
「あなただけの絵」でおなじみのインナー・チャイルドについて
参考になる記事を載せています。
| <子供時代の絵>(2007年3月3日) ブログ「瑠璃猫」2007/2/27の記事より。
ふと思い出したけど、私は絵はへたくそな方だ。
褒められたためしがない。 保育所時代は、何で、あの子の絵ばっかり褒められて、 似たような私の絵は誰も褒めてくれないのか?少々ひがんでいた。 (今思うと、かなりひがみっぽい子だった) その私が唯一褒められた絵が、小学校5年生の時の「長靴を履いた猫」 三日月の夜に、でかい長靴があって、そこに猫がいる絵だった。 先生が、どおって事のない絵だけど、この背景の紺色の夜空の色がとっても素敵、 こんな色はなかなか出せないのよ。 と言ってくれた。 それが本当に、唯一、芸事で褒められた記憶だった。(涙) なので、余計よく覚えているんだろうな。 かなり不器用な子だったのだろう。 なんて事はないのだけど、 以前、桃龍さんに鑑定していただいた、私を守護する存在に、 月、猫、ラピス とあったのを思い出した。 その夜空の色は、まさしくラピスの紺色…だった。 あの時から、もしかして、私は、月と、猫と、紺色にご縁があったのだろうか? 猫なんて、その当時も、大嫌いだったんだけど。 ふと思い出した話でした。 ちょっと、続き そういえば、昨日の夢に、白い猫が出てきた。 白くて綺麗なペルシャ猫みたいなの。 ゴロニャンと、寝てる私の上をゴロゴロする。 何だ?と思ってたら、長男が寝返り打って、私のお腹の上で寝ていた。(爆) とっても綺麗な猫だったので、きっといい夢だろうと勝手に思っている。 |
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ミルーンのインナーチャイルド体験(2006年8月10日) http://dagaz.jp/index.htm
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| <クマの絵本>(2006年6月6日) 「BAR ANGEROS」(リンク1)というブログは秀逸。 最近の記事にインナーチャイルドのことが書かれていました。 これを読むと、インナーチャイルドが本人にどのような影響を及ぼしているのかがわかります。 いらっしゃいませ、マスターの濱田です。 これはマスターが体験して、本当に驚いて、 これまででは考えられないような変化を創ったお話です。 マスターは2週間ほど前、懇意にしていただいていて、旧友でもある千草さんのところに、 angerosesのスタッフと3人で、数秘術と個性学のセッションをお願いしに行きました。 ところが、どういうわけかこの日は風邪気味ですごくしんどかったんですね。 で、セッションの間、どんどん体調が崩れていったんです。 そのうちにマスターは、「あ、これって本当に人生が変わる時の前兆だ」 って気がついたんです。 というのも、これまでもマスターが大きく、劇的に人生の流れを変えてきた時って、 すごい大熱をだしたり、肝臓の辺りが悪くもないのに、キリキリ痛んだりしたっていう 体験が何度もあったからなんですね。 で、どんどん調子を崩してしんどくなっていくのを、 セッションを受けながら感じるうちに、「これは本当に大きな変化をするんだ」 って、はっきりと感じるようになっていました。 さて、個性学で出てきたのは、マスターの素質や傾向、 「うん、ホントにその通りだな」って感じる言葉が、そこには並んでいました。 自分にはこういう性質があって、こういうことが大好きで、 こういうことが得意で、こういうことに価値観を持っているとか、 ここは苦手で弱い分野だから、その部分は得意な人に依頼したらいいんだな っていうことが明確に出てきたんですね。 で、マスターもけいちゃんも、ミキちゃんも「ふんふん」って、 感心しながらアドバイスを受けてきました。 で、「うちのビジネスチームは、こういうところが弱いから、 ここが得意な人をみつけて、依頼した方がいいよね〜」なんて言いながら帰宅したんですね。 さて、アドバイスをいただいてから帰ってきたのはいいのですが、 マスターの風邪はどんどん進行していって、熱も39度まで上がってきました。 「明日も予定があるのに、これではまずい!」、 「メンタルなところにも、熱を出してる原因があるかも」って感じて、 (勿論薬も飲んで)自分の無意識の部分に何が隠れているのかを探っていったんですね。 そして、それを統合しようと目論んでいたんです。 ところが、自分の内面を深くみようとすると、 個性学の中でアドバイスをいただいた、 「努力タイプ」って言葉にすごく引っかかったんですね。 そう、マスターはコツコツと努力して、(努力そのものはみえないようにして) その努力を評価されることに、深い喜びと価値に重きを置くタイプだったんです。 ところが、自分の深いところをみようとすると、 どうもこの「努力」という言葉に引っかかるんです。 で、「あ、そうか、きっと努力という言葉が、扉をあけるキーワードなんだ」 って気がついて、努力という言葉から連想される自分の無意識の記憶を 探っていったんですね。 そうしたら出てきたんです。 どうして自分が努力を重んじる生き方をするようになったかの、一番初めの原因が! こうやって、深く深く自分の内面を探求していく時、 本当に人生を変えてしまうほどの核心に触れそうな場合は、 無意識がそれを恐れて、関係のない記憶を持ってきて、それをみせようとします。 