人間のいろいろ 9



<やさしさに包まれたなら>(2008年7月6日)


アニメ「魔女の宅急便」にも使われたユーミンの曲です。
ここをご覧の全ての方に贈ります。



<目指せば良いのだ>(2008年7月5日)


目指せば良いのだと思う。
私が分からずや、特に分からずやの善人に厳しいので、
「if は分からずやが嫌いなんだ。」
「if は分からず屋をバカにしている。」と、思った方、それは勘違いです。

私の周囲には過去から現在まで分からずやが居なかったことはありません。
そしてその分からず屋は家族だったり友人だったりします。
その友人が嫌いかというと、トンデモない、むしろ好きです。
分からず屋でタチの悪い人は私の友人には居ませんが、
分からず屋でタチの良い人が友人には沢山いますよ。

「でも if さんは分からずやを批判しているじゃないか。」
そりゃしますよ。
その分からずやが、自分が分からずやであることを自覚せず、その位置に留まっているので批判します
無意識に(これで良い)と、思っていることに対して、容赦無く批判し鉄槌を振り下します。
これで良いと思ったらいけないからです。



「人間のいろいろ」の過去記事で分からず屋の善人の方が書いた、ブログを取りあげ
容赦なく批判したことがあります。
「人間のいろいろ7」→<一見「善いこと」をする人>(2008年2月3日)の記事。



たまにサイト(ブログ)で、こういうコトを書いてる人を発見します。
「売上の一部または全部を、〜〜に寄付します」と。

こういうコトを書くってことの奇妙さを管理人は知らないのだろう。

イエス・キリスト曰く
「右手がしたことを左手に知らせるな」(だっけ?)
つまり、自分がいかに善いことをしても、それを皆に知らせては
何にもならないのである・・・ってことです。
自分にも知らせるなってことです。

誰がそうだったのか覚えてないが、そういう日記を読むと
感心するどころか、その低級さに私は暗澹となっています。

何故私が暗澹となるのか、そういうサイトの管理人には想像を絶するでしょう。
下から上は分からないからです。
面倒臭いが説明しましょう。



もし、その管理人が寄付やボランティアをしたいなら、黙ってすればいいのです。
何も公にする必要はありません。
黙って誰にも知られず黙々と好きなこと(善いこと)をすれば良い。
それを
「陰徳を積む」と言います。
人に知られず隠れて善行をすることです。
自分の心が満足すれば良いのです。

イエス・キリストが言ったのは
「自分がした良いことを自分にも知らせてはいけない」ということでしょう。
「善いことをした」ってことなど、したら即忘れるが良い。
良いことをして自慢したり、得意になったりするなら「やらない方が良い」


私が応援するのは「お金を得る必要がある人」です。
遊び半分、ボランティア半分、売上は寄付の方を応援する気は全くありません。
そういう方を応援する人を好む人も世の中には沢山いるので、
そちらと縁を繋ぐのがよろしい。

で、私は上記の方が自分で稼いだお金をどのように使おうと
勿論文句は言いません、勝手にやればよろしい。
なので、その方たちが売上を全額寄付しようと家屋敷を売り払って貧民に施そうと
それは私の関知するところではありません。




ここに説明したことが分からない方がいるかもしれない。
私はこれからそういう方を探しだし、申し訳ないがリンクを解除します。
何故そんなヒドイことをするのかって?
理由は上に書いてありますよ。
理解出来なければ理解できるまで読んでください。

それでも分からない?



それは・・・そういう考えがあまりにも
低級で愚劣で汚らわしいからです。




ま、言い過ぎですw
しかし、この管理人さんのような人が多いと思って書きました。
この方には犠牲になっていただきました。

この管理人さんはかなりの善人です。
それは良い。
問題は「自分はそれで良いと無意識に思っている点」なのです。
普通、こういう人には他人は何も言いません。
だって、悪いことをしているワケじゃないし、自分には何ら被害が及ばない。
別にどうだっていい、と思う。

しかし、この管理人さんのように無意識・無自覚で、自分がやることは良いと思っているのはまずいんです。
何も考えずそこに安住してしまう。
その位置にいる。
そのままず=っと居る。
進歩しない。
そこが問題。



「では if さんは分からずやはダメだと言いたいの?」
いいえ違いますよ。

上にも書いた通り、
分からず屋なだけではダメではありません
分からず屋が(私も含めていますよ)分からず屋であることを自覚せず、その場に留まることがダメと言ってます。
分からず屋でもいいんです。
悪いのは変化しないことなのです。

分からず屋がダメ、ということになれば、世の中の99.9%の人がダメ、ということになる。
マットウなのは1000人に一人と神(日月神)が言ってます
(ぎょへ〜私もダメじゃん!)
マットウな生き方を目指しているのなら、今の状態が分からずやでもOKです。
私だってそうだし。
私も勿論分からずやです。

つまり、目標を定める必要がある、ということです。
双眼鏡で敵を発見する。
そこへ徒歩で行く、そんな感じです。
二次元の図で表せば、平面上の一点を定める。
そこを目指して進む、というほどの意味です。
目標は日月神示でもいいし、沖縄の聖人でも良いが、なるべく高波動のものがいい。
高波動のモノに近づくには、自分が高波動にならないと近づけない。
ただ歩きゃあ良いってものではない。
自分の波動を上げないと歩いても歩いても近づけない。


これは努力が要りますが楽しい努力です。
楽しんで進めば良いと思う。


私が問題にしているのは、到達度ではなく、目標を定めないことなのです。
目標が定まっていれば到達度など問題では無い。
「オマエずいぶん遅いなw」などと他人をバカにする人がいたら、その人は目標の設定が間違っているのです。
慢心と取り違えをしているだけです。
ここらへんが理解出来ないなら、その人は分からずやです。
この文章も理解できればいいが、理解出来ないならもっと判断力を上げないとならない。


目標に近づくにはいくら知識を仕入れてもダメで、理解力、思考力、判断力を上げないと。
そして意識レベルを上げないとならない。

下の記事の方達ですが、そういう方達は目標を定めてそこに進む、という地道な作業をせず
自分は波動を上げず、その場(意識レベルの場、という意味)で、異次元のモノと繋がり
喜んだり得意になったりしている人達です。
二次元の図でいえば、平面上を目標まで進むことをせず、その位置のまま「上」の世界につながろうとする、
二次元での進歩を止めた人。
それぞれがその場で自分の波動と同等の「上」のモノと繋がり、会話するw
楽しい。
何より特殊な能力だと思っているのでプライドを満足させられるし、他人が自分を称賛するのが嬉しい。

今は、図式化して説明していますが、二次元の平面上でみれば、そういう人たちはその場に留まって動かない。
自分で「自分は留まっているのだ」と気づかない限り、その場に居続けるでしょう。
それに対して「それではいけない」などと忠告しようものなら、凄まじい勢いで怒ります。
低級霊(その人に相応しい霊)が憑いてますからね。
私は一応そういう人には「それではいけない」と言いますが、いつも凄まじい勢いで感情的になられて
お終いです。
その様子を見ても別に予想通りなので、最近はガッカリもしなくなりましたが、以前は私も怒ってました。
私も進歩しているようです。


さて。
二次元の平面で説明したのですがこれはあくまでも図式化した結果です。
頭に思い描き易いようにしただけです。
実際にそうだというわけではありませんよ。

今度は三次元に図式化してみましょう。
目標となるもの、日月神示や沖縄の聖人を、円錐の頂点に置きます。
日月神示のクニトコタチノミコトは沖縄の聖人の部下や弟子のような関係らしいので、
目標を沖縄の聖人にしますね。
円錐ももっと具体的なモノにしましょう、富士山にします。

富士山の頂上に沖縄の聖人が居るとします。
人類が達することのできる高波動の頂点という意味です。
私達凡人が聖人の波動を目標とするなら富士山を登らなくてはならない。
これは苦労を伴いますね。
現実の富士登山なら、私は疲れるからしたくないです、運動嫌いだし。
でも、これは精神の登山なので、家に居ながら日常的なことをしながら出来ますからね。

山を登る人、登らない人、というのがいます。
山を登る人は目標を定めて自分の波動を上げようと決めた人です。
登らない人は無意識、無自覚に生きている人です。

私が罵ったブログの管理人さんは自覚は無いだろうが、下のケースの人でした。
今は何かを悟ったようで、良かった。
富士登山は常に頂上が見えているわけではない。
麓には樹海などという場所もあり、そこでは自分の感覚だけが頼りです。
「登っているか」「降りているか」という身体の感覚が頼り。
地図もあるが、それを読め無ければ無意味。(自分がどこにいるのか分からないなら無意味)とかね。
話が果てしなく膨らみそうなので、ここらへんで止めておきますが。



要するに何が言いたいかというと。
◇目標を定めよ。
◇到達度は(今のところ)問題では無い。

ということです。

<そんなに特殊な能力が欲しいか>(2008年7月4日)


チャネラーに憧れ、チャネリング出来るようになりたい人がいますね。
いますね、というより多いと思う。
何故そんなに、そのような能力が欲しいのでしょうね。


「本もののスピリチュアル・ヒーラーになるための修行とは」
これを参考にしてください。
これを読んだら、ヒーラーになりたくなくなる人が99%ではないかな。


「ヒーラーなんかになりたかぁないんだよ!チャネラーになりたいんだ!」
という方。

チャネリング能力などというものは、生まれつきの才能です。
チャネラーの友人がいますが、その方は努力してなったのではありません。
本人はそういう能力を持っていても何にもならない、
要らないのに、チャネラーなのです。

「だけどチャネリング出来たら面白そうだし。」

チャネリングで通じる世界は殆どが低層四次元だということです。
つまり、殆どの人、霊能者は低層四次元の存在とチャネリングしているんですよ。
これはまずいです。

何もしなければ低層四次元と通じることは無かったのに、
なまじチャネリング能力があるために、低層四次元と通じてしまう。
その人の魂の質、レベルと同等のものとしか通じることが出来ないので
当然ですね、これが宇宙の法則です。

「私はちゃんとやっているから大丈夫♪」

それが危ない。
本人のレベルと同等なので、自分ではそれを「おかしい」と思うわけがない。


実例はありますよ。

以前私に絵を描いてくれと依頼した人がいました。
で、「戦争中に死んでしまった子供の絵」を描いてくれ、と言うので描きました。
描いていたら紙に水をこぼしてしまった。
それをティッシュで拭いたらそこが白くなったので、これは面白いなと思って
背景全体をティッシュで拭きとってみました。

ところが、絵を送ろうとしたら受け取りません。
「その絵はifさんから出てきたものです。
それはifさんの絵です。」と言って受け取らない。
調べたら、住所も名前もデタラメでした。
どうもこの人に憑いている低級霊がさせたことのようです。
水をこぼして拭き取ったので背景がまだらになっていましたが、
それを良く見ると・・・無数の不成仏霊の集合でした。
(怪談)
この絵をネットで流しおおっぴらにして、自分たちに対しての同情の念を
集める気だったようです。
同情の念のエネルギーを吸収するのだろうか?
戦争で亡くなったという、可哀想な少女の絵なので閲覧者が同情しますね、
その念が欲しかったようです。
この絵は燃やしました。
(オマエに相応しい場所へ逝け!)と、念じつつw
面白かったです。
この人とのやり取りは証拠として保存してあります。
この人はレイキ・ヒーラです。
日常的に天使や女神と会話しているそうです。



もうひとつ。
その人は過去に受けたセッションを切っ掛けとして霊能が開花したようです。
良い人なのでネットで付き合っていましたが、どうも変。
簡単なことがまるでわからないのです。
で、本人は常に自分の身体の不調を訴えている。
それをブログに書く。
すると「善人」が激励のコメントを書き込む。
自分に注目を集めるために画策する。
これも他人から同情の念を集めていたのだと思う。
無意識にね。
そういうことは辞めるよう、忠告しました。
何より本人のためにならないからですが、その言葉を全く理解しません。
そのうち偽名でPANDORAで荒らしをするようになりました。
この人は或る人からのアドバイスで「ifさんがあなたにいろいろ言うのは
あなたに嫉妬しているからです。」という、さらにヒドイ「霊能者」のアドバイスを
聴いたようです。
はああああああ。
申し訳ないが、私は相手が米倉涼子でも嫉妬しません。
嫉妬心はクリアしています。
申し訳ないが私が「×いちで旦那も子供もいない、容貌に恵まれず体重に恵まれた人」
にどうやったら嫉妬できるのか、誰か教えて欲しいです。
この方のようではない、30代で美貌で独身でも旦那と子供が居ても
嫉妬するどころか、応援しているんですよ。
はあああああ・・・
頼む、低級霊よ、どこかよそでやっておくれ、と言いたいです。
この人も低級霊にとり憑かれている人です。
この人に描いた絵にも上の人と同様、低級霊が沢山浮かんでいました。
描いた当時は意味が分からなかったけど、後で分かりました。



