人間のいろいろ 7


過去記事の中にkagari氏のことを書いているのがありますが、
それは現在削除していますがまだ残っているかもしれません。
もし見つけたら削除するので教えてくださいね。


<低級霊の定義>(2008年2月2日)


私なりの「低級霊の定義」を書きます。

「ラブフラワー」の管理人25(ふうこ)さんの知り合いのお子さん。
そのお子さんは小学生時代、不思議な能力を発揮していたそうです。
(いまも発揮しているかどうかは分かりません)

そのお子さんが言うには・・・
「世の中には白い人と黒い人、灰色の人がいる。」
白い人とというのはこころがきれいで魂の輝きが外に出ている人らしい。
黒い人というのは心の状態が悪く(妬みそねみやっかみ、怒り憎しみ悲しみなど)
魂の輝きが汚れた想念(帯)によって邪魔され暗くなっている人のようです。
灰色の人というのが最も多く、お子さんが言うには
「灰色の人が一番悪い」そうです。


で、これを基に

白い人=低級霊が憑いてない人
灰色の人=低級霊に憑かれた人(本人が低級なので憑かれる)
黒い人=悪霊に憑かれた人(本人のタチが非常に悪く常に悪想念を抱き
                   物事を悪く受け取り周囲に悪想念をふりまいている人。
                   犯罪者も入る)


とします。



「資料室」→「意識レベル1」の表で、レベル200未満が灰色〜黒に
当たると思っています。
(まだ考え中です)

<おとなしい低級霊憑き>(2008年2月2日)


低級霊と聞くと乱暴で他人に害悪をもたらすもの、と思いがちですが、
違いますね。
ひたすら「低級」なだけです。
なので、とてもおとなしい「低級霊憑き」が沢山いるわけですよ。

私の感触ではおとなしい低級霊の方は思考力が無い。
頭に
もやがかかったような感じです。
本人は「善い人」なだけに気の毒です。

日月神は低級霊憑きのことを「獣の入れ物」と言ってますが、
おとなしい低級霊憑きの方は獣は獣でもうさぎや羊など
おとなしい動物に似ている。

害は無い。

しかし本人には思考力は無く物事を正しく見られず心の中に
常に葛藤を抱えていたり、普段は上機嫌でも少しのことで落ち込み
暗くなり人を恨み世を恨む。
しかも誤解してw

これはマットウな人間のすることではありません。
気の毒ですが獣の入れ物と言えます。




私自身も低級霊憑き(想念悪い)ではありますが、
このような「善意の低級霊憑き」の方のお役に立つために
PANDORAがあります。

少しでも白くなりましょう、私と共に。

<犯罪者>(2008年2月2日)


黒い人に当てはまると思いますが、犯罪者。
犯罪者の中には有り得ない考え方をする人がいる。
とり憑かれた結果でしょう。

<灰色の人が一番悪い>(2008年2月2日)


上の方の記事の
「灰色の人が一番悪い」ということについて考えてみました。

白でも黒でもない。
灰色が何故悪いのか?

黒なら自分が苦しいので当人が気づけるかもしれないのと、
悪い心を発揮すればそれは周囲にロクな影響を与えない。
従ってその影響を受けた人の反応は当然「悪いもの」となる。
それによって、自分がしたことの結果を見ることになり、
そのことからも当人が気づけるかもしれない。

そのコトが悪いコトだとは分からなくても、結果が悪いということは分かる。
他人は滅多に指摘してくれませんが、警察などが指摘してくれます。
なので、まだ良い、、、、のだと思います。

灰色の人は当人は良いことをして生きているつもりです。
積極的に悪は行わないし、心も特別苦しいわけではない。
それが「普通」だからです。
しかし心が「白」かといえば白ではありません。


どっちつかずで一生悟れない方です。
灰色は、白に近い灰色から黒に近い灰色まで無数にあります。
白に近ければいいのではないか、と思うかもしれませんが違うと思う。

白に近い灰色の人は自分を白と錯覚するのではないだろうか?
あまりにも「白に近い」からです。
なので、こういう人はたぶん自分を白と錯覚し何も改善しようとしないし
本人の意識としては「白」なのでしょう。
しかし、灰色はいくら白に近くても「灰色」です、白ではない。

これならむしろ「黒」に近い灰色の人の方がマシなのでは?
心の状態が悪いことを自覚出来さえすれば。
またそれを自力で改善したいと思えば。
なので、「白に近い灰色」の人より「黒に近い灰色」の人の方が
何かを悟るチャンスがあるかもしれません。



白と黒は大変少なく、世の中の殆どの人は灰色だそうです。
だとすれば「自分は灰色なのではないか」と疑い、
自分の思いを点検し、灰色たらしめている部分を探し、
そこを自覚して改善、浄化した方が良いと思います。


そういう方のためにPANDORAがあります。
管理人自ら「灰色」と自覚し(うううっ!)悪想念を少しでも減らそうと
黒に近い灰色から白に近い灰色になるべく
さらには「白」を目標にして、日夜奮励努力、
四六時中(忘れてない時は)心を点検している次第で御座います。

<低級霊は低級霊を増やす>(2008年2月5日)


或る人から聞いた話。
Aさん(女性)はBさん(男性)と付き合っていました。
Bさん、最初の頃は良かったそうです。
仕事は順調収入沢山、元気で明るく順風満帆。

ところがある時からだんだん物事が巧く行かなくなりました。
仕事を替えるBさん。
何度も替えた。
だんだん収入が減って来た。
性格はどんどん暗くなり、病気になってしまった。

最初から最後までそれを見ていたAさん。
Aさんは性格も頭も良いのに、Bさんとの喧嘩とBさんの言いがかりに
心が参ってしまったそうです。

で、Aさんもどんどん暗く異常な精神状態になったそうです。

一人の低級霊憑きがもう一人、低級霊憑きを増やしたことになる。
Aさんは憔悴しきってPANDORAに来て記事を読んだそうです。
絵も依頼してくれました。

下に向いていた人生のベクトルが上を向きました。
それから数年(と、言っても開設してまだ3年未満)、
Aさんはすっかり回復し明るい心になっています。
私は明るいAさんしか知りません。
Aさんから「実は・・・」と聞かされて初めて暗かった過去を知ったのです。

AさんはBさんとの波長があまりにも違ってしまったので、
いずれ別れることになりそうです。




AさんはBさんとの付き合いで魂(たま)の戦(いくさ)に
一時的に負けてしまったんですね。
毎日ヒドい目に遭っていたら、誰でもそうなります。
そこから抜け出せて良かったです。
やはりAさんの魂は強かったんですね。




Aさん(女性)、ヒドイ目に遭って終わり・・・ではありません。
ヒドい目に遭って、そこから何かを学び知恵と知識をつける。
魂も鍛えられるので、これからは少しのことでは動じなくなります。
Aさんは沢山学び、体験したのです。
これも自分が用意したことかもしれません。

<低級霊→悪霊>(2008年2月5日)


さて、上の記事のBさん(男性)です。
Bさんは最初は順風満帆、明るかった。
でも仕事のことで何かがっかりすることやガマン出来ないこと怒りを覚えることがあった。
(会社を変わらざるを得なかったことなど)

それが切っ掛けで心が暗くなってしまった。
そこに低級霊が憑いた。

で、誰でも憑かれるわけですよ、低級霊には。
そんなことは珍しくないです。
低級な思いで居れば同じもの(低級)が憑くだけです。
多分会社や上司や世の中を呪っていたのではないか?
呪いの波動を出せばそれと同じものが来ますからね。

だからBさんはたとえつらいことがあって心が暗くなっても
自分で立て直せば良かったのです。
せっかくAさんという素敵な女性がそばに居てくれるんだから
慰められるし楽しいことだってあるでしょう。

しかし、あまりにも暗く呪いの想念を発しているBさんは
Aさんに感謝するどころか、どんどん暗くなって行ったのでした。



この「感謝」ということが出来ない人が多い。
Bさんは前の会社と比べてどんどん規模が小さくボロくなって行く
自分の勤務先を恥と思ったか、ガッカリしたか、怒りを感じたか。
もしそうなら、その会社で感じるのは「恥」と「ガッカリ」と「怒り」です。

その会社に居ることで恥とガッカリと怒りをしょっちゅう体験することになる。
感謝しないし、自分の心の通りのことが展開する。
全て自分が招いたことです。

しかし、普通の人はまさかそれを自分が招いたなどとは思わない。
知らないからですね。
皆がこの法則を知れば、無駄な苦痛はなくなりますが、
殆どの人は知らないし、教えても感情的になって終わりです。
(※私がちょっとでもそういう話をしようとしたら
   「どうだっていいよ!そんなこと!」と、急に声を荒げた女もいる。
   怒りゃしませんし、ガッカリもしません。
   こんなモンかな、と思うだけです)
それが普通の世界です。



で、そのBさんは二番目の会社に落胆したので、
さらにそれを下回る会社に移動することになりました。
(日月神はこれを
「もう一段下の地獄あるのぞ」と言ってます)
何故こうなるかというと、二番目の会社に勤務出来ることの幸せを分からないので、
では分からせてやろうと、運命(自分)が、さらに下の場所を用意するからです。
そうすれば二番目の会社がどれほど良い会社だったか、「分かる」。
そうしないと分からないので、分かる方向に運命が動くのです。

これは会社だけの話ではありません。

誰でも「今、自分が居る場所」を認め、感謝しなければその上には行けない。
殆どの人はこの反対なので(ああ、あの時は良かった)と後悔(分かること)する方を
選んでいますね。



このようなことを人生において何度も繰り返している人が多いのでは?
このようなことというのは、
「その場所(ひと)に感謝せず、それを失ってから
(ああ、あの場所(ひと)は良かった!)と、後から悟ること」
です。

通常人はそういう分かり方しか出来ないのです。

さて、このBさんは今だに何も悟らず、全てを呪って生きているようです。
AさんはBさんに精神のこと、心の法則のことを教えましたが、
嫌がって一切聴かないそうです。

完璧に低級霊が憑いてますね。
最初暗くなった時より症状がさらに悪化しているそうです。
ちょっと喧嘩になると目の色が変わって殴る蹴るが始まるそうなので、
そうなるとこれは悪霊が憑依しているのだと思います。

最初はちょっと暗くなっただけで低級霊が憑いた。
その時自分の境遇に感謝し(会社勤めが出来る幸せ)ていれば低級霊は逃げて行った。

しかしBさんはそこで自分の境遇を呪ってしまった。
するとさらに悪い環境になった。
ここで反省すれば良かったが、その時も当然運命を呪った。

そうするとさらに悪い環境になった。
ここで反省すれば良かったが、心は既に低級霊が憑きっぱなしになっていて
他人の忠告も聴けなくなっていた。

灰色からどんどん黒になって行ってます。
今のBさんはたぶん黒でしょうね。
こうなる前に何度も気づくチャンスがあったのに。
Bさんはまだ生きているのでまだ気づくチャンスはあります。
生きている限り気づくチャンスはあるので、気づいて欲しいなと思います。

<一見「善いこと」をする人>(2008年2月3日)


たまにサイト(ブログ)で、こういうコトを書いてる人を発見します。
「売上の一部または全部を、〜〜に寄付します」と。

こういうコトを書くってことの奇妙さを管理人は知らないのだろう。

イエス・キリスト曰く
「右手がしたことを左手に知らせるな」(だっけ?)
つまり、自分がいかに善いことをしても、それを皆に知らせては
何にもならないのである・・・ってことです。
自分にも知らせるなってことです。

誰がそうだったのか覚えてないが、そういう日記を読むと
感心するどころか、その低級さに私は暗澹となっています。

何故私が暗澹となるのか、そういうサイトの管理人には想像を絶するでしょう。
下から上は分からないからです。
面倒臭いが説明しましょう。



もし、その管理人が寄付やボランティアをしたいなら、黙ってすればいいのです。
何も公にする必要はありません。
黙って誰にも知られず黙々と好きなこと(善いこと)をすれば良い。
それを
「陰徳を積む」と言います。
人に知られず隠れて善行をすることです。
自分の心が満足すれば良いのです。

イエス・キリストが言ったのは
「自分がした良いことを自分にも知らせてはいけない」ということでしょう。
「善いことをした」ってことなど、したら即忘れるが良い。
良いことをして自慢したり、得意になったりするなら「やらない方が良い」


私が応援するのは「お金を得る必要がある人」です。
遊び半分、ボランティア半分、売上は寄付の方を応援する気は全くありません。
そういう方を応援する人を好む人も世の中には沢山いるので、
そちらと縁を繋ぐのがよろしい。

で、私は上記の方が自分で稼いだお金をどのように使おうと
勿論文句は言いません、勝手にやればよろしい。
なので、その方たちが売上を全額寄付しようと家屋敷を売り払って貧民に施そうと
それは私の関知するところではありません。




ここに説明したことが分からない方がいるかもしれない。
私はこれからそういう方を探しだし、申し訳ないがリンクを解除します。
何故そんなヒドイことをするのかって?
理由は上に書いてありますよ。
理解出来なければ理解できるまで読んでください。

それでも分からない?



それは・・・そういう考えがあまりにも
低級で愚劣で汚らわしいからです。

<善人の自己中再び>(2008年2月3日)


今まで「人間のいろいろ」を読んでくださった方には分かると思いますが。

善人とは意識の上で「善いこと」だけをする人です。
その「善いこと」が、本当に善いことなのかどうか、検証をしません。
だってハナっからそれを「善いこと」だと信じて疑わないからです。

ここでその善人の方が
(アタシがやってる「善いこと」って本当に善いことなんだろうか?
自分だけで思っているだけではないか?)と、自分を顧みることは
90%無いのではないでしょうか?

なので、
最もタチが悪いのは「善人」なのです。


善人が善いことをして、それが善いことで無かったとしても世の大方の人は
それを指摘しません。
だって、別に自分とは関係無い、アタシには関係ない。
迷惑掛けられたわけじゃ無し。
と思って放置するのではないでしょうか?

悪人(性格と頭が悪い人)がした「悪いこと」なら
世の大方の人は迷惑を受けるし、それって「常識」からしても変だし
犯罪だし・・・で悪く言われると思う。
勇気のある人が注意をするかもしれません。
被害者が文句を言うかもしれません。
警察が逮捕しに来るかもしれません。

なので、悪人がした悪いことは即「悪いこと」だと分かる。
でも、善人がした「善いこと」はそれが悪いとは、一生気づくチャンスが無い。
この場合の善人とは「灰色」の人です。

25さんの知り合いのお子さんが小学生の頃
「世の中には白い人と黒い人、灰色の人がいる。
一番悪いのは灰色の人」
と言った理由が分かります。

善人の方は悪人の方よりも細心の注意を払って自分の言動、行動を
監視しなくてはならない。
誰もあなたに注意などしてくれません。
だって、誰も迷惑は被らないし、法律も犯してませんから。

<他人を自分のボランティアに巻き込む人>(2008年2月4日)


数年前のこと。
或る情報紙を発行している人がいました。
月に2回も3回も発送している。
なのに料金がとても安い。
何故その安さなのか訊いてみたら
「これ(情報紙)で儲けようと思ってないので赤字です。
発行すればするほど赤字になるんです。」

という答え。

私はその情報紙を取るのを止めました。


私の本質として
「成功、豊富、向上、拡大、生産、発展」というのがあります。
(生まれた時の木星の位置が吉角だそうで)
なので、上記の要素が無いものには興味がありません。

売れば売るほど赤字になるものには興味が無いのです。
むしろ売れば売るほど赤字になって、この方が損をするなら
いっそ買わないでおこう、だって可哀想だもん、と考えます。

何故この情報紙発行人は売れば売るほど赤字になることをしているのでしょう?

