徒会に入っているような優等生の男子生徒が
闘っているところへ私は遅れて入っていきました。
私はこういう集団の行為が大嫌いで、口実を見つけて出て行こうと
しますが、単独行動が級友や先生に非難されるのを心の中では恐れています。
そこで担任の先生に「しんどいの〜」と甘えた声を出して
出て行かせてもらいました。先生は「何を甘えた声を出してるんだ」
と言って笑いました。
外で別の先生に出会いましたが、質問を振り切って逃げるように
外へ出たような記憶があります。
学校の門のところで、高校時代の友人が車椅子にのってそこにいるのに
会いました。その子は病気になっていて療養をしていました。
私は「元気だったのに、かわいそうに」と思い、その子を抱きしめました。
これは以前suryaから状況を聞いていたのですぐわかった。
「積み上げられた本の中で」というのは「知識をバック(背景)にして」いること。
何をしているかと言えば「言葉に関わる競技」です。
つまり、「論争」。
カルタ大会は「知識をバックにした言葉による競技」を表しています。
(あくまでもこの場合は)
ところが皆高校生なのでその論争が「高校生並みである」ということ。
または「論争するってこと自体がコドモ」ってこと。
suryaはこういう論争が嫌いなのでカルタ大会に出場するのが嫌。
実際に過去にそういう体験があったそうだ。
担任の先生はsuryaの現実では「管理人さん」。
実際に他の人(男性)と論争になってしまった時に
助け船を出してくれたのが管理人さんだったそうだ。
このように本人には論争する気がなくても状況がそうさせてしまうことが多々ある。
男性の中には論理で勝とうとする人がいるが彼らは知らない。
論争で勝つなど「不毛」であるということを。
それがわかる心境にまで達しなければわからないので説明しませんが。
日月の神も
「理屈悪ざと申してあろがな」と言ってます。
さて論争なんかしたくないsuryaなのでその場から逃げるように出て行きます。
最後に友人が車椅子に乗っているのを見て
「元気だったのに可哀想に」と思うのは
最初楽しい気持ちで意気込んで参加した掲示板だったのに
途中から論争の標的にされて「不自由」になってしまったことを現しています。
その原因はsuryaの「甘え」にあったことも事実ですが。
(担任に甘えていることから)
同級生はsurya自身を表わします。
それを抱きしめたのは
自分で自分の惨めな気持ちをきちんと自覚しその気持ちを癒してあげたこと。
起こってしまったことはしょうがないから
自分が感じたことから目を逸らさずにちゃんと直視して
それを意識して癒してあげることは大事ですね。
suryaはそれを夢できちんとやれました。
夢には癒し機能もあります。
また自分のマイナス面「甘えている」こともハッキリ自覚しないと進歩できません。
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