また、言葉は丁寧、天使やアセンデッド・マスターと会話していると日記に書いている人
がいます。
この人も残念ながら低級霊に憑かれていました。
何故分かるのだ?
というと、会話すれば分かりますよ。
常識で分かるのです。
この人は異常なまでにプライドが高かった。
勿論間違ったプライドです。
この人も「おいで直し」(日月神示)になるでしょう。
(※おいで直しとは、多分鉱物からやり直すというほどの意味)



また、自分には霊能力がある、と思っている人がいました。
この人はチャネリングで仕事をしている人が妬ましくてしょうがない。
ケチばかりつけていましたが、私は「そういう人なんだろうな」と、放置していました。
ところが、この人は途中から私に対しても変なことを言いだした。
物事を素直に見ず、曲解する、そういうタチの悪さを発揮したのです。
この人には判断力、思考力が殆どないので、説得がきかない。
この人については低級霊が憑いたと思ったので、プロに訊きました。
するとやはり憑いていたようです。
憑いてないのは仕事(翻訳)をしている時だけだそうです。



この人に気をつけた方がいいですよ、と或る人に忠告したら、
「ひとの悪口は言うものではありません。」と返事が来ました。
はあああ・・・・そういう問題では無いのに、と私は腹が立ちましたね。
相手の言うことを聴かず自分の想いだけ(杓子定規)を言ってきたので、
怒ったのですが、この人は何故私が怒るのか理解できなかったようです。
この人もある恩人の悪口を数年間言い続けていたのだ、ということを後で知りました。
(自分は悪ぐちは言うが、他人が忠告のために「気をつけなさい」という言葉には
「ひとの悪口を言うものでは無い」という、ここらへんがワケ分かりません)
私は(ああ、この人は上の人と同波長なのだな)と、理解しました。
他人の言葉を理解するには、その言葉が理解できるほどの波動量(知恵)を
獲得しなくてはならないからです。
(この人は特殊な能力を欲しがる人ではありません)


さて。

このようにチャネリングできるなどと言ってその能力を自慢するレベルにある人は
その程度(低層四次元・低級霊・不成仏霊と同波長)だということです。
私は普通の人がこのような能力を持つことをお勧めしません。
ピラミッド予言でいえば「副葬品室」行きの人生になるだろうからです。




上の事例の方の中には天使や女神と会話している人がいます。
それはあり得ると思うのです。
低層四次元の存在が自分から
「えっと、私は低層四次元から来ました、不成仏霊です。」なんて
言うわけがありません。
天使や女神、アセンデッド・マスターを騙るんですよ。
「天使です。」
「女神です。」
「アセンデッド・マスターです。」
「クワン・インです。」
と。
だから、天使だの女神だのと言ってるからと言ってそのまんま信じるのは
どうかと思いますよ。

チャネリングなどというものに惑わされず、自分の判断力を使い、冷静に
見抜きましょう。
そのためにPANDORAがあります。



上の方達の中には自分の正体(自分が通じている次元、相手)を
私に見抜かれそうになり、手のひらを返した人もいます。
いまだに何が問題なのか分かってない本質が善人の人もいます。
いろいろいます。

<ランタンとつる>(2008年7月3日)


私があまり好きではない店の一つにスターバックスがあります。
理由は「不必要なまでに高い」から。
本家の方は1万2千人の人員削減だそうですね。
日本は大丈夫かな。

ところで、スターバックスに珍しく良いモノが売ってました。
「ランタンとつる」という、アメリカの出版社から出ている、
英語と日本語併記の絵本です(1900円)。
アマゾンでは売ってません。

核廃絶!戦争反対!と、拳を振り上げるのではなく、
淡々と自分に出来ることをする。
日本人の集団がそれをアメリカ人に見せ、
それに感動したアメリカ人が絵本にしました。

人種や国籍が違っていても、波長が合えば理解し合えるのだ、
と思いました。

<シンクロの罠>(2008年7月2日)


シンクロがあるということが、その道を進むことに対して「OK」「YES」のサインであると、
私は過去、書きました。
それは一応合っている。
でも、もっと深く考えてみましょう。


ある人の魂が或る次元にあるとする。
その人が進んで行くと、シンクロが起こる。
それはその人の魂が属する次元でのシンクロなんだそうです。
その人の魂が住んでいる次元内でのOK、YESなのだそうです。

どういうことかと言うと、シンクロはどんな次元においても起こっている、ということです。

高次元(5次元以上)でも。
低次元(4次元=幽界)でも。
どんな次元でも起こり得る。

なので、シンクロが起きているから、自分はこれで良いのだ、正しい道なのだ、と
思うのは早い。というか、まずい。


実は或る人を観察していて、おかしいと思ったのです。
その人は明らかに変なモノと会話している。
言ってることがおかしい。
話に整合性が無い。
物事が分からない。
気が利かない。

でも、その人は「自分にシンクロが起きているのだから、天使が導いてくれている。」と
思っていました。
私は(あり得ない)と、思っていました。

それから一年以上経ち、「シンクロは高次元と限定しなくても、どのような次元内においても
起こる」という一文を読み、納得したのです。
(※その人には何度も説得しましたが、私の言葉を理解しないようでした)

私達の進む道にシンクロが起こる。
その道を進めと言っているかのようです。
でも、やはりその時、最低限の思考力、判断力が無いと道を誤ります。
シンクロに踊らされず、自分をしっかり保ちましょう。

喜んで幽界と繋がりたくないですからね。

<他人のことはよく見える>(2008年7月2日)


この場合の「よく」とは「善い」という意味ではありません。
簡単に見える、見え易い、という意味です。

今まで物事が殆ど分からず生きて来た人が、相似象を初めとして
分かり方を分かるようになると、少しづつ物事が分かってくる。
すると、周囲の分からずやのことが見えてきます。
或る人などは
「今まで何も見えて無かったってことが分かった。」と言いましたが
本当に魔法をかけたように見えてきます。

すると他人に対して批判が始まる。
まぁ、見えちゃうのでね、正直な方ならそうなりますね。
他人のことはよく見えるのです。

で、散々他人のことが見えた後、やっと自分のことが少しは見えるようになります。
◇他人のことは何の苦労もなく、すぐ見える
◇自分のことはなかなか見えないし、見る時は通常凄まじい苦痛を伴う

これがタチの良い善人の中でも素質に恵まれた方です。
その他の人はどうやっても「自分のことが見えません」。


このコトについて記事を書こうと思っていたら、「GAIA」(リンク1)のまはるださんが
記事にしていました。
そこへリンクを貼りますからご覧ください。
「つぶやき」 http://www.geocities.jp/gaia_image_art/tsubuyakiflame.html の
sunny side→<「わかる」の向こう>(2008年6月28日)



物事が分からない人を分からず屋と言いますが、
物事が多少分かっても、他人のことしか見えず、自分のことは見えない人は
分からず屋です。
そのレベルの人は何も分からない人と同じなのです。

◇物事が殆ど分からない人
◇物事は、他人のことなら分かるが自分のことが分からない人
◇物事が分かり、自分のことも分かる

上のケースで言うと、一番上と二番目が「同じ」で、一番下が質が違うのです。
%で言えば
◇80%(日月神示ではこのレベルの人を獣と言います)
◇19%


◇1%(日月神示ではこのレベルの人が神の御用出来ると言います)

くらいだと思います。
だから他人のことがよく見えてきたくらいでは、分かる人とは言わない。
(少なくとも私は)
多くの人はここで勘違いをしていると思うので、書いておきますね。

だから、相似象では1%(素質的には7%)の人のことを「少数者」と言います。
ちなみに私は1%の人の周囲をうろうろしている人です。
少数者ではなく、素質も無いが、行動は出来るタイプ。
(アワ量の多い低次のサヌキ人間)
素質は無いが「分かりたい」「向上したい」という思いがある人。


でも少数者でなくても努力すれば近い場所(レベル的に)には行ける。
だから諦めてはいけないのだ、と思います。

たとえば沖縄の聖人のS師のようにはなれないなぁ、、、と思う。
でも、一歩でも近づきたいと思うことが大事なのでは?

<人間らしく生きるための十法>(2008年6月29日)

S氏の「人間らしく生きるための十法」の、
「目に見える部分の五法(陽)」の中の三項目に記されてます。


三、
子育てをしましょう
人を育てることは、あらゆるものを育てるということを学びましょう。
人間は子育てしながら、子供に育てられるものです。
特に忍耐力(平和につながる力)を養うことができます。
子供を持たなければ、人生の三分の一を知らずに終わってしまいます
親になって初めて親の心を知ることが出来ます。

二、
結婚しましょう
社会における最小単位、他者との関わりのもっとも基本型。
夫婦で協力できない心は社会においてもゆがみをもたらすでしょう。
陰陽和合の道を知り、男女の愛のコミュニケーションを学びましょう。
結婚しないと、人生の半分はわからないのです
(自分が親でいらっしゃる方は、成人した子供たちに、
結婚とはどのようなものであるかを伝えることも大切です)

<気を使う人/たとえば二人の課長>


人間を見ていると、(あ〜〜〜あ)と思うことが多々あります。
たとえば、会社を想定します。
仕事は山のようにあるが、もうキリが無いので仕事は止めたい。
でも、職場で一番上の上司が仕事を止めない。
なので、社員も止めづらい。


課長Aが言います。
「後はオレがやるからみんな、帰っていいよ。」と。
しかし、そう言われて
「そうすかぁ?んじゃ!」と、言って帰るのは帰りづらい。
しかしこの課長は何度も何度も
「オレがやっとくから、君たちは帰れ。」と、部下に強要する。
社員達はこの働き者の上司に気がねしつつ、遠慮しつつ帰宅します。
この上司は(このオレさえ、犠牲になればいいんだ。
可愛い部下のために)と、思っているフシがある。
いや、そういう人だから自分一人で仕事を背負い込み犠牲になり
満足しているのでしょう。

さて、もう一人の課長Bはこう言います。
「あ〜〜あ、嫌んなっちゃったなぁ!
もうキリが無いからオレ、帰るわ。
みんな仕事は止めて続きは明日にしよう、今日はご苦労さん!
ほら、帰った帰った。」
と言ってサッサと帰り仕度を始めます。
部下達は誰にも気兼ねせず、課長の怠け心に感謝しつつ帰宅します。

とかね。

私はこういう会社勤めの経験が無いので、想像ですがね。
こういう場合、というのを想定してみました。


で、私が何を言いたいかというと・・・

自分は良いことをしたい。
皆のためを思っている。
なので、責任や苦労を一人で背負いこんでいる。
皆のためだ、と思っている人は何も見えていない、自己中である、ということです。

こういう善人が多いです。
善人でもいいんですよ。
でも、このレベルではいけない、ということを何度も私は書くわけですよ。
PANDORAは善人のために書かれていますからね。
悪人(タチの悪い人など)のためには書かれていません。


善人のレベルが低いと自分の気持ちだけで考え、行動する。
なので、その結果周囲に気を遣わせていることに気づかない。
大変、低次です。
自己満足です。
課長Aのようなレベルの人は多い。
そのレベルの人が多いからです。
(たしかに、自分のことしか考えない、
 もっと下のレベルの人達がいることもたしか。
 で、善人にはそういう、自分より下のレベルのことは見えるので、
 あれに比べたらオレの方が、私の方がずっと良いと思っている)

こういう善人にとっては「部下を差し置いて自分だけでサッサと帰宅すること」
は、とてもヒドイことに思えている。

実際、このような課長は少ないと思います。
こういう人は本当なら課長にはなれないからね。
(でも、間違ってなっちゃっているケースあるかも)
(いや、普通にあるかも)


主婦の中でも、何を見ても聞いても学習しない人は課長Aのようになってますね。
子供を登校拒否にするような分からず屋の主婦に、コレが見られます。
本人には自覚無し。
意識の上では「とても良いことをしている」と思っている。
まさか、それが「物事を知らず分からない結果であり、トンデモない勘違いである」
と、分からない。
だから自分で自己犠牲をして、満足するわけです。
周囲の人の思惑など考えません。
何故ならこういう人は無意識に
「自分がやる良いことは周囲の人も良いと思っている」と、思っている
のです。
無意識にね。
だから、言語化していませんよ。
そこまで精神が達していないのです。