自分の生業は他にあり、それで稼ぐので他で稼ぐ必要がない。
情報誌はお金のためではなく、世の中に真実を知らしめるため
正義のためにやっている、とでも考えているのでしょうか。

正義のために発行していてもそれにはお金と時間がかかっています。
なのでそこには対価が支払われて当然ですが、
この方は赤字なのでそれは既にボランティアですね。


私は他人のボランティアに付き合う気はないので、パスしました。

ボランティアしたいなら、一人で行えば済むことです。
他人を巻き込むところが面倒です。
上の方の記事
<一見「善いこと」をする人>も同じです。
何も自分のボランティアに他人(御客)を巻き込むことはない。
自分で一生懸命金を稼ぎ、そこから寄付すれば良い。


自分の意識ではそれを「善いこと」と思っているので、
まさかそれを批判されるとは思わないだろうなぁ、と思うので
だから灰色の人は救い難いのです。

<ボランティアする人>(2008年2月4日)


上の記事とは違って、自分がボランティアしている人からメールが来ました。
上の方の記事<一見「善いこと」をする人>を読んで
「実は私は或る(身体を使う)ボランティアをしていて、それをブログに書いたり
しています。」とありました。

いいんじゃないでしょうか。

この人は貴重な時間と労力を使ってボランティアしている。
褒められこそすれ批判されません。


私が<一見「善いこと」をする人>を批判したのは
ボランティアのやり方がストレートではないのでそこが気持ち悪いからです。
自分が金を寄付したいなら、黙ってこっそりやれば済むものを
「自分が〜〜した代金を寄付に充てる」という回りくどさ。
なんて屈折しているのでしょう。

また自分のボランティアに他人(御客)を巻き込んで平然としている、
その神経を疑う。

また、金を寄付するなんてのは、一番楽なんです。
私もそうですが、「自分が要らないモノを他人に回す」なんてのが一番楽。

モノが余っていたらモノを回せば良い。
金が余っていたら金を回せば良い。
余ってなければ回さなければ良い。
単純ですよね。
(※金はいくらあっても決して余ることは無い、のは分かっていますが)

それに比べると自分の時間を使うボランティアはちょっと違う。
金は沢山持っている人と、少ししか持ってない人がいますが、
時間は皆同じ一日24時間です。
この貴重な時間を割いてボランティアするのは勇気が要ります。
いいことだと思いますよ。

メールをくれた方が「ボランティアしていることをブログについ書いてしまう」と
書いてましたが、ボランティアをすることによってさまざまなことを体験するので
いいのではないでしょうか?

<「魂の戦」事例1>(2008年1月29日)


上の記事を読んだYさんから報告がありました。


おはようございます。Yです。
先ほど、パンドラの人間のはなしの「魂の戦」を読みました。
私のブログにも、もうたまらず書いてしまいましたが、
多分、憑かれてるんやないかと思う子がいます。


私は病院に勤めているので、患者さんにもあきらかーにダークな物をもってはる人がいますが
同じスタッフで、24の女の子で、常にマイナス思考。
一度、仕事帰りにご飯を食べに行きましたが、内容は妬み、嫉妬、逆恨みでした。
彼女が言うには、(彼女はセラピストの卵です。)
自分が診たい患者さんを他の人がとる、あの子ばっかりみんなが可愛がる、
あの先生は、実は口だけや…など。

私は病院に転職したてで、スタッフの事がわからない時期にご飯に誘われ行ったもので、
また、状況も判断しきれなかったと言うことや、彼女の感情に巻き込まれ、
何日間か腹が立ってました。

セラピストの低波動の影響を受けてしまった、ってことですね?
それが「魂の戦」に負けている状態です。


二日目ぐらいに「あれ?この先生は、すごく理解が(波動が)高いし、
経験豊富だし、彼女が言うほどの人でない」と気づいたのでした。

悪影響が二日間くらいで良かったです。
もともとYさんはマットウな方なのと内省出来るので、セラピストと同調したまんま、
ではなかった。
自力で元に戻ったようです。


その先生は、男性で、いかついですが、深い愛の持ち主で、
あえて厳しい愛の鞭をふるうのですが、
彼女の目には「怖くてわがままなひどい先生」に見えるらしい。

Yさんに「物事、人物を公平に見る能力」があって良かった。
もしなかったら、セラピストの言い分を真に受けて彼女に同調したままだったでしょう。
他人の言うことを真に受け同調し一緒になって憎んだりする人が多い。
主婦の中に沢山いるのを知って私は驚きました。
まず、そういう人たちは「確認しない」のです。
知性が無いにもほどがある・・・と言いたくなるが、多くの主婦は低次の心を使って
生きているので、そうなってしまいます。
何も知らず分からないで生きていると、そうなります。

その結果低級霊が憑いた人から悪影響を受けてしまう。
それが慢性的になると、低級霊憑きが一人増えることになります。


そんなこんなで、私は病院で半年たった今、彼女に色々なものの積み重ねで、
しゃべりかけられるのも、同じ日に出勤するのも、ウンザリしている日があり、
(顔色が変だったみたいです)

これも魂の行くさに半ば負けている状態です。
心が暗くなるのがそうなんです。
負けてはいけない。


ある日、彼女が嫌う先生にポロッと話をしていたら、
彼女はいっても逆恨みするし落ち込みが激しい。…と。


どうやら最近たまりかねていたことは、
他のスタッフはほぼ思ってたことらしく、みんな困ってました。
私は、彼女には姉的存在らしくめっちゃ依存されてるみたいで、
最近一週間ほど、出勤前に家事をしていても突然彼女のことが気になって気になって
(名前を呼ばれる感じとか言葉が、怒りがこみ上げてくる)、
引っ張られてるんやなあ。たまりませんでした。
弱い自分がいるので、引っ張られてる。イヤでした。

ドリーン女史が本に書いてますが、人のマイナスなエネルギー、依存心のエネルギーが
実際に「来る」そうです。
それを自覚し意識して「断ち切る」方法を紹介していますよ。


先週、仕事してるとダークな患者さんが来院しました。
治療してるベッド近くを通るとなにやら圧迫する暗いものが、
感じられ「やだな〜」と思ってたら、激しい胃痛が!
ちょっとこのところ、彼女の事で色々悩んでたのが、
胃痛となってたみたいなんですが、
そこへダークな患者さんからの追い討ちがあり、大変でした。
その夜は胃痛と戦いでした。


あぁ、これは弱らされてるなぁ、ほんま強くなりたい!と思いました。
で、「魂の戦」で、戦をかけられたのだな!と思いましたので、メールしました。
自分は天使にお願いして、つながりを切ってもらうイメージを何度も何度もしたり、
シールドをイメージしたり、やっと少し楽になってきましたが、
病院なので、病んでる色々な人がやって来ます。
身を守らないといけないのです。
今が魂の鍛錬の時ですわ。と言うことです。


Yさん大変ですね。
Yさんは「魂の戦」を仕掛けられたと書いてますが、それは主に「依存」のことですね。
依存のどこが戦なのだ・・・と思うかもしれませんが、
相手に寄りかかり相手のエネルギーを吸い取り相手を自分の波長と同調させる、
という点が、まるで戦を仕掛けているようです。
あとは「常に嫌な気を発している」ところも、それをまともに受けてしまえば
魂の戦に負けることになります。



「依存する人させる人」というタイトルで書こうと思っています。
「する人」は問題だが、「させる人」も問題です。

<お金を受け入れる心>(2008年1月27日)


お金が無い、お金の苦労をしている、という方から絵の依頼がありました。
どういうコトなのか事情を訊いてみました。
すると過去にあるずるい人から騙されて、大きな借金を背負わされたというのです。
なので依頼者の方の心には「金儲けをする人は悪い人だ」ということが
インプットされてしまったのです。
潜在意識にインプットされています。

事情を何度も詳しく訊いたら少々感情的になったご様子。
これはこの問題がこの方に「感情のしこりとなっていること」の証拠です。

依頼者の方は金が欲しいと言いつつ、潜在意識で全身で無意識で
「金儲けする人は悪人なのだ!」と思っている。
これでは金が儲かるわけはありません。
だって、もし商売が巧く行って金が入ったとしましょう。

するとこの方は「自分が悪人」となってしまうので、それでは困る。
なので、常に「金が無い」「商売が巧く行かない」のです。
この方の心は「商売巧い人は悪人」なのだ、でも自分は悪人ではない、
だから商売は巧く行かず、従って悪人ではない、でもお金は足りない、
と堂々巡りを十数年していたようです。

私はそこらへんをこの方に気づいてもらいたく、何度かメールをやり取りしました。
この方は性格が良く素直だったので、それが「分かりました」。
依頼者の中には私が事情を詳しく知るために数回メールをやり取りすると
感情的になり(潜在意識に溜まった怒りが表面化)怒る人がいますからね。




この方のように会話だけで悟る人は稀です。
過去にこの方を騙した人を心で許したそうです。

許すために名前を紙に書き燃やしたり
「もう、許したから」とアフォーメションを繰り返しました。


具体的な行動もしてたんですね、凄いや。

私が何故ここまでやるかというと、たとえ絵を描いても、
依頼者の潜在意識が「金は要らない」なら、金が入るわけがないからです。
絵は「本人が要らないモノ」など引きよせてくれません。
本人が心から欲しいものを持って来るお手伝いをするだけです。

だから、いくら絵があってもダメなんですよ。
絵があっても堕ちて行った人は沢山居るんですよ。
「人生の主役は自分」絵や鑑定はあくまでも脇役です。




さて、この方はある商売をしています。
絵が届いて飾ったそうです。すると十数年、近所に住んでいながら
来たことが無かったお客さんが来たそうです。
そして「これからもお世話になるから」と、この方と従業員に多大なチップを置いて
行ったそうです。
「金運up」絵を頼むと絵の代金分のお金はすぐ入るって、コレのことか、と
驚いたそうです。

絵には心を変える作用が少しはあると思いますが、
絵でもダメなものはダメで、やはり本人が何事かを悟ることが一番ですね。
心ってなかなか変わりません。
この方の心が変化したことは奇跡です。


これからは商売繁盛するでしょう。良かったです。

<上から下も分からない>(2008年1月25日)


下の方に<下から上は分からない>という記事を書きましたが、
上から下も分かりません。

想像を絶する。

相手はこう思っているだろうなぁ・・・と見当がつくのは自分のレベル(判断力)が近いか、
感覚(感受性)が似ている場合。
かけ離れていれば想像を超えてしまう。

心が住む世界が違う。

心の世界とは霊界のことなのでだから霊界には膨大な霊界(同レベルの集団)がある、
ってのも頷けます。
この世の苦しみや不満や落胆・誤解・嫌悪などの原因は「意識レベルの違い」
「感覚(感受性)の違い」から生じるので、あの世には天国しかない、と言えます。
だって「自分の心の世界」が展開しているんだもん。

傍から見たら地獄にしか見えなくても当人にとってはそこは「天国」。
素晴らしいです。
しかし・・・そこは自分と同レベルの霊の集まり。
なので、そこで向上しようと思っても難しいでしょう。
「霊界に何百年居てもなかなか魂のレベルが上がらない」と、言われているのは
そういう理由からでしょう。

<日本に生まれた幸運>(2008年1月25日)


この世はあらゆる意識レベル(魂の次元)の方の集まり。
もし本気で向上しようと思えばこれはチャンスです。
本気になれば「分かり難いことが分かる」ようになるから。

さらにその日食べるもののことしか考えられない、本も手に入らない、
インターネットなど夢のような国も世界に沢山ある。
今、日本に生まれているということがどんなにラッキーなことか、
と私は良く思います。

日本にいれば気づくチャンスはいたるところに転がっています。

何重にも恵まれた日本人。
そのチャンスを掴まないのは勿体ない。

<私もやった「下から上は分からない」>(2008年1月22日)


下から上は分からないというのは、私もパート仕事をしていた時やりました。

職場の先輩の「お釣りを入れる箱」を見たら、札が逆さまに入っていた。
私はそれを見て(げっ、いったいコレは何?)と、驚きました。
先輩のことを(変な人)と思いました。
この先輩は職場の中では一番仕事が出来、性格も頭も良い。
なのに何故こんな変なコトをするんだろう?と、頭の中に「?マーク」がいっぱいになった。
他のパートさんを見てもこんなコトをしている人は居ません。
何故だ?何故だ?毎日考え、先輩を観察しました。
この先輩と仕事で組むのは数日に一度だけです。

それから半月ほど経ってからやっと分かりました。
御客さんにお釣りを渡す際、お客さんに札が正位置で渡せるよう、
箱からそのまま出して渡せるよう、時間を短縮するために最初から逆さまにしていたのです。
(凄い・・・)
即、真似をしました。


このように能力が下の者からは上の者がやっていることが分からない。
理由が分からないのです。
私は(何故だ?)と、考えることが出来るので理由を知りたいと思ったので
早めに先輩を断罪し陰口を叩かずに済みました。
何故だ?と考える人は少ないようですね。
皆さん賢いので即判断し断罪する傾向がある。
私も断罪しますがそれまで少なくとも半年は観察し情報を集めます。

私が何故?と考えるのは
頭人間(感情より理屈優先)だからですが、
通常女は
心人間(理屈より感情優先)なので、即誤解しては陰口を叩くのではないか?
感情優先の人を相似象では「心有る人間」とは言わない。
低次の人間(サヌキでもアワでも)と言います。

私も先輩が札を逆に入れているのを見た時は(げっ、変)と思ったので
誤解したのは事実だからこの点では「罪」を犯しています。
頭人間と言っても頭が良いわけではないんです。
頭が良ければ瞬時に理由が分かるからです。

自分の分からなさを棚に上げて他人を断罪するという罪を、多くの人がやっていると思います。
心の罪です。
本人はそれをまさか「悪い」とは思わない。
だから困る。
間違った考えを抱いたことは自分に返り様々な災厄をもたらす。
病気の人多いですね。
自分では罪を犯している自覚がないのですが、このように「自覚出来ない心の罪」
(間違った考えからくる間違った感情)が原因です。


西郷隆盛は他人から見たらバカのように見えたでしょう。
見る目の無い人には何を見ても何も見えない。
西郷どんの偉大さを分かるのは西郷どんと同レベル以上の人かレベルは低くても素直な人。

賢くないならせめて素直に生きたいと思います。

<能力と才能>(2008年1月20日)


ここで使ってる言葉について定義します。

◇能力=物事が分かる能力。
      波動量。アワ。本当の知恵、賢さ。
      それを見るにはそれと同等かそれ以上の能力が必要。

◇才能=物事をする能力。サヌキ。
       仕事趣味など、見て分かるもの。
       物事が分かる能力は必要なく、誰にでも見える。
       数値化出来ることが多い。