つまり、無意識の自分が巧妙な手を使って、 人生が変わらないように仕掛けてくるわけですが、 本当に人生が変わることをうけいれていて、それを決めていて、 あせらずにしっかりと見極めることを決めていたら、 やがて「自分はこの生き方をするんだ」って、 幼い頃の自分が決めた、決定的な出来事の記憶が浮かび上がってきます。 無意識の自分は、本当に巧妙に違う記憶を持ってきて、 核心に触れさせまいとしてきますし、核心が見え始めた時も、 それが核心だと気づかないように、そこに感情が湧いてこないように、 感情自体にもフタをしています。 ですが、あせらずにじっくりと見極めていくと、 幼い頃の自分が生き方を決めた、その瞬間がみえはじめます。 マスターに見えてきたのは、まだ幼稚園にも行っていなかった頃の 幼い自分の、ある日の出来事でした。 その日マスターは、お母さんにクマの絵本を買ってもらいました。 クマの親子と兄弟の絵が描かれた、かわいらしい絵本です。 幼いわたしは、それを大事そうに抱えています。 ところが、幼いわたしは、やってきたバスに乗るときに、 うっかりして、その大切な絵本をバス停のベンチの上に忘れてしまったんです。 「あ!クマの絵本!」 目の前で閉まろうとするバスの扉の向こうに、ベンチに置き去られた絵本がみえています。 茶色い紙袋に入れられたクマの絵本です。 わたしは、思わず取りに走ろうとしたのですが、 「バスが出ちゃうから、もういいよ」って母に手を引っぱられ、 バスの中にとどめられました。 そして、バスの扉は閉まり、クマの絵本はベンチの上に置き去りにされたまま、 バスは走り始めていました。 このシーンは、これまでもたまに、なんの脈絡もないかのように 蘇っていた映像でした。 蘇るたびに、なにか胸にチクって痛みを感じていたのですが、 そこにどんなものがあったのかは、今までは深く「感じてみる」ことはありませんでした。 ですが、今回は本当に自分の内面に向き合おうと決めていたからか、 その時の痛みや、悲しかった思いが、ぶわっとふきだしてきて、 胸がきゅ〜って痛みはじめました。 「あの絵本の中のかわいいクマたちは、自分がしっかりしていなかったばっかりに ゴミと間違えられて捨てられてしまったかもしれない」 「お母さんが、自分のために買ってくれた絵本が、 自分がしっかりしていなかったばかりにゴミと間違えられ捨てられてしまったかもしれない」 あのかわいいクマたちに、すごくかわいそうなことをした、 すごくひどいことをした、お母さんが自分のために買ってくれたものを 自分がしっかりしていなかったから、なくしてしまった。 そこには、絵本の中のクマたちへの申し訳なさと、母への申し訳なさに、 すごく自分のことを責めている、幼い自分がいました。 そしてマスターは、その場面を思い出すのではなく、 幼い自分のその時の感情が、胸の痛みや、悲しみ、 もうあの絵本に会えないという寂しさが、破裂した水道管のように溢れてきて、 その洪水にような痛みや悲しみを、心のそこから感じました。 そして、マスターはその時気づきました。 「そうか、あの時、自分がしっかりしなくちゃ」、 「もうあのクマたちや、母をきずつけないように、しっかりしなくちゃ」、 「がんばって、もうへまはしない」って決めたんだぁって。 そのことが見えたとき、幼い、まだ幼稚園にも行っていない小さな子が、 絵本のクマ達や、母を守るために、痛みや悲しみをこらえて 一生懸命に決めたことが見えたとき、「がんばったね、もういいよ」って その幼いわたしを許して、開放してあげることができました。 そして、何十年もその小さな子供が一生懸命に生きてきたことに、 思わず涙がこぼれ始めていたんですね。 それは、自分のために泣いてあげる、癒しの涙というか、 浄化の涙というか、ミキちゃんがブログに書いてくれていた、 暖かい涙だったように思います。 そして、思いもよらなかった奇跡が起こりました。 自分が努力という生き方を決めた、源泉を統合した結果、 もう努力に価値の重きをおくマスターはいなくなっていたんです。 もはや努力を評価されることに、魅力を感じなくなっていたんです。 努力を評価されることでしか自分を認められない自分はいなくなっていたんです。 これまでマスターの個性だと思っていたものが、統合され消え去り、 これまでとまったく違う、新しい人生を生きている自分がいたんです。 これまで個性学などで出てくる自分の個性は、 良いところを伸ばして、弱いところは人に依頼することで、 人生が効果的で、喜びのあるものになる、指針になるもの、 ガイドになるものだと思っていました。 ですが、それらの個性も、実は統合することで制限や枠ではなくなってしまうみたいなんです。 後日、千草さんにそのことを話したところ、 セッションだけでそのことがみえた人には、はじめて会ったといっておられました。 つまり、自分が個性と感じていたものも、実は制限の枠だったみたいなんです。 わたしたちには、本当に制限のない、自由で無限な可能性が開けているようです。 わたしたちの人生って、本当に本当に素晴らしいものなんだって、 こころから感じた出来事でした。 本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。 またのお越しを、こころからお待ちしております。 いってらっしゃいませ。 Last updated June 2, 2006 04:24:19 |