子供が登校を拒否ったら学校や友人のせいにしてはいけない。
何故なら学校が原因なら、そのクラスの子供は全員登校出来ないからです。
なのに、クラスのほとんどの子供は登校出来ている。
ということは原因は学校にはなく、拒否ってる本人にある。
というとても簡単なコトすら理解出来ないレベルの人がいて、
勿論その人の子供は登校を拒否ってます。
「先生が悪い」
「◎◎ちゃんが悪い」
と、勝手に原因を特定する。

真の原因はそういう分からずやの母親にある。
(※父親はどうなんだ?と思った方。
   父親はほとんど全員、問題なんですよ。
   つまり、子育てには向いてない。
   だって、役目が違いますからね。
   父親は居てくれればいい、みたいな感じ。
   何もしなくていいんです、居てくれれば。
   母が安心して子育てが出来るよう、父親は居てくれるといいです)


普通の主婦は課長Bのようなレベルになっています。
子育てしていたらこのレベルにならざるを得ないのです。
だから、通常子供は登校を拒否らないし、普通に育っています。
(※この場合の普通とは「普通に言う普通」です。
  特殊な考え方による「普通」ではありません。
  日常的な会話に出て来る「普通」です)


課長Bの場合。
こういうケースの方が多いと思うけど、どうでしょうね?
「オレが帰り支度を先にしたら、部下に申し訳ない」なんて思う奴、
つまり課長Aの方が課長だったらその会社が危ないですね。
その会社の人事部に人を見る目の無い奴が居座っていることになるので、
これはまずいです。

課長Bは部下が帰り易いように、率先して帰り仕度をしてあげる。
自分は、「怠け者の課長」と部下の中の分からず屋からバカにされても構わない。
だって、そういうバカにいくら説明しても、理解出来ないので、
そういう部下は仕事で鍛えて少しはモノの分かる人間にすれば良い、
と思っているか居ないか分からないが、とにかくこの場はオレが帰らないと
部下は帰れないのだ、と分かっている。
だから実行します。
可愛い部下のためにね。

これはあくまでもモデルとして想定したものです。


「(神とともに)真心」
という本にS師の言葉としてありました。


「ひとに気を使うより、ひとに気を使わせないことを考えた方が良い。」
みたいな言葉がありました。(ウロ覚え)
本当にその通りです。

S師が言う言葉は当たり前のことばかり。
それを最小限の言葉数で言えることが凄いです。
タダものでは無い。
だって神だし。
何でも宇宙の根源の神から遣わされた光の元の神が人間の身体に入った。
S師には霊感は無いので、このことはそばにいた霊能者が教えられたもの。
S師の意識としては「タダの人間」だそうです。



さて、このように人には見えているモノが違います。
下の次元(課長A)からは上の次元(課長B)の「心が見えない」のです。
で、この課長が隣同志の部署だとする。

課長Aの部下は課長Aとともにいつまでも残業する。
課長Bの部下は課長Bとともにサッサと帰宅する。

課長Aは思います。
(あ〜〜〜あ、Bさんもしょうがないなぁ。
 あれじゃあ出世出来ないぞ。
 あんなに仕事嫌いじゃダメだな。
 仕方無い、このオレが会社のために彼の分まで働いてやるさ。)

こういうひとには何をどう説明しても無駄かな、と思います。

この人がいずれ窓際族になった時、聴く耳を持てばよいな、と思います。

<次元とは何か>
(2008年6月29日)


下の次元から上の次元は見えない、
という物理を説明した本を紹介します。

図が多く分かり易い。
素人にも楽しめる。
お勧めします。

<事例>(2008年6月29日)


上の上の記事<気を使う人/たとえば二人の課長>に関連して。
このような状態に陥っていた実例があるのです。
その人は

「みんなお喋りばかりしてちっとも真面目に仕事をしない。
働いているのはオレだけだ。
毎日残業して土日も一人で出勤して頑張っているのだ。
あの上司は大昔、オレの部下だった。
調子がいいだけの野郎だ。
何であんな野郎が出世したんだ?
仕事振りだって、いい加減じゃないか。
このオレの方がよっぽど働いている。
なのに何でこのオレが今、奴の部下なんだ?
みんなお喋りばかりしていて、ちっとも一生懸命やってない。
この職場は怠け者ばかりだ。
それは奴(上司)が怠け者だから、みんな真似してたるんでるんだ。
働いているのはオレだけだ。
なんで皆、このオレを見習わないのだ?
この職場で仕事をしているのはオレだけなんだよ。
みんな分かれよ!」


とうとうこの人は肝臓ガンになりました。

こういう人にはどんな説得も無駄ですかね・・・
言ってみればこの人は長生きしない方が幸せでした。
何故なら生きていてもちっとも楽しくないからです。
気の毒ですが、寿命が延びれば延びるほどつらく、苦しいだけなのです。



この人は上司が何故出世したのか、理由を考えれば良かった。
それなのに考えない。
自分の考えだけに拘っている。
いくら見ても見えないのです。

見える人には、たとえば初めてその職場に来た外部の人でも
一瞬で見えるものです。
(何だこのおっさんは!)
(うへえ・・・)
(こりゃ上司の◎◎さんも大変だなぁ)
とね。

なのに、この人は毎日この職場に通っていながら、何も見えない。
分からないのはこのおっさんだけ。
この人は
自分の考えを変えず、常に自分に分かる範囲で考えている。
今までもこれからも。

でもそれじゃあダメなんですよ。
今、この人に求められているのは、自分の思考の範囲を超えたものを
感受し、理解する能力なんです。
本人に分かっているレベルのことなど、誰も求めていないのです。
本人にそれが分からないので、周囲が困っているんですよ。

この人は周囲の人間が自分を持てあましていることなど感受出来ません。


自分の思考の範囲を超えたものを感受し、理解する能力を獲得すること。


それが出来る人と出来ない人がいます。
今、人類が二極化していると言われていますが、
その二極化とは実はコレだと思っています。
自分の理解を超えたものを感受し、分かって行けるかいけないか、
それだけです。

と、こう書いても分からない人には何のことだかさっぱり分からないだろうが、
分かる人にはそれこそ「当り前」のように分かるんですよ。

だって日々、そういうコト(周囲の分からずや、困ったさん)を
見て、どうしたものか、と悩んでいるからです。

<事例を読んで>(2008年6月30日)


「人間のいろいろ9」の〈気を使う人〉の
<事例>(2008年6月29日)を読みました。
最近同じようなことを考えていたのでシンクロでした。
モヤモヤしていた事をifさんがわかりやすくまとめて下さっていました。
まさに一緒に採用された人のことと同じだったからです。


彼女はあれから逆ギレすることはありませんが
相変わらず他の人と上手にコミュニケーションを取ることはできず
彼女が質問したらしたで、質問の意図がわかりにくく、
わかっていないのに「知っています!」と言い返したり
なかなかうまくいきません。
じゃあなんで質問したの?みたいな感じで、それを繰り返した後、
最後に大事なことを全然わかっていない部分が顕わになり
お決まりのごとく厳しく注意されたのでした。

そういう女ってどこにでもいますね。
私が以前勤めていたところにも居ましたよ。


仕事の面でも、
全体の流れを把握しながら自分は今どこに集中すべきか判らないようで、
キョロキョロ落ち着き無い動きをいつもしています。

何も分かってないんでしょうね。
そういうのを相似象では「ジタバタ運動」と言います。
低次のサヌキ人間がする、行動をそう名づけています。


(本人は良かれと思っているのかもしれませんが・・・。)
入ったばかりの時ならいざ知らず、2ヶ月も過ぎてきて
仕事内容もそこまで複雑でないのになかなか理解が深まりません。

思考力・理解力・判断力が無いんですね。

しかし、やはり彼女は自分自身に非が無いと思っているようでもあります。
『だってできないんだもん。お互い助け合っていくのが大切でしょ。』みたいに
うまくできない自分を周りの人がサポートするのが当然というような
意識もあるようです。

そういう女、いましたよ。
大変でした。


一事が万事こんなふうで、ifさんが書かれてあったように
自分の考えに拘って、なかなか向上していきませんねー。

仕事上・・・例えば、他の人が置いてスタンバイさせているものが
何故そこに置いてあって、その置き方をしていて・・・というのも
彼女からすると意味がわからず、
彼女に任せるといつも違うやり方になっています。
それぞれの動き一つ一つに意味があることがわからないし、
意味を見出そうと努力していないんだと思いました。

その人にはそういう視点が無いんですね。
何を見ても何も感じず分からない。


こんな彼女は現在私と同じ試用期間ですが、もうすぐそれも終わります。
経営側としては、彼女の本採用を切りたいらしいのですが
それを通達したらまた逆ギレして「不当解雇された!!」と
言いふらすのがオチだろうから、なんとか自分から辞めると言って欲しい、
それまでは他の皆さんに我慢して欲しいと頭を抱えているとのことです。

そりゃ困りましたね。

肝臓ガンになった人もそうですが、
彼女も同じようにifさんの仰った
「自分の理解を超えたものを感受し、分かって行けるかいけないか、」が、
難しいのだろうなと思いました。
たぶん彼女が自分の考えや感情に拘っているからなんでしょうね。
アドバイスも全然ピントはずれに受け取るしで・・・。
でも、なんでここまでわからないのかがわかりません。
それが一番不思議ですね。

これからの時代は、判らない人はますます判らなくなって行くんですかね。
判らない人の前には、まるで壁ができているように感じてしまいます。
それも自分で作った壁なんでしょうけど。
でも、わかってくれるといいのにな〜。


分からず屋の周囲の人は大変苦労します。
その人が自分からこの職場を辞めるよう仕向けたいですね。
「あなたほど仕事が出来る人がこんなところにいるなんて勿体ない。
もっと良い仕事があるはずよ〜。」と、吹き込みましょうw

<仕事でインナー・チャイルドを癒した人>(2008年6月29日)


映画「西の魔女が死んだ」に祖母役で出演している、サチ・パーカーさん。
(本名サチコ・パーカー)
名前が日本人のようだな、と思ったら、母親がシャーリー・マクレーンでした。
シャーリーは顔立ちも日本風ですが、若い頃は日本贔屓でした。
(シャーリーは前世日本人なのです。たしか芸者だったと思う)
それで生まれた娘にサチと名付けた。
しかし、映画の仕事で忙しいシャーリーは滅多に娘に会えなかった。
サチさんは父親と、2歳から12歳まで日本で暮らしていたそうです。

で、サチさんの周囲には母親も祖母もいなかったので、寂しかったそうです。
女の子には女の血縁者が必要ですからね。
男にも男の血縁者が必要です。
モデルにしたり、相談相手にしたりするために。


サチさんは、この映画に出演したことで、当時の自分を癒せたそうです。
当時、寂しかった、ということを思い出せたらしい。
そして、こうだったらいいな、という自分の理想を自分で演じることが出来た。
これを語りながらサチさんは泣いていました。
二人子供がいる大人のサチさんですが、心の中の子供には年齢は関係ない。
一生その子供が心の中にいる。
その子供が悲しんだり寂しがったりしていれば、生涯祟りますね。

自分で気づかない場合は、自分の子供に影響します。
(或るカウンセラーによれば、秋葉原の通り魔の母親が、自分が傷ついていて
 自分の母親に認められなかったので、自分の子供を他人から認められる 
 優秀な子供にしようとしたらしい)

子育ての問題は三代目に出ます
周囲を見れば分かります。

サチさんに「登校拒否中学生の母親役」が来たのは、天の恵みと言いましょうか
天の配剤と申しましょうか、不思議な巡り合わせですね。

<火災報知機をつけた>(2008年6月27日)


今日、パソコンでお世話になってる電気屋さんに来てもらって火災報知機をつけてもらいました。
5月から家には火災報知機をつけなくてはならないことになったそうですね。
我が家では台所が火事になったら、他の部屋(寝室2部屋と廊下)でも警報が鳴るタイプにしました。
この4つの機械は連動していて、どの部屋から火が出ても他の部屋で警報が鳴るタイプ。
しかも、アラーム音の次に「カンカンカーン」と、昔の消防車の音がして「火災が発生しました」と声が出る。
あ、台所のは熱感知で他の部屋は煙感知にしました。
なかなか優れもので、満足しています。
付けて良かったと思います。

が、本当はこんなモノ必要無いと思いますよ。
でも、これを付けてないといざ火災になった場合、保険金の額が違って来るのだそうです。
保険屋が
「え?おたく、ついてなかったんですか?んじゃ、全額は払えませんなぁ。
だって、条例違反だもんねぇ。」と言うそうです。(想像です)