<コントロールする人1>(2008年1月6日)この話題は続きます。


「パンドラの壺」→「怪我・病気の話」→<ギックリ腰>に書きましたが、
他人をコントロールする人、他人を自分の意のままに動かしたい人、ってのがいます。
サヌキ人間です。
でも優しいアワ人間でもやります。
当然「低次」の人達で、自覚はありません。

無自覚無意識で他人をコントロール、意のままに動かしたい人。
このような低次元のことをするのだから、自覚なんてありません。
当人はそれを「善い」と思ってやっているのです。

私も低次元ですが、そこまでではないのです。
ネットの商売をやってる他人のサイトを、見るに見かねて忠告したりしますが、
基本的には他人が何をやろうと自由、という立場。

では、どういうのがコントロールなのか、下に実例を挙げてみましょう。

<コントロールする人3>(2008年1月8日)


主人の話ですw

主人は子供達をコントロールしますが、女房のこともコントロールします。
父親が母親に「あれをしろ、これをしろ、あれをやってない、これもやってない」と
毎日一年中一生言っていたので、それを学習してしまい、
それ以外のやり方(コントロールしない)があることを知らないのでしょう。

主人が私に何をコントロールするかというと・・・
以前の話です。

◆毎週日曜日になると、主人は早起きして家の中が雑然としていることに腹を立てていました。
  台所にモノが溢れていたり、汚かったりするのが我慢ならないらしい。
  朝からあちこちを見たりいじったりしては自分で掃除をしながら文句を言い続けていました。
  朝から午後までブツクサ言い続ける。
  私は朝から主人が文句を言うのを無視していますが、午後1時頃にはキレて
  「いい加減にしろ!!!」とどなっていました。

  主人の弟も同様だそうで、奥さんは怒っていましたね。 
  (亭主躾け用)竹刀を用意したようです。


◆主人が帰宅するととにかく「足りない面」に目が行く人なので、
  食器を洗い上げてあるかごを見て「食器を片づけろ」と言う。
  なので、私は今度は食器を洗わないておきます。
  シンクには食器が沢山入ってる。
  食器を洗っておいたら文句を言われるのなら、最初から洗わないことにしました。
  すると今度は主人、食器を洗えと言うのです。
  なので、私は今度は食器や鍋などを汚さないよう、弁当かパンを買うか子供と外食です。
  これなら食器も鍋も使わないので、OK。

  このように常に他人や物事のマイナス部分に目が行く人がいる。
  そういう人の目の前にはさらなるマイナスが展開して行きますね。
  自分で招いたことです。

  それから、家事はどのようなやり方であれ、主婦がやることです。
  主婦には主婦のやり方がある。
  そこには個性もあり、能力の差もある。
  家事が大好きで完璧にやることに喜びを見出す主婦もいるでしょう。
  でも、家事は「死なない程度」にやるのが好きな主婦もいます。
  その家の家事は主婦の能力と個性が出るのです。
  それを亭主がああだこうだ口を出すのは間違っていますね。
  もし亭主が自分の思う通りの家事(のレベル)をさせたいのなら、
  女房を替えなくてはなりません。
  実際に替わる場合があるのではないか?
  
  もし女房が亭主の会社へ行き、亭主の仕事ぶりにクチを出したら変ですよね?
  それと同じことなのだ・・・ということを亭主は理解しなくてはいけない。


◆それからまだやってるのですが、「〜〜しろ。」と私に命令する。
  掃除しろとか、面倒臭い。
  掃除は私がしたいときにします。
  その他のことも全て「私がしたいと思った時、私が必要性を感じた時にします」。
  亭主がしたいなら自分でやれば良いのです。
  「やりたい奴がやれ。」「自分でやれば?」と言ってやります。
  主人の父が一日中母に命令していたので、何の悪気も無く
  女房に命令する、まさかこれが悪いと思ってない、当り前だと思ってる。
  だから、うちの主人には「何故女房がこんなにオレに逆らうのか」理解出来ない。
  怒る→憎む。
  私は他人がどのような感情を持とうとその人の自由だと思ってるので、
  自由にさせておきますが。

  


しかし、うちの主人の私へのコントロールは何十回もヒドい目に遭って
さすがに学習したのでしょうか、最近は少なくなりました。
主人はほぼ、何も言わないでいます。
たまにはまた台所でブツクサ言ってますがね。
そういうのを大目に見て、聞こえないふりとをしているとまた調子に乗るので、
一言でも聞こえたらどなることにしています、私が。

ちょっとでもコントロールしようとしたら、その場で文句を言うことにしています。
殆ど学習ということが出来ない主人ですが、犬の訓練と同じで
何度も何度も思い知らせる必要があります。
忍耐力がないとダメですね、女房に。

<コントロールとは何か?>(2008年1月8日)


他人をコントロールする人は、自分が他人をコントロールしている自覚がないのです。
本人はそれを
◇躾け
◇教育
◇親切
◇当然のこと
◇善いこと
◇義務
と思っています。

コントロールとは・・・

「本来、他人が決定するべきこと行動するべきことなのに
自分が『良かれ』と思ってまたは思わないで、他人を操作・自分の意のままに
動かすこと」
です。

主役は他人なのに、何故か当人に主役をさせないで、自分がしゃしゃり出ること。

<どういうヒトが他人をコントロールするのか?>
(2008年1月8日)

それは、上に挙げた「躾け」「教育」「親切」と、コントロールの違いが分からない人がします。
つまり、思考力、判断力の無い人です。
それらの差が分からない。

差取り=サトリ=悟り

がない人です。

このような人にコントロールをするな、と言っても理解しません。
そういう人はいくら考えてもその差が分からない。
周囲は大変迷惑します。



サヌキだからやる、アワだからやらない・・・ということではありません。
アワの人はサヌキの人よりよけいやりますね。
アワの人の意識は「他人の役に立ちたい」のです。
それって、上に挙げた

◇躾け
◇教育
◇親切
◇当然のこと
◇善いこと
◇義務

のことではありませんか。
なので、一生懸命相手のために「コントロールします」。


アワとサヌキの違いはコントロールをする時の意識。
サヌキ=オレの言うことをきけ!何でオレの言うことを聞かないのだ(怒
アワ=あなたのために言ってるのよ。何故お母さんの言うことが分からないの(泣
行動が直線的かそうでないか、感情が怒るか泣くかの違いがあるだけで
レベルが同じように低ければ同じことをします。


アワとサヌキの違いはそれだけなんです。
重要ではありません。
重要なのはレベル(波動量)なんです。


私はアワな友人達が一生懸命子供をコントロールする姿を見ました。呆れました。

<のだめ人気>(2008年1月5日)


今、テレビで「のだめカンタービレ」の再放送と、新番組を放送しています。
2001年から連載された少女向けコミックを2006年秋にドラマ化された
「のだめ」は大変人気がある。
我が家では再放送と、昨日放送された新番組を見ましたが面白かった。

それを見て気づいたことがあります。
ドラマの「のだめ」はコミックをそのまま再現しているのです。

今までもコミックをドラマ化した作品は沢山ありました。
しかしそれは「コミック」が原作・・・というだけでした。
原案はコミック・・・というモノすらありました。

これではコミックのファンはガッカリしますよね?
コミックを見ていなければそのドラマは面白いかもしれない。
けれど、コミックを見た人、ファンの人なら原作と違うということは
ムカつきこそすれ、楽しくはないでしょう。

これは小説を読む人もそうですね。
小説を読んだ人なら分かると思いますが、自分が好きな小説、
読んだことのある小説が、ドラマ化されたら換骨奪胎され
原作とは似ても似つかぬモノになっていた・・・
ガッカリするか腹が立つか、どちらかでしょう。

「のだめ」はコミックを忠実に再現しているのです。
これが人気の秘密です。
ファンはドラマの筋を楽しむというよりは
「どれくらいコミックに忠実に再現しているか」を見ているのです。
場面とマンガのコマ(記憶)とを照らし合わせ、楽しんでいる。
(まぁ、オタクっちゃあオタクだが)

私も「ガラスの仮面」(ドラマ)を見て「月影千草」がそっくりなので笑った。
あのドラマも人気がありましたよね。


さて、「のだめ」に出てたオーケストラが「のだめフィル」だったっけ?
という名前で実際に三次元で活動し、人気が高くスケジュールびっしりだそうです。
クラシックに縁の無かった若い人に人気だそうです。



原作に忠実といえば「ハリー・ポッター」「ロード・オブ・ザ・リング」などもそうですね。
「300」もそうです。
「300」は原作の絵本コミックを読んでみましたが、
マンガのひとコマひとコマが忠実に映画で再現されていました。

原作を適当に変更して制作する映画、ドラマが多い。
そこに監督の「想い=我」が入る。
しかし映画を見たい人は監督個人の想いを見たいのではない。
原作を忠実に再現しないなら、原作のファンは見ないしファンでない人は最初から見ない。
監督ならこんな簡単なコトに気づかなくてはならない。

さらに言えば・・・
原作を尊重しさらにその上を見せてくれる監督なら、もっと良い。
「キング・コング」「トランスフォーマー」など。


監督さんはお客が何を見たいと思っているか、理解した方が良いと思う。
自分が見せたいモノより、お客が見たいモノを。

<チャンスを掴んだ人>(2008年1月3日)


先月東京で開催された絵の公募展。
世話役の方が言うには来てくれたお客さんは12人だそうで・・・
この世話役の方は主催者ではなく、主催者に協力してくれてるだけなのですが
主催者よりも物事の意味が分かっている方です。

で、その画廊は立地が悪いのかあまり良い「気」ではなかったそうです。
するとそこに初日、irideさんsatokoさんneneさんが来てくれて、
その場所から邪気を払ってくれたそうです。
別に「行(ぎょう)」をしたわけではなく、3人で大笑いしてたそうです。
笑いが邪気を吹き飛ばしたようです。

その後、一人で絵を見に来たPANDORAの閲覧者の方がいて
その方が一枚の絵を大変気に入ったと、メールをくれました。
なので
「あんな絵で良かったらあげますよ。
絵が売れなかったら最終日に渡すからまた行ってください。
世話役の人に事情を話しておくから。」と言ったら大喜び。
「どうかその絵、売れるな=!」と言ったので
「売れないから安心して♪」と答えておいた。
その方は最終日に絵をもらって帰りました。


その方は特に積極的な方では無くむしろおとなしく、言いだせないタチのようです。
でも勇気を出して公募展に行って、絵を見て感想を私に送ってくれた。
だから絵が自分のところに来た。
ほんの少しの勇気と手間が必要でしたが。

「ダメもと」(ダメでもともと)でやってみろ、と私は常に言います。
ダメだとしても最初からゼロなんだからマイナスにはならない
「絵をください。」
「ダメです。」
「あ、そう。」
で済む話です。

本当にちょっとした勇気があればいい。
それがないならしょうがない。



さて、その絵ですが、それは絵を気に入った方そのものの絵だったそうです。
その絵は世話役の方がネットで見て選んだのですが
その方に渡すために公募展に出品したようなものです。
不思議です。

<たった一度のチャンスを掴んだ男>(2008年1月2日)


「irideのしあわせはここにある」「どんどん直感生活」(リンク2)に
取り上げられていた記事です。

冴えない携帯電話セールスマンのポール・ポッツ氏(36歳)が
子供の頃からの夢を捨て切れずイギリスのタレント発掘番組で見事優勝し、
プロデビューを果たしました。

歌が始まる前の三人の審査員の顔には、ポッツ氏に何も期待していないのが
ありありと浮かんでいました。
しかし、ポッツ氏が歌い始めると審査員の顔には驚きの表情が。
そして観客は立ち上がって感動を表します。
泣いてる人もいます。
私も、何度見ても泣けます。
まるでアメリカ映画に良く有る「冴えない連中が最後に成功する話」のようです。



ポッツ氏は何故成功したのでしょう?
夢を諦めなかったことと、一度のチャンスを掴んだからですね。

<チャンスを掴める人>(2008年1月2日)


チャンスを掴める人は少ないです。
私はひとの夢を叶えるお手伝いをするのが好きです。
夢や希望、計画のある人に助言したりチャンスを作ったりしていますが
乗れる人が少ない。

チャンスが来ても「それをチャンスと分からない」ひともいます。
また、それがチャンスであると分かっても肝心な時に腰が引けてしまうひとがいる。
これではチャンスは掴めない。

<「真剣」という境地>(2008年1月2日)


さらにチャンスに乗れても、そこから先「その夢に相応しい努力」が
出来る人も少ない。
成功するにはその道(専門)の努力が必要なのはもちろんですが、
それ以上に自分の波動量(知恵、人間力、物事を分かる能力)を
つけなくてはなりません。
それがないと最初は良くてもだんだんジリ貧になって行きます。

波動量を上げるのは並大抵のことではありません。
一生懸命やりさえすれば良いというものではないからです。
(※一生懸命には「脇目もふらず」「無我夢中で」「必死で」という意味合いがあります。
   脇目=ふりましょう。周囲を見ましょう。周囲を見ない努力はコケます。
   無我夢中=夢の中で我を忘れてはいけない。しっかり意識を保ちましょう。
   必死で=心に余裕がないのはいけない、気づけなくなる)

しかし、一生懸命のレベルしか知らない人はこれをしますね。
子供なら当然です。
しかし大人がこれではいけない。

「子供の心(柔軟さ、純粋さ、素直さ))を持ち、大人の頭(判断力)を持ちましょう」

一生懸命のレベルにある人は
(これだけ一生懸命やればいいだろう)
(こんなに努力したのに)と、思ってしまう。

一生懸命ではなく、真剣にならないといけないのですが、
真剣のレベルに達してないひとには、一生懸命と真剣の「差」(違い)が
分からないのです。

「次元」が違うと言っても良いでしょう。
レベルが違うということです。
レベルが違うから出来ないのだ・・・・と思ってはいけない。
そのレベルを獲得するんですよ。
真剣になれば誰でも出来ます。


言葉が矛盾しているようですが、本当です。
その境地に達して初めて(ああ、今までこのことが分からなかったのだ)と、
分かるのです。


真剣になって初めて(ああ、今まで真剣ではなかった)ということが分かるのです。
それが真剣の境地に達したということです。

<他人の可能性を奪うヒト1>続きます(2007年12月29日〜2007年12月30日)


Mさんから聞いた話です。
Mさんのお嬢さんは大学生。
しっかり者だそうです。

そのお嬢さんの友人E子さん。
E子さんは男子学生にモテモテらしい。
それはいいのですが、好きでもない男子学生に付きまとわれているんだそうです。
それを知ったMさんのお嬢さんは、他の友人と二人でその男子学生を呼び出し
二度とE子さんに近づかないよう、E子はあんたなんかには興味はない、
というようなコトを言ったそうです。

それをちょっと得意そうに報告するMさん。

う〜〜〜ん、困ったな、でも、正直に言いましょう。

私「Mさん、それはちっとも良いことではありませんよ。」
M「え?」
私「あなたのお嬢さんは、E子さんが向上するのを邪魔したんです。」
M「???」
私「その男子学生はストーカーです。
  でも、ストーカーに付きまとわれる女も悪いんです。
  多分E子さんは『あたしぃ、好きな人、いるしぃ・・・』」とか
  『あたしぃ、彼氏?いる?みたいな?』とか、遠まわしにストーカー学生に言ったのではないか?」
M「そうですね。」