役所は決まりを作るのが好きですね。
そんなに決まりを作るのが好きなら、自分達が変なことや妙なことをした場合には
極刑になるという決まりをまず、作るべきですね。
極刑の中身は日本の江戸時代、或いは2000年前のイスラエルの方法でいいです。
あ、中世ヨーロッパ魔女狩りの時代も参考になりますかね。

とは言え。
警報機はつけて良かったですよ。
これで保険金も満額入るでしょう・・・その前に火事になったら嫌でしたね。



電気屋さんは家電製品について、大変詳しい(当り前)。
サイトのブログ「でんきの修理やさんのひとりごと」には家電製品のためになる情報が書かれています。
参考にしてください。

<沖縄の聖人の言葉>(2008年6月26日)


価値

我々は形ある社会の中で
人の価値をややもすると
家柄(血筋)や学歴、職歴、地位、財産やらで量りがちですが
本当の価値は心にあるのです
心にも段階があるのです
代議士のなかにも、学校の先生のなかにも
心の幼い人々がたくさんいます
学歴がなくても、地位が高くなくても、財産がなくても
心の次元の高いひとがいます
わかるひとにはその心が見えるのです
神が一番大切にされるのは
その心の在り方です


「目覚め」という本にあった言葉です。
ピンク色の部分の文章と同じことはPANDORAでも何度も何度も書いて来ました。
これは当たり前のことなのですが、
この言葉をよおおおおおく知っていても、
意味が良く分からない人がいます。

常々このようなことを言っている人が、それとは反対の事象で
得意になったりしていたり、他人の言葉の意味が理解出来なかったり
しているのを見るとガッカリします。
私にはその人の「分からなさ」が見えて(ああ、分からないんだな)と
思います。

言葉は知っている、意味は簡単だ。

でも、その意味するところを分かるには心が無いと難しい。
心が幼いと、他人の言葉や行動の意味が理解できないのです。
頭(の先)の良い人は「なんだ当り前じゃないか。」と、すぐ分かった気になる。
なのに、その人は何も分かってない、ということが普通にあります。

簡単で当り前のことを分かるのは一番難しい。

<境地は説明出来ない>(2008年6月25日)


境地を説明することは不可能です。
何故なら、その境地に無い人、達してない人には、その境地は未知だからです。


たとえば寄付することがどうしても出来ない人がいます。
嫌で嫌でしょうがない、損したような気になる、勿体ない、その金があったら
自分のために使いたい、とする。
そういう人は「喜んで寄付する人の境地」が理解できない。

たとえばすぐ心に差別心が浮かんでしまう人がいる。
人種、性別、年齢、住んでいる地域、所得、学歴などで差別心が浮かんでしまう人。
そういうひとに「差別心が起こらない人の境地」は想像出来ない。
自分が差別するので差別しない人を見ても、それが分からず、
(きっと差別しているのだろう)と、邪推します。
そうでは無いんだよ、と説明しても、それが理解出来ない。
差別しない人の境地が想像出来ないのです、未知だから。

たとえばその程度のコトで怒る人がいる。
その程度では怒らない人もいる。
その程度で怒る人には、その程度で怒らない人の心が分からない。
なので、「きっと怒っているのだろう」と邪推する。
怒らない人は「その程度のこと」に笑っているかもしれないのに、
自分を中心にして、その可能性を考えない、想像の範囲外である。

たとえば疑心暗鬼になる人がいる。
そういう人には疑心暗鬼にならない人のことも、きっと疑心暗鬼になっていると
勝手に想像する、邪推する。
疑心暗鬼になる人には疑心暗鬼にならない人の境地が想像出来ない。



この他にも全ての点で言えます。
その境地に達してない人には想像を絶する場所、それが境地です。
つまり、意識レベルのことです。

<相思相愛になる石鹸?>(2008年6月22日)


「momosmansion」(リンク3)で販売している
ローズクォーツの石鹸は、ローズクォーツのエッセンスが入っていて

・あなたにぴったりの人と相思相愛になる  
・ハートをオープンにする  
・自分と向き合うこと、
 そしてパートナーと向き合うことを応援してくれます。  
・女性的な魅力を高める。  
・恋愛体質になる。  
・自分を愛し、そして愛されることを認めます。

そうです。
見た目も可愛いです。

他にもいろいろあります。
http://lohaslotus.cart.fc2.com/?ca=1

<ガキ大将スクール>(2008年6月24日)
(「日常の異次元U」にも同じ記事があります)


Mさんが主宰するガキ大将スクールに小学生は参加すると良いと思います。
身も心も逞しくなります。
家に居られることがどれだけ有難いことか、身体で思い知ります。
ウチの子は全員ここにブチ込んでやりました。
一回目=長女と次女
二回目=次女と長男
三回目=長男と二男
中の二人が二度参加する羽目に・・・・


ウチの子供たちは参加すると「二度と行きたくない。」と言いますが、
数年経つとまた行きたくなるようです。
今は上野村では開催していないようですね。


Mさんは元自衛隊員。
サバイバルの達人で、とても優しく度胸のある人です。
このような子供向けの合宿スクールは日本中にありますが、
そのリーダーが口を揃えて言うには
「ウチではとてもそんなことは出来ません!やったら死人が出ます!」
だそうです。



なお、ここでは子供には一切口出ししません。
最初に子供達にナイフ(たしか肥後の守という名前)
を一本づつ支給し、これで生き抜くよう言います。
あとは生き抜くための情報伝達。
それだけ。
子供達が不真面目面白半分おふざけでナイフを扱うと
怪我をしますが、怪我をするまで放っておきます。
怪我をしても「ほおら、だから言ったろ。」とは言いません。
リーダー(学生)はニコニコしています。
ナイフの怖さを身体で覚えてもらうためです。
ここでは怪我をしたら「良かったね♪」と言います。

ウチの次女も二度目の参加の時、手の平をざっくり切り、
車で診療所に運ばれたそうで、その日の夜主宰のMさんから嬉しそうに
電話がかかってきました。
「おたくの小子ちゃんが手の平をざっくり切りまして、×針縫いました♪」
「・・・・・・・・(心中複雑)・・・・・・・。」

一夏でオキシドール数十リットル、カットバン数百枚消費するそうです。
重篤な場合は麓の診療所まで車で運んでくれます。


食事は子供が作りますが、アルバイト学生は何も言わず、せず
黙って見ているだけです。
で、食事が作れないとその班は何も食べられません。
空腹のまま寝ることになります。
アルバイト学生はそれでも子供と一緒に我慢します。

(※学生アルバイトはこのスクールの経験者です。
   そうではない人には出来ないということがだんだん分かってきたので
   今は経験者しか採用していません)


風呂も子供が沸かします。
火がつかないと食事も出来ず風呂にも入れない。

「それをするな。」という禁止事項がありません。
何も言わない、見てるだけ。
何をして遊ぶか、というのも子供が決めます。
子供達は初対面なので、覚えやすいようあだ名をつけます。
そして皆であだ名で呼び合います。

30日間コースというのが以前あったようです。
一人で山で30日間生き抜くコースです。
テントも明かりも無い真っ暗な山奥で。
小学生がw
これは今は辞めたようですが・・・

まぁ、Mさんは凄い。
奇跡は
「今まで死者が一人も出ていないこと」です。
普通なら誰か死にます。
私は絶対見えない存在がMさんを初め子供たちを守っているのだと思っています。

人間が本気、真剣になると神が手伝うのだそうです。


子供は日本中から参加しています。
京浜地区が多いかな。
不登校児も多い。
中には自分で小遣いを溜めて参加する不登校児もいるそうです。

上野村の川の水は大変澄んでいて水道水と比べモノにならないくらい美味しい。
で、川の水をそのまま飲むのですが、親の中には
「川の水を飲ませるとは何事だ!」と、クレームつけるのがいるそうです。
そういう親は上野村の川を見たこともなく、
自分達が住んでいる都会のドブのような川を想像して怒るらしい。
そういう親だから子供がおかしくなる。

Mさんは親には大変苦労している。
でも、親の中には意識が高い人も勿論いて
自分の子供が1週間の合宿で真っ黒に汚れて
東京の駅に帰って来たのを見た時は、泣いたそうです。
子供の汚れ方は尋常ではなく、周囲の人が怖そうに遠巻きにしていた。
(何!この浮浪児!)みたいな視線を感じる。
穢いものでも見るかのような嫌な顔。
実際汚いんだけど。
子供の身体は凄まじく汚れているが、目はキラキラしていて
大都会のシティ・ボーイがすっかり野生児になっていたので
こんな目は見たことが無い、
ここまでになるにはどんな体験をしたのだろう、と泣いたそうです。
勿論嬉しくて。

ウチの倅も保育園児の頃参加しましたが、真夏に一度もお風呂に入らなかったらしく
おねしょもしていたのに着替えもしなかったので、凄まじい臭気を発していました。
いや〜凄かったです。

人間と思えませんでした。


Mさんは講演もします。
喋るのは苦手みたいですが、とても良いことを言いますよ。
理論理屈だけの子育て論をする人もいますが、Mさんのはそうではなく
本気で実践している体験者の言葉なので、大変感銘を受けます。

<使命を知るには>(2008年6月23日)


自分の使命を知りたい、という方が大変多いです。
私は好きなことをやれば良い、と思います。
すると、「好きなこと、やりたいことが分からない」と言うのです。
だったら「分からないならそれをしなければ良い。」のです。
ていうか、分からないんだから、やりようが無いですね。

何か間違ってますか?

今、したいことが無いなら、「しなくてはならないこと」をすれば良いのではないでしょうか?
とても単純な話だと思います。

でも、使命を知りたい人は今しなくてはならないこと(主婦業・学業・仕事など)
は適当にしておいて
本当はあるはずだと思っている「自分がやるべきこと」を探しているのです。
でも「自分がやるべきこと」は今、自分がしなくてはならないことなのではないか。

何かがおかしい。

目の前にあることを見ないで、見えないことや自分にも分からないことを探しているのは
おかしいです。

違いますか?


また、自分に特別な使命があると思っている人がいる。
そういう意味の使命もあると思います。
でも、そういう意味の使命は「世のため人のため」にすることですよね。
しかし、自分に特別な使命があると思っている人は、その使命を
世のため人のためにしようとは思ってない人が殆どではないか。
では何のためにやろうとしているのだ?と考えれば「自分のため」ですね。

自分のために使命を探している。
特別な使命を果たす自分が好きだ。
自分の心を満足させるために特別な使命を探すのだ。
私は特別な使命を果たすために生まれて来た(に、違い無い)。
とか。
そう思っている人がいる。

しかし、世のため人のためにする使命なのだから、自分のために探していたら
見つかるわけがありません。
矛盾していますね。
だから見つからない。


また、特別な使命があるとしてもそれをすることが本人にとって苦手だったり
苦痛だったりすれば、もし、使命が見つかったらどういうことになるでしょう?
嫌で嫌で、苦痛で苦痛でしょうがないのでは?
たとえば私の使命を考えたら「料理をすることである」と答えが出たとする。
「げええっ!!!」となります。
「ざけんな!」と言いたくなります。
誰に言うのか分からないけど。

だから
私は使命が見つからないという人には「好きなことをすれば?」と答えています。
すると、「好きなことが無い」と返事が来る。
最初に戻ってしまいましたね。
堂々巡りです。


使命を果たしたければ

自分の好きなことをすれば良い
  それを真剣にやってみる。
  真剣さの度合によって魂が磨かれる。
  
◆世のため人のための使命を知りたい場合。
  まずは
「自分が自分が」という「我」を除く
  そして世のため人のために何か自分に出来ることはないか、
  という心の姿勢になってから探す。
  勿論世のため人のための仕事だとしても、それを好きでないことにはやれません。  


私のように好きなことだけをしていても罪悪感を感じないタイプの人間には
好きなことがすぐ見つかる。
誰に認められようとか思いません。
有名になろうとか尊敬されようとか思わない。
評価は自分で下してますからね。
どんな人の意見よりも「自分の意見」を優先させています。
あ、日月神は別格です。
第一彼は人じゃないし。

周囲の思惑そっちのけでひたすら「自分の楽しいこと」を追及します。
ということは心の自立も必要ですかね。

また私は世のため人のため、と大上段に構えることはありませんが、
心の姿勢が既に「世のため人のためモード」になっているので
自分の好きなことをすることと、人のためになることとの矛盾が生じません。
人のためになることが好きなことなんですよw

やはり境地が問題ですかね。
それほど高くは無いが低くも無いという境地です。


使命を知りたい人のために、有効な祈りの言葉を「資料室」に掲載してあります。
PANDORAを隅から隅まで読むとだんだん自分が分かって来るはずです。

<クルマ考・・・独断と偏見>(2008年6月21日)


「独断と偏見」はいつもですが、読むと腹が立つ恐れがありますのでご注意。
3月に車を買ってから、道路を走る車に目が行く私です。
普通は買う前に他の車が気になると思うのですが、
急に買ったので、買ってから車種が気になっています。

それで気づいたことがある。

ろくな車が無い・・・


車メーカーの方達の苦労を思うと、こういうことは言いたくないが、
車の質がどんどん堕ちていると思います。
あ、私が言うのはあくまでも外観です。

私が今、(おお!名車だ!)と思うのは「日産マ一チ」なのです。
その理由は
◆コンパクト=買い物に便利、駐車場に止め易い
◆デザインがシンプル
ですね。
私はこの車に乗ったことが無いので、乗り心地は知らないが。

私が乗っていたカローラUがそりゃ「世界一」素晴らしいデザイン&機能の車ですが、
この車種はあまり見かけません。
何でこんな良い車をT0Y0TAが生産打ち切ったのかな、と思います。


日産マ一チには新型車がありますが、これはヒドイ。
VWの真似をしたような外観。
(※VWの新型もヒドい)
大変ダサイ。
(乗ってる方ゴメンなさいね)

実は日産マ一チも、当時は私はダサイと思っていましたが、
新型車のダサさには負けるので、前のデザインがずっと良かったと思います。
コンパクト・カーとしてなら旧型の方がずっと便利です。
なのに何故このような中途半端なデザインにしたのでしょう?