私「ストーカーに付きまとわれる女は、このような遠まわしな言い方をすれば
  相手が理解すると思っているんですよ。
  するワケないじゃないですか。
  こういう奴はワケが分かってないバカ野郎なんだから、
  もし好きな女が『あたしぃ、彼氏?いるのよね〜』と言っても
  『そうか、でもオレの方がずっといいぜ。それを分からせてやればきっとこの女はオレを好きになる。』
  って勝手に自分に都合良く解釈するんです。」
M「そうかぁ」
私「ストーカーに遭う女は、自分が遠まわしな言い方をしていても
   自分の意識では『ハッキリ言ってやった』と思ってるんですよ。
   なので、そういう女は何度でもストーカーに遭うでしょう。
   その女が悟らない限りはね。」
M「そうですね!」
私「なので、E子さんがやるべきことは自分でハッキリとその男子学生に
  『私はあんたなんか全く興味ないし、好きな男がいるから、諦めてくれ。
  それでもつきまとうならケーサツ沙汰にするけど?』ということです。
  なのに、おたくのお嬢さんがE子さんの代わりに言ってしまったんです。
  これ、問題ではありませんか?
  E子さんが学習する機会を奪ったんですよ。
  E子さんが自分で解決するチャンスを奪ったのです。
  おたくのお嬢さんは一生E子さんについててやれませんよね?
  もし、大学を卒業してからまたE子さんが同じ目に遭ったらどうするんですか?」
M「そうかぁ!
  はあああ・・・・
  いや、全くその通りです。
  うちの娘は正義感が強く親切でやったのだと思うけど、やってはいけないんですね。」
私「そうです。
  本人の代わりをしてくれる人は誰も居ないのです。
  E子さんは早くそれを悟らなくてはいけないんです。
  E子さんは助けてくれる人がいるのでいつまでも学習しない。
  常に『自分を助けてくれる人』を探す情けない女に成り下がる。
  そして常に目の前からストーカーが消えてなくならない。」




モテる女が全てストーカー被害に遭うワケではありません。
私は学生〜独身時代モテモテでしたが、一度も被害に遭ったことはない。
怒るとモノ凄く怖い女だったからです。
怖い女でもモテるんですよ。
何故なら世の中には「怖いモノ見たさ」の人が沢山いるんです。
「ホラー映画ファン」とかね。




それはともかく、親切心、正義感からこの例のように他人が自力で獲得するべき
経験や知恵を得るのを邪魔する人の何と多いことか。
可能性を奪うひとです。
Mさんのお嬢さんがやるべきことはE子さんが自力で解決出来るよう、忠告することでしょうね。

<他人の可能性を奪うヒト2>(2007年12月30日)


さて、上の記事を読んで(ああ、良かった。アタシそんなお節介しないもんね)と、思った方、
喜ぶのはまだ早い。

Mさんのお嬢さんは友人の窮状を見るに見かねて助け舟を出した。
これは人間が
100人いたら必ず上から20位以内に入る行為です。
さらに心の有り方によって上から10番とか上から5番とかに上がるでしょう。
なので、人間としてはかなり良い方なのです。



今から10年ほど前でしょうか。
Φ国で「川で溺れている子供を川岸に居たΦ国人が沢山いたのに、助けないで見物していた」
というニュースがありました。
これを知って私は暗澹としました。
Φ国政府がΦ国人を人間扱いせず、日々の生活だけで精いっぱいで心に余裕がなく、
ろくに教育もないのでこんなになっちまったのではないかと、推理しました。

ところが、今年の話。
列車内で前科者の男が二十歳くらいの女性にヒドい嫌がらせをしました。
同じ車両に何十人もお客が居たのに誰も通報しなかった。
中にはトイレの中でいたずらをしている様子を聞きに行ってた50代男性客も居たとか。

これで政府が国民を人間扱いしないからではなく、日々の生活で精いっぱいだからではなく
教育がないからではない、と分かりました。
物質も金銭も教養も関係ない。
「魂」が人間レベルではないからなのだ
、と。

日月神は
「(人間の)八分は獣の入れ物」と言ってます。
獣とは低級霊のことです。
そういえば電車内で嫌がらせをする人に対して注意するのは2割以下では?
(※実際に注意出来るのは1割ですね。もう一割はアワなので、思ってても出来ない)
世の中を見渡してみれば一応マトモなのは2割以下では?
(※マトモなサヌキ人間が一割、マトモなアワ人間が一割です)
暗澹としますが、事実です。

このような人の困難を見て見ぬふりをする人が8割を占める中で
Mさんのお嬢さんは人助けを買って出た。
これは素晴らしいことなんです。

<他人の可能性を奪うヒト3>(2007年12月30日)


そして<他人の可能性を奪うヒト1>に戻ります。
Mさんのお嬢さんは人類の上から2割に入ることが判明しました。

PANDORAは上から2割の人を対象にしています。

その上から2割の方に申し上げます。

「あなたはそのままではいけません」と。

<他人の可能性を奪うヒト4>(2007年12月30日)


既に上から2割以内に入る、Mさんのお嬢さんには
「100人中上から2位以内に入ってください」と言います。

そのために最初に書いたように「親切心、正義感は分かるが
他人の可能性を奪ってはいけない」ということを理解して欲しい。

情報を伝えるのは良いことです。
ていうか、知っている者の義務とすら思います。
お嬢さんはE子さんに「自力で解決するよう」忠告し
訊かれたら答える、というスタンスを取るのが良い。
人生の主役は「本人」であることを自分が理解し、友人にも理解させましょう。
友人が理解しないなら理解するまで待ちましょう。

友人が分からず屋の場合、感情的にならず忍耐して待てるなら
その人は
「100人中上から1位」の人です。
そしてこのレベルになれば
「神の御用」が出来ます。

<他人の可能性を奪うヒト5>(2007年12月30日)


我が家では次女が小学校高学年の時、苛められている同級生(女)に
「言われたら言い返せ。×子ちゃんが何も言わないからやられるんだよ。」と
忠告していたそうです。
×子ちゃんはとうとう自力で解決は出来ませんでしたが
ウチの次女が仲良しなのでだんだん同級生に苛められなくなりました。

また長女は中学時代、苛められる男の同級生に
「やられたらやり返せ。」と忠告し、苛めっこ達には
「そんなコトをしていると先生に言いつける。」と脅していたそうです。
この場合、相手が多数なので助け舟を出す必要があったようです。

私の基本方針が「人生の主役は本人」(当り前)なので、
本人の問題は本人に解決させます。
(※たとえば三歳児がコップの水や味噌汁をこぼしたら、親は手出しせず
   本人に後始末をさせます。これを全てのことにあてはめる。
   そうやって10年経つと自分のことは自分でやるしかないのだ、と本人が悟る)

長男がタチの悪い子達に苛められても、解決するのは本人なので
私と次女で長男を鍛えました。それを一年間続けたら実戦に使ったようで
それからはあまり舐められなくなったようです。
本人の代わりをする人がいないのでね、最低限自分のことはやらなくてはならない。



本人が解決しなくてはならないことを「親切」のつもりで代わりに解決することは
止めましょう。
いくら善意でも、です。
本人の可能性を信じ、向上するよう祈ってあげましょう。

<他人の可能性を奪うヒト6>(2007年12月30日)


K子の子供が小学生のころ、タチの悪い子に苛められ、
それが切っ掛けで登校拒否を起こしました。

K子は典型的な善人だったので、解決方法が分からなかった。
K子は通常のことなら何でも分かり、何でも解決出来るやれる。
これは100人中上から20位以内の、普通の善人です。
でも、登校拒否はK子の「通常」を超えていたんですね。

で、苛めっことその親、担任教師や校長教頭に対して
自己主張するようになりました。
今まで「他人と仲良くすること」が一番良い、いやそれしかないと思っていた
K子には革命的なことでした。

私は喜んでK子の援護射撃を買って出ました。
はははh!
習いたてのワードでチラシを作り、そこにさまざまなこと(学校への批判)を
書き、それを教頭に見せ「解決しなければこれを配る」と脅してみたりw
その際
「一生懸命ではなく、真剣になってくれ」と、言いました。
教頭にはいまいち意味が分からないようでしたが・・・
(このチラシを読んだK子のご主人が噴き出したそうです。わはhh!)

K子は保護者会でも「善い人」を辞め、堂々と意見を言ったそうです。
私の子はクラスが違うのでその保護者会には参加できません。
K子はこの闘いによってかなり知恵と度胸をつけたのではないかな?
そして今まで当たり前と思っていたことは当たり前ではなく、
自分だけの思い込み(善人の自己中)だと悟った。
いろんな人の本音、本性を見た。
真剣に生きるという意味が分かった。
自分には分からないことが沢山あるのだ、と分かった。
その他にもたくさんのことを分かりました。

子供が登校拒否を起こさなければ全て分からなかったことです。
そして問題がなければK子のような善人は一生何も悟らず終わったのです。
子供の御蔭ですよ。

このように、私たちが出来ることは
「本人に、自分が人生の主役なのだ、と悟らせ、
本人から要請があって、それが本人には出来ないことなら協力する」

ことではないでしょうか?
また、闘いと言っても「敵をやっつける」ことが目的ではなく
「本人が悟るよう」援助するのが目的です。
行動言動の原動力は憎しみではなく、「愛」です。

ここまでのレベルになれば
100人中一位〜1000人中一位でしょうね。
日月神が「マコトの人間は千人に一人ぞ」と言ってますから。

<クイズ!国民の声>(2007年12月29日)


今日土曜日の正午から「クイズ!国民の声」ってのをフジテレビで放送してますが、
これがバカバカしくて面白いです。

クイズに正解すると天使が回答者にご褒美で「暖かい声」を掛けてくれる。
不正解だと悪魔が回答者に「冷たい声」を掛けて地獄に突き落します。
暖かい声も冷たい声も「国民の声(意見)」です。
罰ゲームと称して青汁飲まされるよりキツイ。

暖かい声を掛けられて有頂天になった後、間違ってしまい、冷たい声を聴くことになる。
可笑しいです。
「凄く暖かい声」や「凄く冷たい声」もある。
それらは回答者の後ろに置かれたモニターに保存され、晒しものになります。

天使や悪魔がクイズ番組に登場するようになったな、と思いました。

<美人>(2007年12月26日)


絵を依頼されると女性が浮かぶので、それを描くことが多いです。
人物画は顔を描けば良いので、単純なので好きなんです。
そうではないものはアイディアというか、(いったい私は何を描けばいいのだろう?)
状態になるので、ちょっと難しいです。

さて。
女性の顔の絵は全て「美人」に描いていますが、不思議なことに皆さん
「私にそっくり!」と仰います。
「絵の不思議話」の中で、これが一番不思議なコトです・・・

<肉食は血を汚す>(2007年12月26日)


下の方の記事<浄化について>(12/22)の補足です。
肉食をすると物理的には血を汚すのでいけないのです。
特に牛肉が悪い。
霊的には、動物を食べるということは自分に近いモノを食べる行為になるので
日月神は
「四足を食うてはならん」と戒めています。

アメリカ(に限らずヨーロッパもそうだろうが)上層部の人達はベジタリアンだそうです。
彼らは肉食をするとアセンション出来ないことを知っているのです。
ハリウッドの俳優の中にはベジタリアンが多い。
キアヌ・リーブスなどはベジタリアンで有名ですね。
彼は「アースエンジェル―あなたは、地上の天使ですか?」(パンドラの壺→etcX)で
スターピープルの例として取り上げられています。
(※通常スターピープルは目立たないよう生きているそうですが、中には
   俳優になり、映画界を牽引している人もいるとか。他の業界にもいると思います)

rakanさんから借りて読んだ
「デジデリオ-前世への冒険」という本があります。
これは推理小説のようで面白かった。

芸術歴史イタリア、ルネッサンス、前世探訪、推理小説がお好きな方にお勧めします。
この本に凄腕の「前世透視者」が出てきます。
その方は普通の主婦で、これを商売にはしていません。
その方は前世を見る場合は数日前から肉食をしないで準備するのだそうです。


また、「germania」のチャーム販売とカード引きをしている方。
神道系の大学を出て神主の資格を持ち、土日はたまに巫女のアルバイトをしていますが
肉食を数年間殆どしていません。
私の方にgermaniaのカードが凄く当たってた!と、お客さんからメールが来ますが、
やはり肉食していないからかな・・・と思います。


(2007年12月29日追加)
25さんより報告有り。

━━…………‥‥‥‥・・・・・・・・‥‥‥‥…………━━

牛を食べてはいけない理由

・日本人の体温は欧米人より1度低い。
・牛の体温は日本人より高い。

だから、日本人は牛を食べると血が固まってしまう。(身体に良くない)
欧米人は食べても大丈夫、良い。



<フランダースの犬>(2007年12月25日)


今朝の8チャンネルの話題。
司会の小倉さんが語っていました。

日本で昔放送された「フランダースの犬」というアニメがあります。
最後は主人公のネロがアントワープの大聖堂に飾られているルーベンスの絵の前で愛犬パトラッシュと死んでしまう。
日本人はこのシーンが大好きで、アニメを何十回見ても最後のシーンで泣く人が多い。
たしかに泣けます。

アントワープの大聖堂を訪れ、最後のシーンを思い出して絵の前で号泣している
日本人旅行者が沢山いるそうです。
その様子を見た地元民から話が漏れたのか、或る映画監督が
「何故日本人はフランダースの犬の最後のシーンで泣くのか」と、謎を解きたくなったそうです。
何故ならこの最後のシーンで主人公が死んでしまうのは
西欧では「負け犬」であり、情けないことだからです。
なので、西欧で作られたフランダースの犬は最後は皆、ハッピー・エンドになっています。



それで監督3年間かけてこの
「日本人の謎」を解くべくドキュメンタリー映画を作った。
出た結論は「日本人には滅びの美学があるのだ」ってことになった。

「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画

12月25日12時9分配信 読売新聞

【ブリュッセル=尾関航也】
ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、
クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。

 物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、
27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36)。
制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。

 物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、
吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。
原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、
物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。
米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。
悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。
ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。
資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、
日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。



まぁ、そうかもしれません。
でも、では何故、日本人が滅びの美学なんてものを持っているのか。
それは「アワ」だからです。
世界でも稀なアワ(心)民族だからです。
アワの人は気の毒な人弱い人に対して切り捨てるような心を持ちません。
同情したり助けたりします。
監督には分からないだろうな〜自分にないものはいくら見ても「見えない」。

やはり日本人は特殊ですね。
そして、アセンションの鍵を握っているのは日本人、真っ先にやるのも日本人である、という説もあります。
西欧人にはない
「心(感受性・アワ)」が鍵のようです。

<はっぱ隊>(2007年12月23日)


「はっぱ隊」をご存じですか?