他のメーカーの車も皆車体が大きくなっています。
カローラUが出た当時のT0Y0TAのコンパクト・カー、
ターセル・コルサ、その前からあったスターレットなどは
皆、コンパクトな車体でシンプルなデザインだったのに、途中から
「不必要なまでに大きく、コケおどしのような、不要なデザインでしかも格好悪い」
車が日産からもT0Y0TAからも他からも(?)出たような気がします。

一時期カンガルーが居ない日本の国に、何故か「カンガルー除け」なるもの
が大袈裟に憑いた4WDの車があっちからもこっちからも発売されました。
いったい、何を避けようというのだろうか?
北海道ならヒグマや鹿を避けるのに必要かとは思うが、
本州以南には必要ありませんね。
この時私は車メーカーは発狂したのかと本気で思いました。
今は、その愚を悟ったのかカンガルー除けが付いた車は販売されてませんが。

思うに「売るために他社の車より大きく、ゴージャス感を出そうとした」結果ではないか。

しかし、コンパクトカーの当初の目的は「コンパクト」なのです。
(と、私は思うのです)
それをゴージャスにしてどうしようと言うのでしょう?

実はBELTAも気に入らない。
車体が大き過ぎるからです。
二周りは小さい方が良い。
だって、「買い物」にしか使わないからですよ。


だったら、軽に乗れ、と言われそうですが、軽のエンジン音には耐えられません。
良いのは駐車が楽で税金安いことだけ。
そのためにうるさいエンジン音を我慢するのは嫌なのと、やはり道路で怖い。
大きな車の隣になると怖いですね。

カローラUに13年乗ることになったのは「乗りたい車が無い」からです。
それほど今道路を走っている車には魅力を感じません。


どんなに高くても人気があっても、私から見ればつまらない車です。
これならBELTAの方がまだ良い。
本当はカローラUに乗りたいが、生産中止してから年数が経ち、あったとしても
古くて乗れないでしょうね。

その点、日産マ一チは健闘しています。
まだ沢山走っています。
オーナーの方は金が無いので、新しい車を買えないのでは無いと思う。
旧型日産マーチが良くて、新しい車にはろくなのが無いので、
買い替える気がしないのだと思います。
オーナーの方は旧型マ一チが好きなのだな、と微笑ましく思います。


多分車はどんどん売れなくなるでしょう。
売れるのは電気自動車ですかね。ガソン代がかからないし、
一度の充電で7時間走るらしい。モノ凄く燃費が良いそうです。



車メーカーが良い車を作れなくなった。多分これからも売れないだろう。

◆車作りに心が無いので。
  目先の目新しさを追及した結果、つまらない車ばかりになった。
  メーカーが違うのにデザインがほぼ同じ。
  自社のプライドというものが無い。

◆グレードが高い割に魅力を感じない。
  たとえばBELTAは安い車ですが、大きさもデザインもマークXと変わりません。
  マークXが特別良い車に見えない。
  ひとによってはBELTAはレクサスに似ていると言ってます。
  どの車も皆ネコ目の似たようなデザインです。
  どのメーカーの車も皆、同じようなデザイン。
  (多分欧州車を真似したのだろう)
  個性が無い、つまらない。
  30年前は車には個性があり、それぞれ個性を発揮していたので、
  面白かったです。
  スカイライン、フェアレディZ、117クーペ、コスモ、セリカなど。
  (スカイライン、Zには新型が出ているが、デザインがつまらない。
   前の方が良かった)
  もうちょっと後発ので、B一1、パオなどは大好きでした。
  ラシ一ンも聞いた話によれば作りがチャチだそうですが、外見はいいです。
  
  今の車には個性を感じない。
  「いつかクラウン」なんて言葉は死語になって逝きますね。
  私はそう思っています。

◆前の車に乗っていた時、T0Y0TAの営業マンが○ッツを勧めると
  マジ、ムカついてました。
  その車だけは勧めないで欲しかった。
  ダサ過ぎる・・・
  あれに乗るくらいなら、軽に乗るね。
  (※新型○ッツはデザインがちょっと良くなりましたが)

◆例外的に良いな、と思えるのはフィガロ。
  あれは優美で良いけど、私には大き過ぎる。

と、いうワケです。
「ホンダの○ットはどうなんだ?」と思った方。
あれはつまらないですね、勿論デザインの話です。
車幅が細いので駐車し易く、買い物には便利だと思いますよ。

<クルマ考/車を売りたいなら>(2008年6月26日)


車を作る人には作品へのプライドが無いのだと思う。
もし、自分達が作った車が最高に良いなら、そのデザインでず=っと作り続けると思う。
例えば名車の誉れ高い日産マーチ。
はい、私だけが名車と認定していますが、私は常に自分のセンスを最優先させているので
これで良いのです。

マーチのデザインは非常にシンプル。
無駄が無い。
前も後ろも横も何も無駄が無い。
全ての装飾をそぎ落しているかのようなコンパクトなデザインです。

日本中の運転のヘタな人用に、どんな狭い駐車場でも
自分ちの車庫でも楽々駐車出来るそのボディ。
素晴らしいです。
マーチに乗っているのは
◆おばさん
◆免許取り立ての若い女性
◆お爺さん
が殆どのようです。

そういう人でもちゃんと運転出来るよう、考え抜かれたデザイン。
作った人の心が感じられて大変、微笑ましい。
これを「心有る」と言います、私的には。


オーナーの中にはお爺さんの一歩手前くらいのオヤジもいますが、
若い女性を抜かせば、発売当時免許を取った主婦やオヤジさんが初めて乗ったか
二台目くらいだろうか。
一台目を10年も乗って次がマーチで、あまりにも乗り易いので15年乗ってる、
みたいな感じですかね。
免許を取ったのも遅くて30歳過ぎていたので、今、
50代〜60代のおばさんが乗っているわけです。

で、こういう人は新型車が出たからと言ってすぐ買い替えるようなコトはしません。
車には元々興味が無いのです。
私もそうだけど。

で、こういうひとにとっては毎日乗り慣れている車が良いのです。
性能が良いので壊れないから15年くらい平気で乗り続けます。
この人達が次に車を買うとしてもグレードアップなどはしません。
見栄を張る必要も金も無い。
子供は巣立って行き、車は大きくするどころか小さくしたいくらいです。
軽で充分なのです。


なので頭の中は

◆次の車は軽にしようかしら?
◆でも、乗り心地が悪かったら嫌だわ、馬力もないし坂道登れないと困る
◆でも、軽って税金安いわよね、軽にしようかしら?
◆でも、軽って小さいのに高いし、どうせお金払うなら普通車がいいわ。
  だって、同じ値段ならそりゃ大きい方がいいに決まってるでしょ。
  大根だってスイカだって大きい方を買うわよね。
◆それにどの車がいいのか、さっぱり分からないし。
◆この車と同じのが売ってたら買いたいけど、もう、売ってないし
◆どうしよう・・・ま、当分コレでいいわ、壊れるまで乗ろうっと♪

と、いう結論になっているはずです。
私がそうです。


もし、今乗っている車と同じデザインであちこち少しづつ改良された車が発売されたら
多分売れると思います。
燃費が旧型車より、かなり改善されていますよ=、って聞けば
「あっら〜、そうなの!じゃ買うわ、ひとつ頂戴!」となる(はず)。

それなのに、車業界では毎年(だか、一年おきだか)新型車を発売することが
常識になっているかのようで、同じデザインの車を何十年も作り続けることをしません。
そして、車ってのは買い替えるたびにグレードアップさせようと言うかの如き
風ちょうがある。
誰が決めたのだ?
こういう風ちょうに乗るのは若い人や男性ではないか?
主婦には無縁の発想です。


毎年意味の無い新型車を発表し、そして売れずw
そりゃ新しモン好きの若者はいます。
でも、全員がそうではない。
同じ車に何十年も乗り続けたいオーナーも多い。
なのに、そういう本当に車を愛してくれているオーナーのことをメーカーは考えていない。
自社の車を何十年も乗ってくれている、本当の、その車のファンのことを考えない。
かなり低次のサヌキですね。

車作りに心が無いからだと思います。
心とは「相手のことを理解する頭」のことで、本当の賢さ(アワ)です。
新しい車、話題の車をどんどん開発するのは「頭」(サヌキ)です。
自分達が売りたいから他社に差をつけたいから、と結局同じような車を皆で作る、
これを低次のサヌキと言います。

頭の先で作られたものは、歌でも文章でも服でも何でも飽きられて消えていく。
高波動のものは人に愛され息が長い。
派手ではないが、誰も格好良いとは言わないが、持ち主に愛され何十年も
所有されます。
私は日産マーチを見るたびに、このことを思います。
勿論カローラUも同様です。
いまだに走っているカローラUを見ると、オーナーに愛されているのが分かり
(いいな)と思います。

<クルマ考/感想>(2008年6月26日)


上の記事を読んだ方からメールが来ました。

マーチの話よませていただきました。
私も運転の苦手なおばさんです。
旧マーチのユーザーとして
今日書かれた内容は100パーセントそのとおりでした。
本当にifさんは、見えるのですね。



ありゃ〜(汗

この方もマーチが大好きだったそうです。
私には霊能力・超能力はありませんが、
推理すれば分かります。
その前に自分もそう(マーチのオーナーと同じ)だし・・・

<クルマ考/その他の名車>(2008年6月29日)


私が良いクルマと認定するのはガソリンの消費が少なく、
場所を取らない小ぶりな車のことです。
デカい車は認めていません。
何故ならガソリンを沢山消費し、限り有る資原の無駄使いと
排出ガス量の点から、地球と人類を初め諸々のモノのためにならないからです。
これからはそんな時代では無いでしょう。

そのような観点から見た良い車、名車とは・・・

◆カローラUwindy(TOYOTA/意外と燃費が良い18km/L。流線形デザインは最高)
◆旧型マーチ(日産/小ぶりで無駄の無い完璧なデザイン。頑丈そうで良い)
◆デュエット(TOYOTA/小さいボディ、デザイン良いがやや華奢に見える)
◆旧型デミオ(マツダ/新型はデザイン良くない。シンプルな旧型が良い)
◆新型スイフト(スズキ/格好良くなったと思う。デザインがシンプル)
◆R1(スバル/軽ですが、これは別格でしょう。乗りたい車だが燃費は平凡)
◆スマート(ダイムラー・クライスラー日本/2人乗り。デザインはまあまあ)
◆ミゼットU(1リッター11〜35キロ走るそうです。これでも2人乗り。デザインは最高w飾っておきたい)
◆パジェロ(三菱/カタチが好き)
◆?(マツダ/いいなぁ!と思うが、名前が分からん)


車は基本的に一人で乗れれば良い。
たまに同乗者を一人乗せられればよい。
ごくたまに4人まで乗せられれば良い。

普段一人で乗るのだから、基本的に一人で乗ることを前提とした方が良いのでは?
皆が大きな車に乗っていると小さい車に乗るのが(接触、衝突の際)怖いというのはある。
だから、みなで最小限の小さい車に乗れば良いと思う。