Wikipediaより。
はっぱ隊(はっぱたい)は、フジテレビ系列局で放送されていた番組
「笑う犬の冒険」内の一連のコントに登場する集団である。

2000年1月に番組に出たのが最初のようです。
うっちゃんが大学受験失敗、リストラなどでうちひしがれていると
パンツに葉っぱを一枚つけた裸の集団が登場し、うっちゃんを励ます、
というコントです。

この「はっぱ隊」はその後、外国デビューを果たす。
そして動画で配信されるようになると、世界各国で「はっぱ隊」が結成され、
はっぱ一枚で踊るその姿が動画配信されるようになる。




歌詞は大変明るく希望が持てるものです。
「息を吸える・・・息を吐ける」これが幸せだと歌っています。
何もかも失っても
「はっぱ一枚あればいい」じゃないか、という
超ポジティブ・シンキング・ソング。

この歌が世界中に流れ、皆が裸で踊っている姿には感動します。

やはりフランスが、こういうヲタク芸には強いようです。
さすが日本と双壁を為すオタク大国フランス、侮り難し。
同じくヲタク文化の強いドイツをも完全に引き離しているようです。
アメリカも健闘しています。

日本の文化芸術が世界で認められる例は少ないけど、
はっぱ隊は見事にやってくれました、天晴!
はっぱの形にお国柄が表れていますね。

国境や政治を飛び越えて、歌と踊りで人間同士が仲良く出来れば
こんな良いことはありません。


「君が変われば・・・世界も変わる」と歌っているのですから。

この情報はgermaniaさんからいただきました。

はっぱ隊がアメリカでデビューした動画がありますが、泣けます。

<浄化について>(2007年12月22日)


浄化という言葉を多用する人が多い。
ちょっと風邪を引いたらそれが浄化・・・有り得ない。
こういう用法をするってところが、申し訳ないが私に言わせると「陶酔」しています。
私が考える浄化を明らかにしておきます。



◆身体の浄化

これは風邪でもいいが、高熱を出して血液にある牛脂が冷えて固まったものを、
高温で溶かしそれを排出するなら、浄化と言えます。
牛は体温が高く、牛肉を食べると牛の脂は人間の体温では冷えて固まってしまうそうです。
なので、牛肉食は大変身体に悪いのです。
たまには人間は体温を上げて牛脂を溶かし排出しなくてはならない。
この場合病気で高熱を出すなら浄化であると言えます。

また、日月神は獣を食べることを禁じている。
体温とは関係なく、動物の波動を人体に取り込むことは良いことではありません。
浄化するなら、まず動物を食べることを止めることです。

また、下痢をして悪いものを出す、食べられなくて断食をする、というのも浄化になります。
一番良い健康法は「腹八分」で、食事を少なめにすること、たまには断食をすることです。

◆心の浄化

泣くことが有効です。
泣く理由は悲しいことや苦しいことがあったら我慢せず、感情にして荒い流すことです。
今まで溜めていた悲しみや苦しみを感情にして、表現し出してしまいましょう。

また、良いモノを見、良い音楽を聴くことも良い。
涙を流すくらい感動すれば、それは心の浄化になります。
kagari∞さんがブログで音楽を紹介していますが、それも浄化に繋がるからでしょう。
そのような意味のことを書いています。

あとは心の中に余計な考え、余計な感情を抱かないこと。
嫉妬、羨み、怒り、悲しみ、恨み、苦しみ、心配、疑い、貪欲、高慢、軽蔑・・・など。
要らない感情を捨てましょう。
心をコントロールするのは難しい。
しかし、難しくてもやらなくてはならない。

私が相似象を紹介しているのは、ちゃんと思考して心の中から余計な思考をなくすためです。

そうでないといくら食べ物を変え、浄化グッズを使っても後から後から
浄化しなくてはならない状況になります。
「生まれ赤子の心」となりましょう。

また、笑うこと。
kagari∞さんも書いてますが、笑うことは身体の調子と運命を良くします。
笑いましょう。

つまり、感情(思い)をコントロールすれば良いのです。
すぐには無理でもそれを心がけていれば次第になって行くので諦めてはいけない。

◆カルマの浄化

前世のカルマは勿論、生まれた後から作ったカルマを浄化しなくてはなりません。
日月神も
「メグリ払わなければならない」と言ってます。
日月神示をやり始めると最初の頃は悪いコトがどんどん起きるそうです。
それは「カルマを払えるほど心が成長したから」
「カルマを払うほどの覚悟が出来たから」で、喜ばしいことです。

何か悪いことが起きても(そうか、これが日月神が言うところのメグリを払っているのだな)と
本人に分かるから、運命の方も「それなら」と、どんどん払わなくてはならないカルマを
次々に出してくれます。
それを消化していけば良いのです。
もしカルマの浄化をしたいなら「日月神示を勉強すること」が有効です。


◆環境の浄化

掃除をすることです。
浄化グッズを使うことも補助的な意味で有効だと思います。
しかし、本人の心を浄化するのが重要です。




それぞれの項目をもっと細かく詳しく知りたいなら様々な情報があるので調べてくださいね。

<とんでもない飲食店>(2007年12月20日)


Sさんからのびっくり報告です。

あるオヤジさんから、聞いた話なんですが。。。
食の偽装に関する話です。

このお店の近所の居酒屋さん、お客さんの食べ残しのおでんを
閉店間際、またお鍋に戻していたんですって。
お客さんからお金をもらって、売った商品をまた売ろう!
という魂胆が許せなくて(衛生上よりも)注意したら
「えっへっへ」
と、笑ってごまかしたんですって。
しばらくして、その店舗を閉めて、別の場所に立派な建物を建てたそう
なんですが
最近売り上げが落ちている。そこで、ランチを始めたらしいです。
しかし、ランチは昨日の夜の残りを流用しているだけとか。
そのうち、ランチの売上げも落ちるんでしょうね。

また、別のファミリーレストランでは、
普段からドレッシングを使わないお客さんが、ドレッシングなしで注文
したところ
ドレッシング風味がしていたそうです。
洗って再利用してたんですね。
でも、油は水で落ちないから。。。
そういうファミリーレストランが2つ程ありましたが、どちらも
潰れました。

これは、すでに業績が悪くなったお店の話。


まだ健在のお店のお話は。。。

焼肉店。
トイレに行こうと思って、間違って従業員用のドアを開けてしまったら
そこには、皮をはがされた犬が吊るしてあったとか。。。
「盛り合わせセット」とかに混ぜているんでしょう。

ラーメン屋さん。
食べ終わったラーメンをこして、スープを再利用しているんですって。
そこは、何度も保健所から注意を受け、営業停止も喰らっているのに
こういう事を辞めていなく、現在も営業中。
街の人はみんな知っているんですが、それでも行く人がいる。


こういう話を、色々と教えてもらいました。
どれも、オヤジさんが実際に現場を見たことや、
お店でアルバイトをしている人からの情報みたいです。



当たり前にこういう事をする感覚が、信じられないですね。
そして、知らないでいる恐さも感じました。
まともな食べ物を食べたいと思ったら、ある程度高くても
きちんとした考えを持っているお店に行かないとだめだと思いました。
安いからって通っていたら、どんなものを食べさせられているか
わかったもんじゃありません。
(安いものを高く出しているお店もあるかもしれないですが。。。)

こういう不届きなお店は、どんどん噂が広まって、
早くなくなって欲しいと思う反面、
食に無頓着な人が「安くてそれなりに食べられるなあ」
と思っているのかもしれないので、その需要がある限りは
無くならないんだろうな、食べる私が知識を付けて回避すればいいのか
な?
と、思いました。
でも、難しいですね。舌を肥やさなくてはw


食品偽装はほんの氷山の一角でしたかね。
見えないところで悪事を働く。
しかし、それは三次元での話であって、上の次元からは
お見通しであるってことを知らないのでしょう。
昔の人はそこらへんを分かっていたようだけど、
明治維新〜敗戦〜戦後のどさくさ〜高度成長〜バブル
で、昔ながらの美徳は無くなってしまいました、大方の人からは。

しかしきちんとしている人は少数ながらいます。
そういう人と出会うには親しくなるには、こちらもきちんとしなくてはならない。
それが
「同波長の法則」でしょうね。

<不義して富まず>(2007年12月19日)


<天の「仕返し」早っ!>のRさんからの情報です。

昨日『仕返しは天に任せる』関連のメールをしましたが、
その後テレビで見たことをお話したいと思いました。
 
見たと行っても肝心なところは全部見ていた母から聞いたのですが。
その番組では、香川にある酒造メーカーを取材し、
米麹から作られたある有効成分の開発とその成分を使った製品を売り出すまでのことを
社長さんにお聞きする、というものでした。
 
私が見た時は、その社長さんは
 
米、というのは、明治維新以来開発が行われていなかった。
それまでは、お酒やお酢・・などなどお米からたくさん開発されたものが生まれていた。
日本人にはお米しかない。
お米と麦を比べると、その土地柄や天候(日照時間)などを考えると
お米が一番日本に合っているということがわかる。
自分達はそのお米を使ってお酒を造ってきた。
今こそそのお米から別のものを開発する時だと思った。
 
このようなことを仰っていました。(曖昧)
へぇ〜すげえなぁ。この社長さん。やっぱり日本人は米だよな。米。
などと思っておりました。(レベルの低くすぎる感想)
 
ここからは母から聞いた話。
この酒造メーカーは今、米麹から開発した保湿成分を配合した化粧品や入浴剤等を販売しています。
その保湿成分は今まで存在していた保湿成分とは全く違った働きで保湿するというもので、
(保湿をするというより肌の保湿機能を高めるような成分)
画期的な成分だったようです。

それに目をつけた大手メーカーが、協力しようじゃないか〜と言ってきたそうです。
そこでこの社長さんはその有効成分(入浴剤)のデーターやらなんやらを全てメーカー側へ教えてあげたそうです。
そうしたら。
大手メーカーは、そのデーターを使って独自で勝手に入浴剤を製造し、販売を始めてしまったそうです。
大手メーカーです。有効成分は素晴らしい。
バカ売れしたそうです。(多分今も)

そしてその酒造メーカーが売り出していた入浴剤はとんと売れなくなってしまったそうです。
裁判もおこしたのですが、所詮、40人あまりの会社が大手メーカーに勝てるはずはありません。
身を引いたそうです。
そこでこの社長さんが口にしたのが、
『不義して富まず』
悪いことをしては、富を築けるはずはない。
そう思って耐え忍び、頑張ったそうです。
 
そして取材人が、
こう言ってはなんだが、自分も一ジャーナリストです。
その大手メーカーの名前を出してもいいのですが。
と言ったところその社長さんは、
いえ、結構です。
それでは我が社の品が落ちます。
と答えたそうです。

その大手メーカーの名前をぜひ知りたいですねw

大手メーカーというものはこのようにゴリ押しというか、
あちこちでこれと似たようなことをしているのではないですかね?
今、食品偽装問題がニュースになってますが、あれはほんの一部。
大手メーカーの場合は出ないのでは?
たとえ問題が発覚してもテレビのニュースに取り上げられるかどうか・・・
大手メーカーはCM流しているのでテレビ局にとっては
大事なお客さんです。

つまり、今は殆どのことが金を基準にして動いているのです。
「逆さまの時代」ですから。

これが或る日グレンとなる予定ですので、その香川の社長さんは
魂的にはかなり高いので、グレンとなった暁にはちゃんと「上」の位置に
収まることでしょう。
或いは徐々に世の中が正されて行って、その大手メーカーの業績が或る日ガクンと堕ちるか、
どうなるか・・・

しかし表面上の勝ち負けは重要ではありません。
今、大事なのは心と魂です。


香川県には素晴らしい社長さんが居るんですね。



で、ネットで探したらどうもこの方のような気がする。
「勇心酒造(株)」
http://www.shikoku.meti.go.jp/soshiki/skh_b4/1_sesaku/070712/mono_yushin.htm

Rさんに上記のURLを送り「この人ですか?」と訊いたら

そうです!勇心酒造さんです!」

なるほど。
私はこの方の顔を見てピンと来ました。
多分前世はお殿様です。

前世の縁は・・・
夫婦は二世(二回)
親子は一世(一回)
主従関係は三世(或いは7世だったか?)
だそうです。

たとえば岡山にある〜〜会社は、社長が前世は殿様で、社員はその家臣だそうで(笑)
殿の御為、家臣団が一丸となっているとか。

この香川の社長さんもタダものではありませんね。

<眼鏡>(2007年12月18日)


下の方の記事<バカにする人、舐める人>で、メールを送ってくれたKさんが再びメールをくださいました。

if様
 こんにちは。 Kでございます。 いつもいろいろな情報をありがとうございます。

 先日のifさんとのメールのやり取りの後、パンドラの記事やリンク先の方々の記事を拝見したりしながら
 嫉妬したり人をバカにしたりする、もうそれ自体がある意味天からの仕返しなんじゃないかとさえ思えてきてました。
 ifさんもkagariさんも人を表面でしか見ない人はこの先、生きづらいとおっしゃってますし・・・。
 (あのifさんとkagariさんのやり取りの記事はなんだか私も元気付けて頂いたような気がしました。かなり図々しいですが、
 済みません・・・。)

 そんな訳で、心の動きについてつらつらと考えたりしてたんですが、その時に思い出し怒りをしました。

私も滅多にやりませんが、やりますよ、思い出し怒り。

 自分でもいい加減、しつこくてうんざりと嫌な気分で眠ったのが二日前の夜です。
 翌朝、いつもと同じように目覚め、いつもと同じように行動いたしておりました。それで、お昼2:00前ぐらいでしょうか、
 ・・・眼鏡割りました。それもふんずけちゃいました。そこで私、これって人を呪わば穴二つ・・・的な?と思い、自分の
 感情をコントロールできないのを人のせいにしたから自分に跳ね返ってきたのか?と思えました。

 ええ・・・、不注意だとか、ちゃんと片付けてないからだとか、掃除しろだとかはもちろんなんですが、眼鏡ってところがなんと
 も。 視力が悪いのは見たくないものがあるからだということですが、それでも見るための大事な道具を真っ二つです。
 いい加減目を背けるなということか、何かを見誤っているのか、やっぱりなにも見えていないということかと思ってみたり・・。
 眼鏡を割るなんてことは間の悪い偶然で終わるようなことかも知れませんが、なんとなく警告のような天罰のような気が
 していろいろこじつけてみました。その内なんらかの意味に気づけるといいんですが・・・。
 いつもながらの長文ですが、お付き合いありがとうございました。

いいところに気づいたと思います。
眼鏡を自分で踏んで割ったのは、あなたが気づいた通り「物事を良く見ていない」という警告だと思います。



自分の潜在意識がさせます。

潜在意識=高次元の自分=天使や神への繋がり=「天」

あなたは「天」の警告をきちんと受け取ることが出来たのです。

頭では「ダメだ」と理屈では分かっていても心のコントロールは難しいですね!
私も難しいです。


しかし、そのことを自分ではっきりと意識化し、毎日を過ごせば一年経てば驚くほど
自分が変わり、周囲が変わっています。
一年前の自分の判断が「甘かった」「ダメだった」と、分かります。
いっぺんに何もかも分かるようにはなりません、毎日の積み重ねですよ。
でも、何もしないで一年過ごせば「何も変化してない」でしょうね。


あなたは「分かる生き方」を選んだのだから、焦らず腐らず落ち込まず行きましょう。

<天の「仕返し」早っ!>(2007年12月17日)


ifさま
 
ご報告したくメールいたしました。 Rです。
 
この方は<仕返しは天に任せるΩ>の情報を送ってくれた方です。

昨日、人間の話<即、仕返しが来た>を読みました。
へぇ〜すげえなぁ。(想念をよくしないとヤバイな・・)と思っていたところ、今日!

ははは!

 
お店には連絡ノートというものがあり、
社員さんがパート・アルバイトに伝えたいことを書くノートがあります。
出勤したら、まずそれを読まないといけません。
なになに、今日もまた長々と連絡事項か・・客からのクレームか?
いえいえ!なんと店長個人的な謝罪(というより言い訳)文でした!
 
どうやら、勤務態度についてマネージャーから直々に怒られたらしく(!)、
それについての謝罪と弁明の内容でした。
 
私が『仕返しの誘惑』からなんとか逃れることができ、(<仕返しは天に任せるΩ>に掲載していただきました)
その後、仕返しなんて自動的になるもんなんだなぁ。とフト思ったのが一週間前。
その時は、私が日頃思っていたことで仕返しのような現象が起こったのではなく、
なんでこんなところで・・というような意外なところ、意外な状況の中で
仕返しのような現象にあっている店長を目撃したのでした。
 
それが、今日の文章を読んだところ、まさしく私が日頃思っていたこと(仕事しない〜)で
マネージャーから注意を受けたと書かれていました。
私が思っていたことで、私が言わなかった(仕返ししなかった)ことが、
そっくりそのまま、言うべき人(=上司=マネージャー)が言った、というのが私には驚きでした。

あなたが言わなくて良かった。
店長は部下のあなたが言っても鼻でせせら笑って、真剣に受け止めなかったでしょう。
もしあなたが忠告したら、店長に憎まれて終わりでしたね。


しかも一週間(私の事件は8日、この文が書かれたのは15か16日)という(私には)驚異的な速さ!
真っ先に、『即来た仕返し・ライブハウスでおまけ付き』が頭に浮かびましたよ!
 
あの記事は可笑しいですよね。
あれを目撃した方は普段から考え深い方です。
だからあの時、文句を言いたいところを冷静に考えて待つことが出来たのです。


そして・・本当に、想念をきれいにしなくてはイカンな。。と思わされました。
ぼけ〜っとしていたらいけませんね。。

そうです。
どうしようもない人のことは「天」に任せましょう。
そして、私たちは自分のやれること、やるべきことをこなして生活しましょう。


でも、いい想念を持てば、それも速く戻ってくる、ということですよね?

そうです。

・・・これからの世の中は、即天国、即地獄になるのでしょうかね。。

kagari∞情報によればそのようです。

そう考えると、『世の中』とは、自分次第なのかも?と思いました。

周囲の情報をどう受け取るか、そこに人間の意識レベルが出ます。
だったらなるべく高い意識レベルで感受し、判断し、対応するよう意識しましょう。

(なんちゃって♪そういう私がまだまだだけどさ)

<カウンセラーの資質>(2007年12月17日)


或る人が「人の相談に乗る仕事、カウンセリングのようなことをしたい」と思いました。
自分にそれが出来るかどうか、ちょっと霊能のある人に訊いたそうです。
すると、霊能のあるAさんもBさんも
「あなたには無理」「だからしてはいけない」
みたいなことを言ったそうです。
その人はガッカリして私にも同じ質問をしました。
私もその人には今の段階では無理だ、と判断しましたが
「やってみろ」と言いました。

三人とも、その人からは
「無理」というモノを感じた。
客観的に見て、無理でしょう。

そういう場合、通常女は
「止めておけ」と言うようです。
でも、どこがどう無理なのか、やってみないと本人には分かりませんよね?
なので私は大抵の場合
「やってみろ」と言います。
やれば、本人に
「何故やってはいけないか」が分かります。
その体験をさせないでいて、
「あなたには無理」と言葉で説得しても、納得するでしょうか?
また、「やってはいけないワケ」を分かるチャンスの芽を摘んでいることになりますよね。
せっかくここで知恵をつけられるかもしれないのに、それをさせないのはどういう了見でしょう?

AさんもBさんも善意で、
「止めなさい」と言ったのは分かるが、善意でカウンセリングなどしてはいけない。
最低限の判断力を持ち、冷静に物事を分析出来ないとね。
また、相手を説得しようってのはカウンセリングではありませんよ。
相手に気づかせるのがカウンセラーの仕事でしょう。



今の時点でのその人の能力、思考力、判断力では無理です。
だったら、能力、思考力、判断力を上げればいいのです。
本気でやりたいなら、失敗しながら学んでいけば良い。
何もしなければ学ぶチャンスがない。

何故、通常女は・・・というか、小さい人間は失敗を見こして
「止めておけ」と言うんでしょうね。
人間は失敗から学ぶものだ、、、というコトを知っていたならこんなつまらないコトは言いませんね。
知らないんでしょうね。
そういうコトを知らない人がちょっと霊能があるからと言って他人の相談に乗る。
そっちの方が私に言わせれば
「あんた達には他人の相談に乗るのは無理、止めておけ」ですわ。



実際、私はAさんに
「あなたにはカウンセリングもアドバイスも無理だから止めなさい」と忠告しました。
今の時点で無理です。
(※Bさんは論外です。
   Bさんには「普通の態度」「普通の思考」を獲得するよう、何度も言いましたが
   とうとう理解しませんでした)

だったら、Aさんもこれから学んでいけばいいわけですね?
ところがこのAさんを観察すると、学ぶという姿勢が欠けている。
つまり
「自分には分からないことはない」と、無意識無自覚に思っているのが、私に分かる。
また、やっていることはカウンセリングではなく、親切お節介説得折伏の類でした。

なので
「今の時点ではあなたはカウンセリングもアドバイスもやってはいけない」と言ったのです。
するとAさんにはそれが理解できない。
何故してはいけないのか?と訊くので
「判断力がないからダメだ。」と、答えました。
するとAさん
「カウンセリングに判断力など要りますか?」と言ったので、びっくり仰天。

判断力の無いカウンセラー・・・(絶句)

想定外の言葉でした。

Aさんは今までいったい何を考えていたのでしょうね?

これでAさんにはカウンセリングは完全に無理と分かりました。
(他にも、Aさんにはカウンセリングが無理な証拠が幾つもありましたが)

これはAさんがカウンセリングのようなことをやったから
「向いてない、出来ない」ことが
分かったのであって、やらなければ分からなかった。
なので、やはりやってみて良かったんです。

最初の人もカウンセリングのようなことを試しにやってみればいいんです。
やれるかやれないか、自分で分かればよし。
分からなければ他人から指摘されるので、その時、その分かり難いことを分かっていけばいい。
それで分からないならカウンセリングは出来ません。

<心から反省したら好転>(2007年12月15日)


Yさんという方から絵の依頼がありました。
お父さんが交通事故を起こしてしまい、今度裁判があるので力になる絵を描いて欲しい、
と言うんです。
お父さんが相手の方に謝罪をしようとしても拒否されて困っている、と。

で、
「不動明王/降魔の剣」という絵を描きました。
ところがこの不動さんの表情が凄まじいのです。
自分でも嫌になるくらい、怖い。

絵を送った後「届いた」というメールが来たので、絵の説明をしました。
「その不動さんの怒り方は尋常ではなく、相手の方に対して怒っているのは勿論だが
お父さんに対しても怒っていますよ、と言いました。



すると、実は・・・と教えてくれました。
お父さんは相手の方に何度も会って謝ろうとしたのに相手が怒ってしまって
会ってくれない、なのでだんだんそのことを恨みに思う気持ちが出てきた、と言うのです。
で、自分は裁判でなるべく有利になりたいと思っている、と。

心の狭い相手は悪いです。
しかし、お父さんも悪いですね。
だって「自分が裁判で有利になるよう」謝るってのは、謝ってません。
自分が先になってますよね?
相手の方に本気で謝ってないじゃないですか。
自分のために謝る態度をしているだけです。

これ、謝ってますか?

お父さんが本気で謝ってないってことを相手は見抜いているのです。
会ってもいないのに何で分かるんだ?
分かるんですよ。
相手の潜在意識、相手の守護霊が分かっています。


お父さんが本気で謝罪するまで相手は会ってもくれないのです。

こういう事情なので不動明王の怒りの表情は凄まじいものでした。

不動明王には交通事故とか道路交通法違反とかは関係ありません。
それは人間が作った決まりごとです。
不動明王が裁くのは
「我よしの心」です。
この件は両方が我よしを発揮しているので、そこを凄く怒っているのでした。

Yさんはお父さんに私の意見メールを転送していたようです。
するとモノ分かりの良いお父さんだったようで、即、理解したそうです。
そして、今度は本気で謝罪する気持ちが出てきたそうです。
よく分かりましたね。
自分が今までは謝罪をしていなかったこと。
それは自分のためにやっていたことで、我よしだったこと。
なかなか分からないものですよ、これ。
でも、お父さんには分かったのでした。
私はこの時キセキが起こったと思います。



それから2週間が経ちました。

何と!
相手の方がお父さんの謝罪を受け入れてくれたそうです。
裁判がお父さんに有利に温情あるものに進むのは、結果であって目的にしてはいけない。
お父さんは相手の怒る気持ちを理解するのが先決です。
とりあえず良い方向に変化したようで良かったです。

Yさんと二週間前にメールをやり取りしましたが、
最初はYさん途方に暮れとても心配していました。
届いた不動明王の顔もとても恐ろしいものでした。

しかし、だんだん心の世界での事情が分かってくるにつれ、
Yさんの心が明るくなって行きました。
納得し安心したら不動明王の片目をつぶった顔が
「ウインクしている」ように見えたそうです。
それを知って私は(ああ、もう大丈夫だな)と思いました。
お不動さんの
(やっと分かったか。まぁ、分かれば良い。わしが良いようにとり計らってやる故、安心せよ)
みたいな台詞が浮かびますね。

こういう体験をするとつくづく
「心が大事」だと思います。


(2008年2月29日)
後日談です。
Yさんのお父さんの裁判の結果は、大変良いものとなりました。
Yさん、本当に良かった!


不思議な話があります。
Yさんは去年PANDORAでプレゼント企画をやったらファントム水晶が
当たったそうです。
それを、裁判の前に、意気消沈しているお父さんにあげたら
御父さんなんだか元気が出て落ち着いたそうです。
後からファントム水晶の意味を知ってYさんはびっくり。

『 ファントム水晶 』の効能を最近知ったのですが、
『 試練を克服するのを助ける 』だそうです。
父にぴったりの石だったんだな〜と今になって判りました。
もしかして、ファントムは私に当たったのではなくて
父の為に来てくれたのかもしれないですね。

凄いです。。。
娘さんからこんなにも思われてお父さんは幸せ者です。
まぁ、きっと普段から良いお父さんなんだろうけど。

<即、仕返しが来た>(2007年12月14日)


Sです、こんばんは。
いつも、いろいろな情報をありがとうございます。
<仕返しは天に任せる>は、本当にスカっとしました。
先日、私も目の前でそれを見ました。

狭いライブハウスで前列の椅子と後列のテーブルがくっついてたのですが、
ライブ開始前に、前列の男性が座りなおした時に椅子が持ち上がってしまって後ろのテーブルをひっか
けてそのまま持ち上げてしまいました。
テーブルからグラスが倒れて後列テーブルに座ってる人達にかかってしまったのですが、
そうした本人は気付かないのかバツが悪いのか謝るどころか知らん顔でした。
周りがお絞りだ、タオルだ、大丈夫?と騒いでたので気付かない訳ないだろうから、
知らん顔を決め込んだのだと思います。

とんだバカ野郎です。

それを見て他人事ながら怒りを感じた私はその男性に「あんたがやったんだから謝りなさい!」という
のを必死に堪えていました。
私は被害者ではないので、当人同士で解決する問題なので口出しすべきでないと思ったからです。

よくそこで思いとどまりましたね。
「正義感」からひと事言ってしまいそうですよね。
「親切心」でもあります。
でも、自分は第三者なのだしコトはそれほど重大ではないのだから、黙っていて良かったです。
時と場合によっては第三者が介入した方が良い場合、しなくてはならない場合があります。
この場合はどうしたら一番良いか?を、冷静に考えることが必要です。


グラスを倒された人が我慢するのはその人の都合なのだから、と。
その後、ライブが始まって盛り上がってきた時、前列男性横の女性が手を振り上げた途端にテーブルに
あったボトルを倒し、彼にかかりました。
グラスまで割れるおまけ付き

ははh!
「オマケ付き」ってのがいいですね。


その時
「ああ、やったことは自分に返ってくるんだ、まさに天罰。私が口出すべき問題じゃなかったな。」
と納得したのでした。


仕返しを含む「回答」が来るまでの時間が速まっているという説があります。
どうもそのようです。
心に思ったことへの回答が来るまでの時間が短くなっているのだから
では私達はなるべく良い想念を持たなくてはなりませんよね。
(困った・・・)

<バカにする人、舐める人>(2007年12月12日)


if様
 こんにちは。Kともうします。先日はメールの返事をありがとうございました。
 最新記事の仕返しを天に任せるを拝見して思ったことがありましてメールさせて頂きます。

 なかなか恥ずかしく、情けない事でございます。私は以前からよく人にバカにされてるな、と思うことがありました。
 そしてそれを感じると、いらだちます。が、自分が思っていることをどう表現していいのかわからず、よしんばわかっても相手と  
 対立するのが怖いのでその苛立ちを溜め込みます。 そして、その相手を見下したり、いつまでもグジグジと恨んだり、怒っ 
 ったりしています。 まさに低次丸出しというか動物レベルというか取り憑かれたくないモンにガッツリ憑かれてるというか・・・。
 あげく自分の感情に疲れ果てます。

 こんな感情は要らないのに、と。バカにしたいヤツには勝手にさせとけばいいのにと。


 私も他人をバカにしたりしてきたのだから、と。けれどなかなか手放せないでいます。手放し方がわからないのです。
 みっともない話ですが、自分を疲れさせる一番大きな原因はこの不必要な感情だと思っていて、それを手放すために様々
 な本を読んだりしましたが腑に落ちることがありませんでした。理解できないだけかもしれませんが・・・。そんなことを思いな
 がらネット検索をしていてパンドラに出会い相似象を知ったのです。少しずつでも分かりたいと思い気づきたいと考えて観察
 していけばいつかは不要な感情を手放せ、受け入れることができるようになる・・・のでしょうか?記事の中にあった感情を
 手放すということにとても気持ちを揺さぶられました。

 変われることを信じてこれからもパンドラで勉強させていただきます。
 長々とお付き合い、ありがとうございました。

ああ、あなたのようなおとなしい人はそうなりがちですね。
アワな方は人と対立出来ないのです。
それが生まれながらのタチです。
 
私のようなサヌキとは違います。
サヌキ人間が取る方法には沢山あるけど、喧嘩する悪口を言いふらすってのは低次元です。
私より、ちょっとだけw
私は即、「百姓の×子ちゃん」という呼び名で呼んで反撃してますよね?
がまんしません。
ガマンは苦しいので、怒りを言葉や態度に出す=サヌキ。 
でも、その時、怒りは笑いに変化していますがね。
悪口を言う代わりに、相手が一番嫌がる弱点を突いてやるんです。
しかも、筋が通ってるでしょ?
だって、百姓は「事実」だし。
 