車の中をやたら広くする風潮があるが、運転席が茶の間のように広くてどうするのだろう?
最近出た新型車の売り文句が「おもてなし」だと!やはり車業界はおかしい。
車の運転席など飛行機のコックピット並に無駄なく空間を使えば良いと思う。
運転中にリラックスするのが目的では無いと思う。


未来の地球は太陽光で走る小ぶりな車ばかりになっているといいな。

<クルマ考を読んで(感想)>(2008年6月23日)


クルマ好きな方から上の記事<クルマ考>を読んでの感想が来ました。

それから、車の記事読みました。
私も同感です。。。
確かに乗りたい車がないですね、今の車は・・・。
そして個性がない、これも同感です。

免許取って間もない頃は、車道楽をしてました。
30歳までの12年間で国産高級車から外車まで
かなりの台数を乗ってみましたが、今はど=でも何でもいい感じです。
フェアレディーZも20代前半で乗りましたw
今の前型のZ32でしたが、私は結構好きでした。
本当はフェンダーミラーの頃のロングノーズZが一番好きですが(かなり個性派ですよね)
愛車のZちゃんも結構お気に入りでしたよ。
あまり実用性のない車でしたけど、走り心地は良かったです。
お店を出したときに、繁華街に入るのにその車ではあまりにも派手(マフラーの音が)なので
手放しましたけど、今でもあの型の車なら乗ってみたいと思います。
今の型のZにせよ、GTRにせよ何だかな〜って感じですよね。

そうなんですよ。
デザインが平凡になっちゃいました。


知り合いの仲のいい中古車屋さんが言ってましたけど
車道楽をしている(た)のは、今の30代が若かった頃までの話で
最近の若い子は車を買わないらしいです。
こちらは田舎なので、車は必需品です。

私が住んでいるところも田舎なので、車は必需品。
子供や凄い老人(90歳以上)を抜かして県民なら一人一台車を持ってます。


県民は結構車には皆お金をかけてたらしいですけど
それも一昔前の話だそうで・・・。

やっぱりそうなんだ。

いまどきの若者は免許は取るけど、車は別に欲しくない。
家にある父親、母親の車で十分って思っているらしいです。
なので、中古車屋さんは厳しい〜!!!と言っておりました。

車を所有すると、
◆車のローン
◆税金
◆保険
◆ガソリン代
◆車検
で、金がかかってしょうがない。
若者は賢いですね。


ifさんの仰るように、個性のある「乗りたい!」と思えるような車種がないので
車への興味も薄れて 買い替え時になるまで(壊れるまで)
車を買おうとする人も多くなったし、若者はそれが分かっているからこそ
車が売れないのでしょうね。

そうです。
メーカーが自社の車を売りたいがために、流行を作り出して来たが、
その流行のせいでどこの車も皆、外見が同じになってしまった。
これでは選ぶ楽しみも乗る楽しみも無いです。
車のデザインを見ると、販売された時代によって各社のデザインが同じなので、
古い、新しい、というのが分かる。
で、今、新しい車を見ても魅力を感じないばかりか、モデルチェンジする前の方が
ずっと良かった状態(日産マーチなど)ですね。
これじゃあ車が売れるわけがない。

そのうち電気自動車ばかりになるでしょう。
とにかく殆ど維持するための金がかからない上に自治体がエコロジーだというので
税金を安くするらしい。
電気で動くのだから、そのうち太陽光で動くようになるでしょう。


これも時代の変化なのでしょうかね・・・。

<ブランドが消える日>(2008年6月21日)


数年前に東京に進出して来たヨーロッパのブランドが、各社値段を下げているそうです。
理由は「売れないから」だそうです。
当り前です。
ブランドものが売れるためにはそのブランドを所有することが
格好良い、という多くの人達の共通の意識があることが前提です。
もし、多くの人達がそのようなコト(持ってると格好いいんだよ)など
どうでも良くなれば、売れなくなります。

何故ヨーロッパのブランドが相次いで東京に出店したのか。
元々ヨーロッパ人は流行に飛びつかないんですよ。
個人主義なので、ひとが持っているから自分も、とは思わない。
むしろ「他人が持っているのは持ちたくない」のです。
(実は私がそうです)

本当に良いものをずっと使い続けることが格好良い、と言う意識だから、
新しいだけでは売れない。
だからヨーロッパではブランドものはそれほど売れはしない。


なので、ブランド各社は「売り出せば売れる日本」に出店したのでした。
最初は良かった。
モノ珍しくブランド品に群がることが恥ではなく、格好良いことだった。
でも、ブランドものを買う人は一度買えば二度三度は買えない。
儲かっているのは質屋でしょう。
今では例外的な金持ちかブランド収集家しか買わないのでしょう。
そういうひとは数が少ないのだから、売れ行きが落ちるのは当然です。


また、ブランドものを売るにはまず、情報が先にある。
でも、今、本屋で売ってる雑誌などが売れなくなりました。
情報を得るのはネットに移行しつつある。
雑誌の情報とネットの情報は全く違う。

雑誌なら、買ったら殆どのページを見ることになる。
でも、ネットの場合は自分が興味を持っているところしか読まない。
その違いがありますね。
ということは、多くの人達が共有する情報という前提が崩れてきているのです。
ネコも杓子もブランドに狂奔した時代は終わりました。
世の中が不景気で食料品とガソリンの値段が上がっている、というのは
ブランドものが売れなくなった理由の一部ですが、全部ではありませんね。

◆ブランドものを買う金が続かなくなった(所得の二分化促進。金持ちは少数)
◆一個所有すれば事足りる
◆雑誌などマスコミの威力の低下
◆「ブランドものは格好良い」という共通意識が減少



売れる時は雑誌などの情報でわっと売れたが、売れなくなるのもあっと言う間です。
もう、情報ですら無いのだと思う。
私が新型車を見て良いと思う車が一台も無いと気づく前に
ブランドものはさらに「何も良くない」と思っていましたが、
人々がそれを「良い」と思わなければ売れない。
雑誌(マスコミ)は人々に「良い」と思わせるために日夜洗脳して来たが
もう、それをやっても効果が無くなってきたのだと思いますよ。

「流行とは本来、とても醜く見たくもないものなのだ。だから、次の流行が始まる。」
みたいなことをアメリカの有名な人(バーナード・ショーかな?)が言ってます。

流行。
ブランド。
これらを作り出していたものが、神通力を失いつつあります。
本当のコト、本物を求める人にはとうの昔に、通用しなくなっているが、
そうでは無い人たちは、まず「世の中がそれを格好良いと認めるから、
自分も認める」という立場(心の姿勢)なので、それが無くなれば雪崩を打って
流行もブランド信仰も消え去るでしょう。



今、ちょっと前までは力を持ち、上の立場に居たものが化けの皮を剥がされつつある。
エジプトのピラミッドの内部は予言になっているそうです。
そして、今の時代は「逆様の時代」だそうです。
それも永久には続かず、いつかグレンとひっくり返り正常になる日が来るそうです。

精神世界でアセンションのことを知識として知っている私達ですが、
多くの人はアセンションのことなど知らなくても、潜在意識では知っているので
人類の集合無意識がどんどん変化して来ているのは、当然のことですね。

◆人類(の集合無意識)は変化している


ブランド品を漁っていた人が見向きもしなくなった。
目新しさでは何も売れなくなる。
本当に必要なもの、自分の意識を上げるモノが売れる。
心を癒すのが先決かもしれないので、まずは癒しグッズが売れる。
心身の浄化が必要なので浄化グッズが売れる。

有名ブランドや一流メーカーという神通力がなくなって行く。

◆逆様の時代の終焉(上下グレンとひっくり返る日近し)


昨日まで良かった業種がどんどんダメになる。
(タバコ店がTASPO導入で売れなくなり、凄まじい数のタバコ屋がつぶれたらしい。
 私が住んでいる地区の酒屋は10年で30件から3件に減ったそうです)
どんどん変わる。
今の一年は数年前の10年に匹敵するかもしれません。
変化を観察しましょう。
私達は時代の変化の証人となろうではありませんか。

<ブランドが消える日を読んでの感想>(2008年6月23日)


上の方と同じ方です(笑)。
この方はお水の花道を歩まれていた方です。
観察眼はさすがなものがあります。

ブランド物も実際そうですよね。
繁華街では、ある程度のファッションセンスは必要とされてましたが
私が若い頃は「ブランド持ってなんぼ」って感じで
夜の繁華街を歩いていて、ノーブランドの物を身につけている女の子を
探す方が苦労するだろ・・・と思ってましたが
今時の若い子は、ブランドに拘らず個性を出している子の方が
多いように思います。
それも時代の流れなのでしょうが、流行廃りについていくよりも
個性的な方が光って見えますね。

若い頃に買い漁ったブランド品は、今では箪笥の肥やしとなってます。
最近はアジアン雑貨のお店で購入したと思われる
ゾウ柄の綿のバッグがお気に入りで持ち歩いていますw
やっぱり、人と同じよりも自分が本当に気に入った物の方がいいですね。


これだけ雑誌を初めとしてマスコミが流行を作ろうとしていても、
それに乗らなければ良いわけで、乗らない若者が増えて来たのでしょうか。
良いことです。
流行に乗るのは低次のサヌキ人間ですね。
乗らないためには「自分が流行の上を行く」ことです。
流行の下にいれば流行に振り回される。
上を行けば流行が何をしようと関係ありません、心が動かされることが無い。


これは、子育てや人間関係にも言えますよ。
よく、子供や姑に振り回されている主婦がいます。
それはその主婦が子供や姑の下(パワーで)に居るからです。
情けない・・・
一家の主婦が子供や姑に振り回されるほど、
◆判断力
◆パワー
が低ければその家はまとまらない。
もし、そういう家庭があるなら、奥さん、しっかりしなさい。

enlightenment=エンライトメント>(2008年6月18日)


一年ぶりにEさんがメールをくれました。
一年間PANDORAを読んでいたようです。

一年で、まぁ色々とありました。
色々ないほうが、おかしいのかもしれませんが。
 
少しだけわかったのは、ネガティブな感情や言葉はものすごい重い、という事です。
当時付き合っていた彼氏は、とてもネガティブな人でした。
何かにせよ、「どうせ俺は…」「なにをしてもだめだ」ということを言う。
彼は傷ついているのだと思いました。なんとか自分の力を信じて前向きになって欲しいなあ
と思って3年半くらい付き合っていましたが、どうにも耐えられなくなって、
他に好きな人が出来たのもあり(まあこれが一番ですけど 笑)、別れました。
 
同波長の法則、同質結集が進んでいますね。
向上している人、変化している人の方が、より環境が変化しています。
変化の度合が大きいです。
当然、付き合うヒトも変わって行きます。
今までは一緒に居られた人とも別れることになる。
今までは波長の違いが明らかにならなかっただけです。
もう我慢はしなくて良いと思う。
己の心の欲するままに進めば良い、進むしか無いのでは?
ただし、その己の心はなるべく上を目指したいものですが。

多分彼と私は同次元にいたので、今までは付き合っていられたのだと思います。
似たもの同士だったのですね。
でも、パンドラと出会って、少しでもわかろう、気づこうと前向きになっていったら、
一緒にいられなくなりました。
そして、彼が無意識に吐くネガティブな言葉が、重い膜になって私を包むのに気づきました。
 
職場で悪口・文句ばかりを言っている人もそうです。
前は普通に悪口や文句を聞けました。でも今は聞けません。
 
いいことです。
同調しないのは勿論、相槌も打たない方が良い。
そのことによって苛められるなら、それは「そういうレベルの職場なのだ」と、思えば良い。
感情的になる必要はありません。

人間のいろいろを読んでいていつも思いますが、
ほんとうに私はなんにもわかっちゃいない、獣だなあと思います。
ほんとうにひどいです。ひどいことに気づけただけで幸せなことです。

あなたはまだ若いから。
私だって若い頃は何も分かっていませんでした。
失敗だらけでしたよ。
思い(想念)も当然、ヒドいものでした。
経験が無いのだから当然ですわね。
私なんかこのトシになってもまだ、(ああああああああああああああああ!なんてバカなんだっ)と
たまに思ってますよ。

 
獣は無自覚だからこそ獣なのかなと思います。

そう、良いコトに気づきました、
獣は獣であるだけで責められることはありませんが、
人間に生まれながら獣をやることはない、それは間違いです。
人間と獣の違いは「言語を解すること」で、言語化、意識化、自覚出来るかどうか、です。
犬は犬のままで素晴らしいです。
でも、人間が犬とイコールなのは間違っているのです。

無自覚のままの混沌とした暗闇を、からまった糸をほぐすように分析していくことで、
すこしずつわかっていけたらいいなぁと思います。
自分を理解すること。
「啓蒙」ですね、蒙を啓く。いい言葉だなあと思います。
英語だとenlightenmentというらしいです。くらいところに光をあてる。
 
光だとか闇だとか、スピリチュアル系のサイト・ブログでよく見かけましたが、
よくわからない、と思っていました。
 
書いてる本人が陶酔次元なので、良く分かってないか、
分かっているのだが、言語化する時点で難しいので、巧く表現出来ないか、ですね。

今の段階では、私的には、闇は自分の中に眠る無自覚・無意識・曖昧模糊とした混沌で、
光はそれに焦点をあて、取り出し、分析し、理解すること、なのかなぁと思いました。
言語化も、光をあてる作業ですよね。
 
そうです。
考えがよくまとまっています。

 
長々とすみません。読んでくださってありがとうございます。
いつも黙々とパンドラを読んでは身を振り返っています。

有難う。
当の管理人がそれ(我が身を振り返ること)が出来ているかっつうと、どうも、出来てないような気もしますが。
まぁ、いっか(←おいおいおいおい!)

<考えない人1>これは続きます(2008年6月17日)


或るコトをする際、何も考えない人がいます。

先日、M氏がお昼に我が家へやって来ました。
しばらくM氏が来ないので、「遊びに来ませんか?」と、ケイタイにメールしたら「行きます。」という返事。
「午後から休暇を取ります。」と言うので、「ではお昼を御馳走しますよ。」と返信。

その前にK子がウチに来ていました。
お昼のメニューはスパゲッティです。
まず私が、自分の分とK子の分を盛りました。
その後「Mさんの分を盛っておくれ。」と頼んだら鍋の中のスパゲッティを全部入れてしまったので
凄い山盛りになっています。

考えてない。

どのくらいの量を食べられるか、まず、考えるべきですね。
たしかに鍋には大量のスパゲッティは入っている。
しかし、そのことと、Mさんがそれを全て食べるということは別です。
そこでひと考えすればいいのです。
(Mさんはどのくらいの量を食べるかな)と。
一瞬で済みます。

でも、それをしません。

何故なら「何も考えてないから」です。
◇食べる量はどれくらいが相応しいのだろうか
とか、考えるべきですが、それをしないので、
◇鍋に残ったものを全て皿に盛る
ということをしでかす。


こんな簡単なことをするのに何も考えないのでは、他の面でも思いやられます。
実際、K子の考え無しの仕事ぶりを何度も叱りました。
一度で分かれば良いが、以前はその都度「自分なりの理屈」を言うので、怒りました。
私の示す理屈(レベル、考え)が理解できないからです。
善意の人でこういうひとは他にもいますよ。
善意なのは分かる。
でも、私が問題にしているのは「それではない」ということを分かって欲しい。
いや、分からないと本人が困るのです。

このように通常の友達付き合いをしていては分からないことも、一緒に仕事をすると分かります。
私が皆さんに才能を発揮して好きなことを仕事にしなさい、ネットで仕事をしなさい、と言うのは
「自分の考えの足りなさを体験してもらうため」です。
お金は二の次なんですよ。


私が「ちょっと!馬に喰わすほど盛ってどうすんの!」と大きな声を出したのを聞いたMさん
「大丈夫です、馬並に喰いますからw」と、またまた
「さう男」の気配りを見せていました。
(※リンク3の「うさうさ診断」をご覧ください)
Mさんのように優しい気配りの人ばかりなら苦労は無い。
世の中にはMさんのような人ばかりではありません。
最低限の思考力判断力を獲得しないと、自分が困った状況になるのは必至です。

しかしなかなか分かるようにならないのも人間です。
でも、K子は最近は以前のように言いわけをしなくなりました。
何かを悟ったのだと思います。
それを推理してみれば「 if さんが言うことは分からないけど、間違ってないだろう」という気持ち。
分からないけど、ここは一ツ素直に聞いておこう、という気持ち。
つまり
「生まれ赤子の心」です。

大人になるとこれが出来る人はほとんどいません。
でも、何かを悟りたければ、今の自分には理解できないことを分かりたいなら、
心の姿勢をこの態度にしなくては無理なんです。

本当にPANDORAでは何度も言ってますよね、このこと(生まれ赤子の心)については。

なかなか分かるようにならないK子ですが、一応心のベクトルは上を向いているので、まぁ、いいか。

分からず屋が悪いのでは無いのです。
自分が分からずやであることを自覚しないことが悪いのです。

<考えない人2>(2008年6月18日)


次に記事にするのは私のことです。
はい、私も「考えない人」です。

「え?ifさんて、いつもいつも人には『考えろ』って言ってるじゃん?
 なのに、自分は考えないわけ?」
と、疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、
そうです、私も考えない人なんですよ。

この、「考えない人」には幾つか種類があります。


@余計なコトを考えない。

  私は根が単純に出来ているのと感情的では無い方なので、
  普通の女が考えるようなコトは考えません。
  (コレをしたらきっとああするだろうから、アタシはコレで・・・)
  (本当はあの人はああ思ってるだろうから、アタシはこうしよう)
  とか、いろいろ考えてるようです、皆さん。
  あ、女性だけではなく男性もそういう余計なこと、詮索をする人はいますよ。
  さぞかし心がそのようなコトに占められて忙しいだろうな、と思います。
  私はそのようなことは考えるのも嫌です。
  面倒臭いので。


しかし、これはいいけど次のは困る。

A必要なことを考えない。

 問題はこれなんですよ。

<考えない人3>(2008年6月19日)


若いと思考力が無いか、乏しいので考えませんね。
私などはその上に面倒臭がりなので、余計考えません。
私がまだ二十代の頃、こんな話を読みました。

或る高名な画家の家に苦学生がやってきた。
戦後すぐの頃のことです。
苦学生は画家に
「先生の描き損じの絵をください。それを売って学費の足しにしたいのです。」
と、頼んだ。
画家は
「いや、描き損じの絵が市中に出回っては私の恥になります。
 いつかちゃんとした絵をあなたに描いて差し上げましょう。」


苦学生は画家の言いたいことを分かり、恥入りました。
数年後画家はこの学生に絵を描いて私たとか・・・


で、この話を読んだ当時の私の感想は・・・
(描き損じくらいやったっていいじゃん!このケチ!爺い!)でした。

それから数十年経ち、この画家の気モチが分かるようになりました。
当時の私はこの苦学生と同じような年齢。
で、今の私はこの画家と同じような年齢です。
すると説明が無くても分かるのです。

しかし、当時の苦学生は凄いですね!
今の大学生とは質が違います。
画家が言いたいことを瞬時に理解したのですからね。


当時の苦学生のような秀才ではない、盆栽の私などには
頭がついていきませんや。
なので、(こんのぉ!クソ爺い!)と、短絡します。

特別賢い人以外の話に限定しますが、
若いと人生経験が少ないので、物事が分かりません。
しょうがないです。
その時は
(ああ、自分はまだ経験が足りないから物事が分からないのだ)と、
分かれば良いだけです。
若いのに何を間違ったか(自分には分からないことは無い)と
無意識・無自覚で思っている人がいます。
無意識・無自覚なので、正確に言うと「思ってもいません」。
思ってないのに、思っているのです。
これがまずい。

で、ほとんどの人は無意識・無自覚に陥っているのです。


<ひとの悟りを邪魔する人>(2008年6月15日)


ひとに悟らせる人は例外的に少なく、ひとの悟りを邪魔する人の方が圧倒的に多い


一例を挙げます。
今から10年ほど前、友人から聞いた話です。

友人は心はとてもきれいだが、物事が分からず、会うたびに毎回私に分からなさを指摘されていました。
そして、「もっと分かるようになりなさい。」と叱咤されていた。
しかし、他人に指摘されたり叱られたくらいでは、分かるようになるわけがない。
でも、情報として耳に入れておかないと可能性は限りなくゼロに近くなる。
なので、私は情報として「もっと分かれ」ということを耳に入れてもらっています。

今すぐ分かるのは無理なのは百も承知している。
しかし本人が心の底から「分かろう」「分かりたい」「分かるぞ」と、思わない限り、一生分からないで終わるでしょう。
だから一見無駄なようだけど、心の姿勢を「分かる方向」に向けるために言ってるわけです。


ところが殆どの人にはこの、「分かること」のサトリが無い。
なので、私のようなことを言う人を「分からない」し、理解出来ない。
理解出来ないなら(ああ、私はifさんが言うことは理解出来ないのだな)と、理解すれば良いのだが
それが出来るほどの人には私の言うことは即座に理解出来ます。


この友人は自分が何かを悟らなくてはならないことは分かっていた。
(子供二人が登校拒否〜非行・中退・家庭内暴力・借金・引きこもりに進化)
でも、悟り方が分からなかった。
十年以上、悟りません。
そのくらい物事を分かる、悟るとは難しい。
でも分からなくてはならないことがあるのだ、ということは分かっていました。


さて、この友人が或る会社に就職した。
社員数人の会社です。
そこに大変仕事が出来ない男性がいた。
この友人も分からずやなので仕事が出来なかったが、友人から見ても仕事が出来ないのが分かった。

この男性の親は「おまえには一般企業は無理だから公務員になりなさい。」と言ったそうです。
(公務員に失礼ですよねw)
でも、この男性は公務員にはなりたくない、一般の企業でこういう仕事をしたいのだ、と夢があり、
念願の仕事がやれる会社に入ったのです。
ところが、仕事が出来ない。
何故出来ないかというと、物事が殆ど分からないのだそうです。

分からず屋の友人から見ても分からない人だ、というのだから相当な分からず屋です。
で、毎日上司に叱られるわけですよ。
殺されるような勢いで怒鳴られる。
「てめえなんか辞めちまえっ!」と。
この男性は上司に叱られている最中は頭を垂れておとなしくしています。
上司は散々怒鳴ったら部屋から出て行きます。
意気消沈する男性。

すると周囲の女性が声を掛けるのだそうです。
「気にしない方がいいよ。」
「ああいう言い方はないよね。」
「自分(上司のこと)だってまずいことしているじゃないね。」
と。
するとこの男性は途端にへらへらしてしまう。
周囲の人が優しい声を掛けてくれると嬉しくなってしまう。
そしてまた同じ間違いを犯す。


友人は大変温厚ですが、これはまずいということが分かっていたようでだからこの話をしてくれたのです。

男性は上司に叱られても理解できないのは分かる。
でも、理解出来ないまでも(オレは何か分からなくてはならないことがあるのだ)と、いうことを分かる必要がある。
周囲の人が「気にしない方がいいよ。」と、言ってしまうと
思考力の無い人なので(そっか、気にしなくていいんだ)と、その上に上書きしてしまう
(思考力があれば周囲が何を言おうと自分の非であることが理解できる)
せっかく入った情報(上司の罵声)を活かすことが出来なくなる。
そうやって二十年やって来たらしい。(当時男性は40歳くらい)
これでは何年経とうが何も学びませんよね。
これ(この男性のレベル・判断力)はヒドイです。

せっかく悟るための情報を入れながら、それを本気で受け取ることが出来ないのです。
何故なら思考力の無い人は無意識に、人や環境に甘えているからです。
自分に都合の良い方を無意識に選択しているのです。
(余談ですが、秋葉原の通り魔もこれです。周囲に甘え常に自分を甘やかし都合よく解釈し続けた結果)

甘えている本人が問題なのは当然で、これを主犯とすれば、甘やかす周囲の人も共犯者です。
善意でやるところが最も悪い。
何も考えていないからやる。
それをするなら、「これをすると本人のためにならない」と、自覚してやるなら良い。
しかし、自覚出来る人は「安易に慰めること」はしません。
それをすれば本人のためにならないことが分かっているからです。

安易に慰める人は「これをしたらどういう結果になるか」と考えない。
先のこと(未来)や相手のことを考えない、ただ、今、目の前に展開されたことについてしか考えない。
見えないからです。
目の前に争い(と、見えるのです、こういう人には)が起こった、それはまずいことだ、
平和が良いから平和にやりたい。
この人は落ち込んでいる、なら慰めよう、そうすればこの人は元気になるはずだ、
そうだ、元気になるようこの場が明るく楽しく平和になるよう、慰めよう。
と、感覚的に捉えて声に出す。
「気にしない方がいいよ。」と。

つまり「安易に他人を慰める人は物事が分かってない人」だと言えます。

◆甘える人
◆甘やかす人
どちらも悪い。


他人が悟るチャンスを邪魔することは「悪」そのものです。
「本当の悪は善の顔しているのぞ」とは日月神の言葉。


さて、この話をしてくれた友人はそれから十年以上かかったけど、やっと自力で少しは分かるようになった。
私が最初に指摘してから20年以上経っています。
素質にもよりますがこのくらい分からないものなのです。