頭を使うんですよ。
その点が低次のサヌキの中でもちょっとマシな、低次のサヌキ人間である証拠ですかね。
 
もっと上になればそのようなこともしません。
わからずやの相手を気のどくに思って相手のために祈ってあげることでしょう。

それから、私も人からバカにされますよ。
ウチの子供からはバカにされまくってるし、
私の弟妹からもバカにされてます。
アカの他人からもバカにされてますしね。
舐められてるというかな、これ、本当です。
いつか書こうと思ってます。
 
◆バカにされる=悪意を持って蔑まれる
◆舐められるどうせこんなコトくらいでは怒らないだろうと、安心して対応される。
          悪意がある場合と無い場合がある。
          或る意味、人間性を信頼されている。
◆からかわれる好意を持って遊ばれる。悪意がある場合もあるが。
 
これらは違います。
下の方なら好かれている証拠ですね。

if様
 メールの返信ありがとうございます。Kでございます。
 
 ifさんのような方でも他人から舐められたりするんですか!
 なんだか驚きです。
 
 頭を使う・・・。そうですね、頭を使うことができるようになれば、気持ちを態度に出せなくても
 感情的にならずに済むので、楽になれるかもしれませんね。いろいろな違いにも
 気付けるでしょうし・・・。 道のりは厳しいだろうと思いますが・・・。
 
 ifさんのおかげで何だか気持ちが軽くなりました。ありがとうございました。

私?
しょっちゅう、舐められるしバカにされますよ=。
 
 
 
舐められるのは、その人が舐められる人だからではありません。
バカにされるのは、その人がバカだからではありませんよ。
 
 
常に他人を舐めている人が、誰かを舐めるんです。
常に他人をバカにしている人が、誰かをバカにするんですよ。
 
受けてる側の責任ではないのです。
発信している側、つまり、「舐めている人間」「バカにする人間」に原因があるんです。
 
あなたのようなおとなしい人は、自分がおとなしいから舐められるのだ、なんて
思うかもしれないけどそうではありません。
 
原因は全て「舐める側」「バカにする側」にあるのです。
 
なので、舐められたりバカにされたりしたら(ああ、この人は他人を舐めるんだな)
(ああ、この人は他人をバカにするんだな)って、その時思えばいいんです。
 
何故、その人が他人を舐めてバカにして生きているのか、
さまざまな原因があるでしょうね。
しかし、それは私には関係のないことです。
その人の問題ですわ。
 


他人を舐める人間、バカにする人間は心の姿勢が「他人を舐める、バカにする」になっているのです。
なので、他人を見ると他人の言動、行動全てが「舐める理由」「バカにする理由」に見える。
つまり、舐めたりバカにしたりする
レベルのコトしか「見えない」んですよ。
その程度の意識レベル、判断力、波動量しかないのです。

何を見ても「そのように見える」んです。
相手の高次の部分が見えない。
相手が周囲のことを全て考慮に入れ、分からずやの人にどう言ったら理解できるか、
心を砕いているなんてのは、想像すらつかないのです。
だって、それは分からず屋には到達できない意識レベルだからです。
だから見えません。
見えるのは、相手のダメな点、至らない点ばかり。
(いや、ダメでなくても、至っていても、見る目がなければそのようにしか見えない)

よく小学生が
「バカって言った方がバカなんです=!」と言いますね?
それは真理なのです。


だからそのような連中に何を思われても言われても気にしなくていいんです。

でも、頭に来ますよね?
そういう場合、知恵を使って反撃しましょう。
怒るのではなくて笑うんですよ、奥さん!



近所のたかが小学校教師のバカ女に対してはいつか耳に入るよう、
「百姓の×子ちゃん」と、我が家では言ってましたが、私は平気で子供の同級生の親にも
実は言ってました(あは!
早く相手の耳に入るようにです。
ま、ここらへんは多少気が強くないとやれないかもしれませんが・・・


でも、我が家では怒ってなくて笑っていたんです。
次女「お母さ〜ん、百姓の×子ちゃんのウチに行って来るね〜」
私  「そうかい、百姓の×子ちゃんのウチに行くのかい?」
次女「うん。百姓の×子ちゃんのウチ。」
私  「あはっは!気をつけて行くんだよ、百姓の×子ちゃんのウチに。はっはは!」


本当は妙に鼻が高い人は「分からず屋」なんだから、気の毒に思って放置すればいいんです。
これが観音意識でしょうね。
ま、5年間のうちにそのレベルまで到達すればいいや、って思ってます。

<放し飼いの犬>(2007年12月11日)


十数年前に引っ越して来たら近所の犬が放し飼いでした。
田舎なので老人が多い。
なので、そういう状態になってました。

放し飼いでも可愛い犬ならいいです。
ところが、その家の犬はモップのような毛の長い犬で
何故か私の車を見るとギャンギャン吠えて追いかけてくる。

小学生だったうちの子が田圃道を帰って来ると、吠えついている。
飼い主は?と見るとその様子を見て笑っているのです。
その家の倅が遠くに居たので
「放し飼いにすると警察に言うぞ===!」と叫びましたが、
通じないようでした。
私が子供を凶犬から守って家に帰るような有様。

飼い主の家へ行き犬を放し飼いにしないよう、言いました。
するとその家の婆あは
「放し飼いなんかしてないがね!」と凄い剣幕です。
呆れました。




では、あの毛ムクジャラなモップのような生き物、
四本足で牙と尻尾があって、ギャンギャン吠える生物は犬ではないんだな?
では、あの生物がどうなろうとおまえには関係ないな?
よおし、分かった。

しかし、百歩譲ってアレが犬だとしよう(だから犬だって)。
でも
「犬を放し飼いにはしてない」と言うのだから、オマエの家の犬ではない。
だとしたらどこの犬か、が問題になるがそんなコトは私の関知するところではない。
保健所の管轄であろう。

@アレが犬だとしても、〜〜さんは犬を放し飼いにはしてないと言うのだから
 〜〜さんの家の犬ではない。
 従って私がその犬に何をしようと〜〜さんは無関係である。

Aあるいはアレは犬ではない、何か未知の生命体である。
  なので、私がその生命体に何をしようと〜〜さんは無関係である。

我ながら完璧な論理。



それからは私は、私の車を目がけて狂ったように吠えながらついてくる
謎の生物を轢き■そうと、サイドミラーを見ながら運転。
謎の生物が居る方に急ハンドルを切ってました。
飼い主(?)の目の前でw
あ、そうか、
放し飼いにはしてない、と言ってんだから、飼い主ではないはずですね。

しかし、その謎の生物は身のこなしが素早くてなかなか轢き■せません。

私  「父ちゃん、〜〜さんちのモップのような犬(に似た生物)、
    あれ、轢き■しとくれ。」
ダンナ「うん、分かった。」


その家の住人は私の運転ぶりを見て文句を言うかな?と
思ったけど言われませんでした。
言ってくれれば良かったのにな。

住人「おいっ!何でウチの犬めがけて急ハンドル切るんだよっ!」
私 「え?
   犬なんかいたんですか?知らなかったな。」
住人「犬が吠えてるのが聞こえてるだろ!」
私 「は?
   私はいつも車で音楽聴いてるので、外の音なんか聞こえません。
   それより、何で犬を放し飼いしているんですか?
   犬は放し飼いしちゃいけないんじゃないですか?
   県の条例違反ではありませんか?
   それって警察沙汰になりませんか?」


と、こういう展開になることを期待していたのにな、残念です。



そんなコトを数年間やってましたが、そのうちその謎の生物は
「犬を飼ってない家」の庭に閉じ込められてしまいました。
どうしたのかな?
そしてそのうち存在が感じられなくなりました。

ま、一件落着?

<笑いはホントに福を呼ぶ>(2007年12月9日)


先日、絵の代金が商品券で届きました。
見てみたら一部の商品券が西日本限定のお店のものでした。
使える店を見てみたら広島、岡山なんて書いてある。
依頼者の方、慌てて入れたのかな?
あまりのコトに大笑いしました。

岡山にいる知り合いにその商品券を送ることにしました。
以前手作りのアクセサリーを送ってもらったことがあるので
ちょうどいいや、と思ったのです。

すると岡山の方からメールが来た。
何でも毎年殻付きの牡蠣をもらうのだが私は牡蠣が食べられない。
なので毎年牡蠣を友人知人にあげているのだが、今年は
if さんに送る、と言うんです。

おお!
嬉しい!

地域限定商品券を私に送ってしまった方にこの顛末を話しました。
恐縮していましたが、いいんですよ。
人間は間違う。
間違うから人間やっているのだ、って思います。
何を隠そう私自身間違いまくっているのでね、いいんです(無反省)。



地域限定の商品券が届いた時、もし私がこの方の不注意に
腹を立てていたらこのような嬉しい展開(牡蠣)には
ならなかったろうな〜と、笑いは本当に福を呼ぶと思いました。

<仕返しは天に任せる1>(2007年12月8日)
(1〜10&XYZまで記事があります)


本当は天は仕返しなんかしませんがね。
運命に任せるというかな、そんな感じです。
ちゃんとやっていてもトラブルは向こうからやって来ます。
よく「同波長の法則」だから、こちらに非がなければトラブルは来ない
と言いますがそれは浅いと思いますよ。
非がなくたって来ます。

たとえば赤ちゃんや子供。
事故に遭ったり殺されたりしますね。
それって非があったんでしょうか?
赤ちゃんや子供の心には非はないと思いますよ。
でも、ちゃんとトラブルはやって来ます。

お釈迦様が修行していたら、意地の悪い人が来て彼に
悪口三昧したそうです。
これ、同波長の法則からすれば変ですよね。
お釈迦様は意地の悪い人に対して
「今の言葉はそっくりあなたにお返しします。」と、冷静に言ったそうです。
わはは!
なかなかやるじゃん!

ブッダよ、気に入ったぜ!



意地の悪い人というのはいます。
タチの悪い人です。
物事をそのまま受け取らない、必ず曲解、誤解する。
勿論、分からない人です。
分かる人が少ないんだから、分からない人は多い。
そして、分からないだけなら愛すべきひとですが、
(私の友人は愛すべき分からずやばかり)
ここでタチの悪さが加わると、それは迷惑な存在です。



さて、理不尽な目に遭った場合、喧嘩するって手もありますが、
喧嘩が出来るほど人間が出来ている場合は少ない。
喧嘩も出来ないほどワケ分からない人間、ってのが多いんです。
こういう場合どうしたら良いのか?
同じ目に遭わせてやればこっちの気が済むのか?
しかし、私はそのような低次元なことをするほどプライドが低くありません。

これが本当のプライドです。
私の場合、し返しするにはあと3ミリほどプライドが低くならないと・・・

まぁ、即、仕返しする場合もありますがねw
時と場合によります。
でも、いつまでも相手を怨んで憎む、ということは
もともと情感欠如&記憶喪失なので、出来ない。

しかし、し返しに執念を燃やすってのは既にTQ霊の
入れモノになってますわね。

私の場合たまに思い出すけど、その際感情を伴うことはありません。
記憶のみです。
頭しか働いてません。
これが頭人間です。

<仕返しは天に任せる2>


私が体験した数少ない仕返しの実例です。
私は基本的に仕返しをしません。
本当だってば。
これは「仕返しをしないのに、し返しの状況になってしまった例」です。



今から十数年前の話です。
長女が小学生の時の話。
子供会の何かに参加した長女に三学年下の女の子がつばをはきました。
長女は誰に似たのかおとなしく、その場は黙っていたそうです。
で、帰宅してから私に言いつけたので大変。

カンカンに怒ってその家に電話しました。

その子は普段から行動に問題がある子です。
農家の孫。
婆さんが農業をしていて、そこに嫁が来たがその嫁は小学校の教師。
田舎では良くある現象ですが、婆さんがサヌキの場合(もちろん低次の)
大学出の嫁、しかも小学校の先生が来ただ・・・となると
鼻が高くて高くてどーしょうもないくらい高くなっているんですよ。

婆さんの子供時代と、自分の子を育てた時代。
それは「学校の先生はエレエやね!」って世相だったからです。
老人というものは、自分が物心ついてから二十歳〜子育ての頃が
人生のキハンになってしまっている。
その後、どんなに世の中が世界が変化しようと、
もう情報は入らないのです。
だって(自分には知らないことなどない)と、無意識に思っているからです。
勿論「これでいいのだ」と無意識に思っています。


そのような歪んだ婆さんがいる家庭というのは歪みます。
ところが一見このような婆さんは周囲のバカな人が
「ウチの祖母ちゃん利口だいな!」と誤解しているので大変。
絶対改善しませんね。
そして、家族がどんどん歪んで行きますね。
孫に出ますね。


「家族の問題は三代目に出る」そうです。

<仕返しは天に任せる3>


そういう家に嫁いできたのは婆さんが鼻を高くして止まない
小学校教師。
この人が物事が分かる人ならOK。
ところが、この人が問題でした。

この人だけでなく、小学校の教師にロクなのは居ない、ってのが
私の意見です。
あ、言い過ぎたかな。
「たいしたのが居ない」と言い換えてもいいです。

例えば小学校の授業参観の後の懇談会。
小学校教師である、一保護者は担任の教師としか話をしません。
他の母親を無視しています。
その人の発言に他の母親が意見を言っても無視。
その様子を見て呆れました。
(ああ、この人は他の保護者など眼中にないのだな)と。
多分(私が対等に会話するのは担任教師だけ)と思っているのでしょう。

他には地区の役員を決める際、私が順番だそうで引受ましたが
ちょうど妊娠中でした。
しかし、順番ならしょうがないや、って思っていたら、
小学校教師である、地区の女が
「赤ちゃんが出来たからって役員を休まないでよ。」ですと。
想定外の言葉にびっくり仰天しました。
(今の私なら100倍にして返すけど、当時はまだ30代だったので、
驚いただけでした)



なので、小学校の教師というのは普通の母親と比べると劣っている、
というのが私の経験から得た感想なのです。

主婦なら持っている当り前の感覚と能力がないか、乏しい。
これは本当ですよ。


多分自分は子供を祖母さんに預けて仕事をしなくてはならないからでは
ないかな?
子育てをしながら女は知恵と常識を身につけていくものなのにな。
それをしていない。
なのに、何故か発言が常に「上から目線」。
これ、普通ですかね?

<仕返しは天に任せる4>


たかが小学校の教師ぢゃないですか。
何をそんなに偉そうにしているんですかね?

「たかが」の言葉は全ての職業につけさせていただきますね。

たかが政治家の癖に。
たかが銀行員の癖に。
たかが農民の癖に。
たかが公務員の癖に。
たかが官僚の癖に。
たかがお笑いタレントの癖に。
たかが学者の癖に。
たかが会社員の癖に。
たかが高速バス運転手の癖に。
たかが医師の癖に。
たかが税理士の癖に。
たかが・・・


キリがないので止めますが、みな、「たかが」ではないでしょうか?
何をそんなに偉そうにする必要があるんですか?
皆、人間ですよね。
人間、という観点からすれば同じです。
私はここで思いっきり
「皆同じ人間」としますけど、どうですか?