<別れ道>(2008年6月13日)


amanesuさんのブログ「utura-utura」(リンク2)の記事が秀逸なので、転載します。
文字の色が変えられないので、もとの色のまま掲載します。



別れ道


昼寝してたら悪夢を見ました。

悪夢の原因は・・・親父さんがテレビをつけてワイドショーを見ていたから。だと思われます。
内容は『秋葉原無差別殺傷事件』についてでありました。
異様で暗い雰囲気の夢でした。

しかし、夢のお話ではありません。
事件のニュースを聞きながら寝てると悪夢を見るんだね。
やっぱ、耳から入れる言葉にも気をつけなくっちゃ!!
と、思いもしましたが、本筋で思っていたのは事件とあまり関係ないコトでありました。

容疑者は静岡から2tトラックで秋葉原まで乗りつけた。
犯行に使用するナイフを福井にまで買いに行った。

福井にナイフを買いに行ったさい、「店員さん良い人だなぁ」「タクシーの運転手さん良い人だなぁ」等々思ったのだとか。

そこで、戻れれば良かったね。正気に戻れるチャンスだったろうに。。。
そう思えて、なんとも物悲しくなってしまいました。

犯行を決意させたのは会社のロッカーから作業着が無くなっていたから。だとか。
ロッカーから作業着が無くなったのは・・・容疑者の思い違いかもしれませんし、
悪意の無い誰かの手違いかもしれませんし、悪意のある誰かの些細なイタズラだったかもしれません。

ワタクシは『コンスタンティン』のセリフを思い出しておりました。
この世には半天使と半悪魔が人間に混じって暮らしている。
半天使はたった一言で相手を勇気付けたりする。
半悪魔はたった一言で相手を絶望させる。

容疑者は、その両方に逢ったのだと思えました。

でも、悪魔も天使も内側にいたんだろうと思えます。
作業着が無くなっていたコトは・・・気分を害することでしょうが、無差別殺人にまで結びつくコトとは思えません。
(ま、隣家のピアノの音が煩いって殺人があったそうですし、積もり積もればはかりしれなくなるものでしょうし。。。)

容疑者が福井で出会った店員さんや、タクシーの運転手さんも特別に優しく親切にしたワケではないと思います。
他の人ならなんとも思わないやりとりに、容疑者は温かさを感じたのだと思います。

それぞれ、身のうちにいる悪魔と天使が反応したのだと思えます。

福井で心が天国に通じた瞬間もあったはずだと思えます。
でも、地獄を選んで秋葉原に行ってしまったんだろうな。。。
誰しも紙一重なんだろうと思えました。


それでも、地獄界に通じきってしまっても心に光差す一瞬はあるんだな。と、思えたのであります。
目を背けなければ救われる道が必ずあるんだと思えたのであります。

<ROME>(2008年6月13日)


レンタル・ビデオ屋にアメリカのテレビドラマ「ROME」が置いてある。
歴史大好きなので借りてみたいが、どうしよう・・・と思っているところ。

ところで、下の記事<言葉>の続編(補足)のような記事が「GAIA」で更新されていた。
可笑しかった!
<面白いもの、面白くないもの>(2008年6月13日)という記事ですが、
ここに載せるのはひかえておきます。
読みたい方はGAIAへどうぞ。

まはるださんて面白いな、と思う。
前世は古代ローマ帝国の戦士かな。
マハルダヌス・ヨウシャナシウス=ローマの百人隊長」かな?
私がそこにいたら
イフノス・ボケティウス=マハルダヌスの上官、千人隊長」だったりして。

しかし、最近多いですね。
スグニス・キレニウスな人。
ちょっとした刺激でキレてしまうヒト、危ないです。
こういう輩は軍隊に入れて厳しい軍律の元で訓練するべきではないか、と思う、
千人隊長としては。



ところで、ルネッサンス時代の銀職人
ユビワーノ・ツクルジオさん
の指輪制作が遅れ気味ですね、日本名はrakanさんですが。
先日問い合わせたところ、100個完成するのは9月頃だそうです。

我が家の跡取り息子
セガレニウス・ボケナスはどうしているかなぁ・・・

<言葉>(2008年6月12日)


内容が秀逸、かつバカバカしくて可笑しいので転載します。
まはるださんの「GAIA」(リンク1)→「つぶやき」→
Sunnny Side→<言葉>
(2008年6月12日)より。



言葉 (2008/6/11)

書き記されたものというのは「ホンモノ」を見分け易いように思う。
何度読んでも面白いものはホンモノ、一度読んだら二度と読もうとは思わないものは
そうじゃないとかが私の基準(あくまでも私のだが)。
流行作家というのは「流れ行く」というだけあって、一度読んだらもう一度読む気がしないし
内容も憶えていない。

古けりゃいいってもんでもないだろうが、古くから伝わるものは
ホンモノが多いように感じるし心にも響く。
ホンモノだから人びとの心に残り、自然に伝わっていくのだと思う。

精神世界にも情報が氾濫しているけれど、読んだその時にはそれが私にとって
よいものかどうかは分らない。
上記のような理由から少し経つとわかるのである。
その場その場で「あぁ、面白いわ」と思ったとしても、
時間を置くとそれを読み返したいと思わないことがある、というかほとんどそうである。
多分だけど、純粋に「この情報を流し伝えるという目的」ではないからかも知れないと思う。


ひふみ神示に「闇のものがよい言葉を発してもその言葉自体はよいものなのだから
よいではないかというけれどそれは違う」というような感じのことが書いてある。
言葉と心が一致しないのがいけないのだそうだ。
「愛だ光だ」とキレイな事をいいながら、金銭欲丸出しの鼻クソほじりながらじゃあ
ダメ(もののたとえ、鼻クソはいいのかも知れない)なのだな。

「天使が言いました・・・」とメッセージを伝えながら恨んだり妬んだり、欲こいたり、
ネガティブ丸出しじゃあ言ってることとやってることが一致せず魂は濁っちゃうってことで、
アセンションから遠くなるってことか。
ならば逆に本人の意識と言葉が一致しているものは
伝えた相手の魂に響くんじゃないだろうか。

私は自分が言葉と心は一致してるとは思う。
今の私は「鼻クソ」と魂が一致してるってことである(一致してても心には響きません)。
それもいいことかどうかと言うといいことではないだろう。
魂がきれいなら「鼻クソ」(連呼すんなよ)とかあっさり出てこないのでは?
一致してるとしても濁りもしなければ決してきれいにもならないだろう。
レベルというものがあるから上げてく気で生きてこうかなと思う。

そういえば「ありがとう」と繰り返して言ってればそういう風になってくるという人も
いるけれどそれはどうかと思っていた。
ホントにありがとうと思わなければ一致してないんだから魂に不健康ってことでは、と。
言葉に魂を合わせてくという意味ではアリだったんだなと思う。
潜在意識に届けるという意味でもアリなんだろう。
しかしその時に、その言葉に魂を乗せたるという気持ちは必要なんじゃないだろうか。

余談だけど「ついてる」連呼するというのは好きじゃない(個人的意見)。
「自分はついてる」と言い聞かす時に「ついてる人になりたい」という
ものすごい欲を感じるからである。
本当に自分は今ついてる、と言い聞かすということなのだろうが、
本当についてると感じてたらそもそも言い聞かさないだろう、
というのが今の私の考えである。

「皆にコレを絶対にひろめなくちゃ!」という感じも萎える。
ひろめてもらったはよいとしても、実行するかは選びたいところである。
「いいことなんだから是非やってみてくださいね♪」という言い回しはナニサマだと思う。
何であんたに「やる、やらない」を決められなきゃならんのだ、と。
とは言え、実際にこれをやっていいことがあったんだ、というサクセスストーリーを
読むのは面白いから好きである。

文章からにじみ出る楽しそうな印象も時には心地よいものである。
ずっとそういう感じならばだんだんと「なんだかな。あんたいつまで・・・」となるのであるが。
私にとって一番どうでもいいのは「面白くもなんともない文章」である。
一瞬でも「面白い」と思えるならそれはそれで私にはアリなのである。

<「舐めてる!」を読んで>(2008年6月12日)


Nさんから。

「人間のいろいろ」は本当にいろいろですね。
いろんな事象があるもんだな、と感じます。
 
心の在り方の天と地ですが、舐めてる!と感じること、私もあります。
昔ほどではないけれど、時々感じます。

私も他人から舐められますよ。
他人を舐める人、バカにする人は実際います。
高校生の時、同級生に舐められていたけど、その時私は
(ああ、舐めてるな、バカにしてるな)と、思っただけでした。
大人になってからもタチの悪い女が、一生けん命私をバカにするのを見て
可笑しくて笑いました。


自分に対する自信のなさがそう思わせるのだと思います。

そうかも。
二種類の場合があると思います。
こちらに落ち度、非が無い場合。

@本当に相手がバカにする場合
A本当は相手はバカにしていない場合

@の場合は怒ってしまってもしょうがないけど、
  (ああ、そういう奴なんだな)と、思えば腹も立たない。
Aの場合、こちらが誤解してはいけない。
  ちゃんと確認しないとね。
なので、他人からバカにされても舐められても別に怒る必要はありません。


絵と一緒に頂いたおみくじの「自信を持て」
最初はうっしゃー!とみなぎる感じでしたが、今はじんわり胸に染み入る言葉になっています。

相応しい言葉が行ったようですね。

精神状態によって感じ方も違うのかもしれません。

はい。
精神状態は常に変動していますから。


そして、ケモノって常に横でスタンバってるなと思いました。

そうですよ。
どこにでもいます。
というか、異次元(四次元)にいるんだけど、空間的には「ここ」にいます。


波動が落ちるのは一瞬だとパンドラでもよく目にする言葉ですが
本当なんだろうと思いますね、ケモノにいつ乗っ取られるかわからない。
気をつけないといけないですね。

常に意識を高く保ちましょう。
それには、自分の意識を観察する、もう一人の自分を持て、と
相似象の師匠は言ってます。
自分を客観視せよ、という意味です。

<感想>(2008年6月12日)


Rさんから感想が来ました。

<感受性について6・・・「私はまだ1/3なんだ!>を読みました。
 
これは『真実のアセンション』を読んだ後に思ったことですが、
アセンションへの情報や知識とかは、もう必要ないんじゃないかと思いました。
(ある程度の知識は必要だと思いますが)
というより、やることべきことというのは、実はもう既に知っているし。
ただ、そのやるべきこと、というのが、
とても地味で、退屈で、飽きてくるし、目に見えないし(当たり前)、
それに難しい。
進んでんだか、進んでないんだか、さっぱりわからないし。。
そうするとだんだん、(無意識にでも)疑いを持ち始めてきてしまったり、
(まぁ、つまりはめんどくさ〜になってくる自覚・無自覚有り)
で、刺激的なものに引かれていったり、
もっと簡単でやさしいものがあるんじゃないかな〜と思ってみたり。
でさらには、なんかこう、そういうのをやっていること自体に満足しちゃったり。
これも陶酔次元なのでしょうか。

まだ、思考の方法が分かってないようです。
日々、自分の意識を観察しましょう。


 
なので、上の記事を読んだ時、そうなんだよなぁ。。と思いました。
やっているようで、カッコばっかり。
それでやっているような気になっている。
やるもやらないも自分しだいだけど。
自分は一体、『何を』やりたいのか。やるべきなのか。
『どう』したいのか。するべきなのか。
それだけをじっくり、見ていけば自ずと見えてくるんですよね。
でもきっと、見続けるのが難しいんだろうな。
 
また一からやり直しです。
 
あともう一つ、
自分のやっていることや、自分自身を、正しい、と周りに証明したり、
証明するためのものを探したり、証明してくれる人を探したり、
する必要はないんだな。と思いました。

でも自分でそれ(証明)をやるのは難しいので
◆スマナサーラ師のような高波動の人が書いた書物を読む。
  シュタイナーでもいいです。
  高橋信次もお勧めします。
◆日月神示を読み、そこに書かれていることを基にして思考する。
  照らし合わせる。
  これをサニワと言いますが、これが一番高波動です。



以前ifさんは、
私は人から好かれたいとは思わない。とおっしゃっていましたが、
それと似ているのかな。。そんな感じです。ちょっと違うかも知れないですけど。
でも、周りから認められたり、褒められたりしても、
それは、それだけであって、
そのために何かをやる、とかでは違いますよね。
私は私のやることをやる。