<仕返しは天に任せる5>


で、話は最初に戻ります。
うちの長女につばを吐きかけた子の親にちゃんと教育するよう、
文句の電話をかけたのです。

するとその親(たかが小学校教師)いわく
「おたくの子につばを吐いたんじゃないって言ってますよ。
つばを吐いたらそこにおたくの子が通りかかっただけですって。」
とほざいた。なので
「わざとつばを吐いたかどうか、うちの子だって分かりますよ。
おたくの子はわざとうちの子につばを吐いたって言ってますよ。」
と言ったら相手はせせら笑って何か言いました。
なので、私は怒って
「あんたおかしいよ!」と言って電話をガチャ切りしました。

局地戦勃発

三歳年上の子供を持っている私の方が
母親としては先輩です。
だから、普通は先輩の言うことを素直に聞くべきね。
しかし、小学校教師の中でもこのくらいレベルが低いと
何故か「上から目線」なんです。



その後、その問題の子に対してはうちの次女(×子の同級生)に
「これからは×子ちゃんのことは『百姓の×子ちゃん』と
呼びなさい。」と、命令。

宣戦布告!

素直な次女はそれからはちゃんとその子に
『百姓の×子ちゃん』と言ってたようです。

わはは!

クレームなんぞ来はしません、だって『事実』だし。

全然仕返しを天に任せてないじゃん?

まぁ、そうです・・・

ま、私も相当のワル(低次のサヌキ)ですわね。
相手が謝るまで意趣返ししますわね。
そして相手は勿論自分が悪いと思ってないので謝りません。
その後我が家は引っ越しました。
その後の噂では×子ちゃんはやはりどんどん歪んで行ったようで
マトモなお父さんに皆の前で引っぱたかれたそうです。
お父さんは温厚なマトモな人でした。

<仕返しは天に任せる6>


ことわっておきますが、
私は農民をバカにしているわけではないのです。
ただ、農民が己の分をわきまえず思い上がっているので
そこを鋭く指摘したのです。

私は農民が内心・・・っつうか、表面的にも大変思い上がっているのを
当時知りませんでした。
周囲に農民が居ない環境で育ったので、作物を作る農家の方を
私は偉いな、と思っていました。
(※日月神示に「鋤取る百姓が無念無想になっているのは
  天と一体化していて尊い、という記述がありますが。同感です)

  
そして(お百姓さんありがとう!)と見るたびに感謝していたのです。
この時までは。
ところが、ある街の郊外に住み、実は農民が妙なプライドを持ち
思い上がり他人をバカにしているというのを知り、驚きました。


(この人達はいったい何をそんなに偉いと思っているのか!)

それは先祖代々の土地を所有している点や、前から
この土地に住んでいたから、とか、です。

はああ・・・(脱力感)

思い上ろうと思えばどんな理由をつけてでも、ひとは思い上がるものよのぅ。


それが分かってからはその高慢の鼻をへし折るべく、
私の戦いは始まるのでした。
あ、戦いは私のライフワークでして、これが使命です。


勿論良い人もいますよ。
どんな職業にも例外的に素晴らしい謙虚な人は居ます。
この村にもいました。
その家はお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもお嫁さんも良い人でした。
殆どの農民は良い人です。
今は内心の話をしているのです。
見えない部分の話です。


それはともかく『百姓の×子ちゃん』と呼んでいたので、
それで気が済んだので私は相手を恨むこともなく
そのことは忘れてしまいました。

<仕返しは天に任せる7>


さて、引っ越してから数年後、次女が高校生になりました。
するとあの『百姓の×子ちゃん』も同じ高校に入学しました。
コトもあろうに三年でクラスが一緒(げっ)。
三学年懇談会があるホテルで開かれ、私は役員をしていたので
出席したら、『百姓の×子ちゃん』のお母さんが隣の席!

げ===っ!

もう、席に名札が置かれていたのでしょうがない。
隣に腰かけた百姓の×子ちゃんのお母さんに
「あら、こんばんわ。」と、声を掛けると相手はぎごちない感じ。


宴会は始まりました。

<仕返しは天に任せる8>


さて、今日は飲むぞ〜っと張りきる私です。
私がついたのは保護者と教師、校長もいる丸いテーブル。
ふと向こうを見ると元の同僚がいるではありませんか。
では、とビールを持って彼の元へ。

背後から
「Oちゃん、ずいぶん偉くなったじゃん〜♪」
教頭が振り返って
「あれ===っ!ifさん、どうしたの!」
「娘がここに居るの。」
「えええっ!オレ知らなかったよ、何組だい?」

<仕返しは天に任せる9>


そこでバカっ話をして自分の席に戻るとO先生(教頭)がビール持参で来て
「ifさんさあ、◎◎高校で誰が嫌いだった?」ですと!
バカバカしい質問なので、喜んで答える私、勿論タメぐち。
「そぉねぇ・・・■■と、▲▼かな。」
「××は?」
「××?別にぃ・・・」
「ええっ?××の野郎は※※で◇◇であんなバカ野郎はいないぜ!」
「え?ほんと?わはははh!」
「なに、ifさん知らなかったの?何やってんだよ=」
と、元の勤務先のマル秘情報で盛り上がる不謹慎な二人。

O氏、今は教頭ですが、昔はただのヒラ教員、とても面白い人です。
同僚の悪口で盛り上がろうってところがバカバカしくていいです。

すると、同じテーブルに居た校長他も
「え?お母さんはOさんの元同寮なの?」と、全員バカバカしい話に参加。
もうね、酔っ払ってますから、先生方、
学校で習った数学も古文もフレミングの法則もどっか逝っちゃってます。
ひたすらバカっ話。
「私は先生が教えてる教科が分かりますよ。」と言ったら受けまして、
では当てて見ろってんで、校長以下ビシバシ当ててやりました。

ちょっとしたコツがあるけど、主に直感ですかね。

<仕返しは天に任せる10>


私がいるテーブルが一番盛り上がってるテーブルなのでした。
校長をからかってやったら
「とても嬉しそう」でした。

で、ふと隣を見ると会話に全然参加出来ない可哀想な
小学校教師が一人。
あら〜〜〜、気の毒。
会話に参加すればいいのに、何故しないのかしら?

ま、私も意地が悪いですよ。

しかしね。

たかが小学校教師風情で、自分と同じ立場である
主婦をバカにした罪は厳然としてありますね。

そのツケが今、回って来たのではないかな?

いったい何のためにそこまで思い上がる必要があるのだろうか?
普通にしていればいいのではないか?
「私も皆と同じ主婦であり、保護者なのだ」という簡単なことが
分かればいいんですよ。

それが分かっていたなら、多分この日は高校教師と
一緒になってバカっ話で盛り上がれたのに。
妙な変なプライドがあるのでそうはなりませんでした。
高い高い鼻。
それがへし折られた時でした。



他には・・・
友人の銀行員が住むアパートに行きました。
そこは××銀行の社員寮でした。
で、私は友人の家を知らないので、一階の人に
「〜〜さんの部屋はどこですかぁ?」って訊きました。
別に何とも思いません。
後で友人の〜〜さん曰く
「よく平気で来られたね。
普通の人は(××銀行の寮だから)入りづらいって言うよw」ですと。
意味が良く分かりませんでした。
よく考えると多分友人はこういうコトを言いたかったのだと思います。

××銀行の寮と言えば普通の人なら敬遠するような
レベル高い、選ばれし民の住む住宅。
そのような所は通常人間は畏れ多くて入り込めないものであるぞよ。
よくぞ入ったものじゃ、天晴、褒めて遣わす・・・みたいな?

冗断じゃないな。

(たかが××銀行風情が何を考えている、この馬鹿者め)

ま、怒りませんでしたが少々呆れましたね。

皆、自分の仕事にプライドがあるのでしょう。
でも、それは間違ったプライドです。
正しいプライドを持ってくださいな。
それなら決して鼻を高くすることはないでしょうよ。



妙なプライド、間違ったプライドがあるために
ここぞという時に助け、援助、好意が得られない。

それによって自分が苦しむんですよ。
もっと無邪気になれないものか。
私はさまざまな体験をするたびにそう、思います

<仕返しは天に任せるX>
(2007年12月9日)


いったい、上の件のどこが天任せなのだ?というと、
「仕返しする気はなくても仕返しのような状況になること」です。
それは私が設定したのではありません。
運命がその方向に流れたのです。
それって人間には出来ないことですよね?
だから、「天(運命)に任せる」と、書きました。

このようなことは気をつけて見てみると意外と多い。

<仕返しは天に任せるY>


トラブルと女の場合は友人知人に悪口を言いふらす人がいる。
或いは愚痴を友人に言う人。
上はサヌキで下はアワっぽいですね。
私はどうかと言うと、悪口は言わないんです。
ダンナにも言わない。
言ってもしょうがないから(戦力にならない)。

なので、相手と一対一で喧嘩しますね。
(早く結果を出すには殴り合いがいいですね)
ところが、人間が未熟な場合、自分が何を考えているのか
分からないほどの低次な相手の場合は喧嘩にもなりません。
(喧嘩出来るほど意識がはっきりしている場合はまだマシ)




『百姓の×子ちゃん』とは、えらい言い様ですね、我ながらヒドイです。
いつかこの言葉が相手(母親)の耳に入ることを祈って
使用していました。
これ、悪ぐちではありませんよ。
ただ「呼び名を変えただけ」ですから。
そうでしょう?


もし、この言葉が相手の耳に入り文句が来たらその時は

全面戦争突入!

になるでしょうね。
それを覚悟(期待)していましたが、そうはなりませんでした。

不発弾。

ま、いいや。

<仕返しは天に任せるZ>


そして宴会の一件。

私は職業に上下をつけませんが、
このたかが小学校教師は職業で上下をつけているらしいので
たかが高校教師をぶつけてみたのです。
想像するに彼女は宴会の間中、孤独感と嫉妬、羨みで
苦しかったのではないか?

何故苦しいのか?

それは
「職業で人間をランクづけする自分の心」が原因です。
私のように最初からランクづけなどしなければ
どこに居ても楽しいのに。

なので、天が
「そんなつまらない考えを捨てよ」という意味で
宴会の時わざわざ私とたかが小学校教師を隣合わせにしたのでは?
と思うのです。
分からないことがあると自分の意図とは違い、
「分からせる方向」に運命が動くのです。
これは天の慈悲です。




昔読んだ三輪明弘氏の本にありました。
かいつまんで言うと、皆他人をバカにしているそうです。
一流企業は二流企業をバカにする。
脳外科医は形成外科医をバカにする。
偏差値の高い学校を出た人は低い学校を出た人をバカにする。
金持ちは貧乏人をバカにする。
などです。

美輪氏はこういう思考が大嫌いで、本の中で非難していました。
私も同感です。
私は「他人をバカにする人」をバカにしていますが、
それは人間が出来てないからです。
クワン・インと一体化したような人間の出来た方なら、
そのような人のこともバカにはしないでしょう。

他人をバカにすることによって自分のプライドを保っているのは
間違ったプライドです。
なので、いつか
その間違ったプライド、高い鼻はヘシ折られます
これは運命の法則です。

<仕返しは天に任せるΩ>(2007年12月9日)


さて。
自分の体験談を載せましたが、さぞかし全国の良識ある方達から
顰蹙を買うと覚悟していたら・・・

「スカッとしました!」
「よくぞ書いてくれました!」
「ちょうど同じことを考えていました!」
という賛同のお便りが届き、驚いています。


私の真意が伝わったんだな、と思います。



数人の方が自分の職場の実体験を書いてくれました。
その中の一人、Rさん。


それから電話を切った店長はバツの悪そうな顔をしつつ休憩室を後にしました。
その時、『<仕返し>なんてしなくても考えなくても自動的にそうなるんだな・・』とフト思ったのです。
仕返し、わからせたい
そんなこと他人がしようとしなくても、
当の本人(本当の自分=潜在意識ですね)がわかっているのかもしれないなと思いました。

そうなんです。
それを言いたかったんです。
仕返しをしたい気持ちが起こる。
でも、それをしないで忘れていると、誰かが代わりに仕返し(のようなことを)
してくれたり、し返しのような状況に天が運んでくれます。
なので、自分は仕返しなどしなくて良いのです。


仕返しなどという低次の想いを手放し、天に解き放ちましょう。
するといつか相手は仕返しのような状況に置かれるのです。
いつまでも自分が恨みや怒りを持っていては、それは起こりませんよ。
忘れた頃、それは起こるのですから。
願望も忘れた頃に叶うのです。
それは手放したので、天が受取り、叶えてくれるからです。


仕返しなどという暗いマイナスな感情は自分の肉体と精神を痛めるだけです。
だから、手放すのが一番の仕返しになるのです(って、やっぱり仕返しか!)

へっへへ・・・

<或るガン死>(2007年12月6日)


私が数年前に勤めていた職場にはお店に数人のパート従業員が居て、
一人の社員がいました。
皆、女性です。

社員さんは性格が良く明るく有能でしたが、当然のことながら
「分からない人」でした。
人間はどんなに頭が良くても性格が良くても
通常は分かり方が分からないのです。
学歴学力教養知能指数、間係ありません。

社員さんはやはり私の言動、冗談が理解できないようでした。
「if さんは損な性格だね。」と言うので
「違うよ、得なの。」と言いましたがさらに理解出来ないようでした。
(※私の性格が損か得か、ですが、私はこの通りです。
   で、ここに集まる皆さんのレベルは高く、性格は良く、
   私は楽です。
   これって得ですよね?)


あ〜〜あ、また誤解する人がここに登場したな、と、
私はいつものように放置しました。
この社員さん、離婚歴有り、子供無し、ガンを抱えて生きています。
方や、私はダンナ有り、子供有り、ガン無し。
社員さんに見る目、心眼があれば見えたのだけど、
通常ひとには心眼がありません。
やはり「どっちが損な人生か」分かってないようでした。



S子は社員さんと仲良しだったので去年から近況を聞いていましたが、
今年の夏、とうとうその社員さんはガンで亡くなったそうです。
S子はがっかり&ショックです。
社員さんは私達より年下だったからです。

明るく性格は良く仕事は出来るのに、分かり方が分からないばかりに
常に周囲を誤解して生きている、そういうひとって多いのでは?
日本人の死因のtopはガンだったっけ。
日本人の半数はガンになるそうです。
まぁ、一度は死ぬんだから死んじゃうのはいいんですよ。
でも、ガンの苦しみは私に言わせれば
それまで誤解して生きて来て、それが原因で間違った
思考と感情を続けたものが、自分に帰って来ているのではないか?

この社員さんも冗談が通じない場面が多々有り(他のパートの人もね)
怒ってしまい、それを我慢している場面がありました。
怒ったなら文句を言えば良いけど、怒ることは良くないことだ、と思って
いるので、怒らないのですが、でも、怒っているんです。
文句を言ったなら「それは違うよ。」と、説明できますが、
文句を言わないのでこちらも説明のしようがありません。
こういうひと、多いと思いますよ。
怒りが内向してガンになるのでしょうね。

社員さん、私の話を聞くようなら良かったのにな、と思います。
とても良い人でしたからね。

こういう話をちゃんと聞くのはS子ともう一人だけでした。
あとは全く受け付けない。
それが世の中の大方だと思いますが。