人間のいろいろ 2

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<いるかさんの石鹸>(2007年1月25日)


キリ番取ったNさんに石鹸を送りました。
すると、治らなかった炎症が薬をつけてもいないのに
この石鹸を使っただけで、治ったそうです。
うちには肌が弱い人がいないので、そういうコトがあるのか、と
驚きました。

プレゼント用に石鹸サンプルを50個購入した際、
オマケについてた通常サイズの石鹸が
余っているのでNさんに送ってあげました。



if様



石けん、拝受いたしました。
大きめの石けんで、長く愛用させていただくことになると思います。
本当に、ありがとうございます...

大学病院に一年通っても治らず、
ホメオパシーでも効果のなかった皮膚病が、
こんなに短期間で良くなるとは思っておりませんでした。
使うたびにキメが整って、あとは首周りのみ、といったところです。

もう一つ驚いたのは、洗顔の後。
以前は化粧水や美容液を欠かさなかったものですが、
この石けんを使った後では、そういったケアが
特にいらず.....乾燥からくる小ジワに、確実に効果あり、でした。


本当に信頼のおける石けんに、やっと巡り会った、という感じです。


一人でも多く、特に私のように肌のトラブルで困っている方に
海豚さんの石けんを知ってもらえたら、と強く願っています。
パンドラでのご紹介を、楽しみにお待ちいたします。
必ず、友人や家族の分も合わせて、購入させていただきます。


この素晴らしい石けんを作って下さった海豚さん、
そして、ifさんのご好意に、心から感謝いたします!!!


Nさんが石鹸の感想を送ってくれなければ、
私にはNさんの肌の炎症のことを知らなかったのだから、
メールをしたNさんが正解だったんですよ。

私が皆さんに「動きなさい。」と言いますが、
こういうコトなんです。
何も特別なことをしろってのではありません。
ちょいと気を利かせる、気が向いたらやってみる、
一応ダメ元でやってみる、言ってみる、というくらいの
簡単なことなんです。

それが出来た人はこのようなラッキーがありますね。

さて、いるかさんの石鹸を皆さんにも紹介したいと思います。
下はいるかさんからのメールです。

いつも、お心に掛けていただいてありがとうございます。
 
PANDPORAで紹介していただけるのはとても嬉しいです。
 
石けんを使っていただいて多くの方の喜んで頂けることが
一番の励みやステップアップの力となります。
ifさんにご縁をいただけたお陰で、又幅広く色んな方々に
使っていただけることが本当に嬉しく思っております。
 
宜しくお願いいたします。

<可愛い>(2007年1月22日)


Yさんからの情報です。

高校の時、性病の感染が低年齢化してるとかなんとかで
市民病院の看護士さんが公演にきてですね、

わたしは子供をかわいぃかわいぃと言って育ててます。
もう、うんざりするほどかわいいわね〜と言っています。
そうするとですね、変なおじさんに「君、可愛いねぇ」なんて言われても
ホイホイ付いていかない子に育つんです。

ですとー。


なんと!
そうでしたか。
想像もつきませんでした。
さすがその道(性病専門家)の言うことは違う。

我が家もねぇ・・・もっと、娘達に可愛いと言って育てれば良かったですよ。
私が言ったことといえば・・・

「ぶす」
「ちび」
「でぶ」

ど=しよう!(汗
後悔先に立たず!

でも、末っ子の◎ちゃんには毎日1時間毎に「可愛い♪」を連発してます。
15年間毎日です。
だって、可愛いんだもん♪
この子は変なおじさんについていかないでしょうね。
良かった♪

<デトックス・フットバス>(2007年1月20日)


テレビでデトックス・フットバスというのをやってた。
お湯に足を足首まで入れて3分経つと
お湯の色が茶色になってとても汚くなる。
足の裏から毒素が出るそうだ。

私は以前、寝る時に足裏シートというのを数ヶ月間
使っていたことがある。
朝になるとそのシートは茶色くなっていた。
その色はシートの成分=樹液の色ではないそうだ。
ところが安いシートが手に入らなくなり、
一年以上足裏シートは使ってなかった。

先日、暇な日があったのでデトックス・フットバスを
体験しようとスーパー銭湯へ行ってみた。
銭湯に入場するのに1000円。
フットバス使用料が2000円だから、3000円かけたわけ。
高い・・・。

さて、フットバスに足を入れてみたが、お湯の色が殆ど変化しない。
ほんのりオレンジ色になっただけ。
重金属は少し浮いた。
30分足を入れていたのに、お湯の色の変化が(え?これだけ?)


なんだか損をした気分。


係りの女の子が首を傾げて「代謝が悪いのだと思います。」だって。


なんだか損をした気分。


でも、毒素が少ないのかもしれない。
喜ぶべきなんだろうか?

<岩盤浴>(2007年1月20日)


岩盤浴は数回体験した。
30分ほど寝転んでいればいいので楽だ。
汗を沢山かくし、その汗はベトベトしていなくて
さらさらしている。

普段運動をしないので汗をかかない私なので
気持ちが良いような気がする。

<ゲルマニウム温浴>(2007年1月20日)


腕(ひじも)と足首をゲルマニウム入りのお湯に入れて
25分間ほど、じっとしている健康法。
この姿勢でじっとしているのがちょっと退屈だけど
汗をだらだらかくのが凄い。
岩盤浴よりゲルマニウム温浴の方が汗をかく。

これはあとが気持ちいい。

<教える人>(2007年1月12日)


Yさんからのメールです。
ここんとこ硬い話しが続いたので笑える話をしましょう。
教え方はひとそれぞれです。


千葉だかどこかに『ナンパ待ち』のスポットがあるそうです。
男の人が(いい)車でやって来て女の子をナンパするそうです。
そのコースに橋があるそうです。長い橋が。

ある高級スポーツカーに乗ってる男の人は、いつもそのナンパスポットで
女の子をナンパし、車に乗せ、橋の途中まで来ると
「ここは夜景がキレイなんだ。見てきてごらん」と外に出させ、
女の子が「わぁ、きれぇ〜」とか言ってるうちに走り去るそうです。

この男の人は、
ほいほい見ず知らずの男の車に乗るとヒドイ目にあうってコトを
教えてやっているんだ。と、言ってるそうです。

この男の人の内心に楽しんでる節もあるかもです。
つか、むしろそっちがメインかもです。


ま、そっちがメインだとは思いますが、でもタチは悪くないです。
その女の子達は貴重な教訓を得たことでしょう。
それは一生の宝になりますね。

この例のように「一見悪」で実は「善」てのがある。
日月の神も
「悪の総大将は善の顔して御座るのぞ」と言ってます。
さて、あなたはどちら?

<クソガキな過去>(2007年1月11日)


下の方の記事ゲイダイさんの<過去の自分と向き合う>を読んだ、
トウダイさんからメールが来ました。

件名が「クソガキではなかったけれど」とあります。
内容はコレです。

小学校ではほんとに勉強した記憶が全くないけど、
「給食係」とかやっていました。何をするかっていうと
給食当番が配膳している間、席でお喋りしている奴を
注意して、3回注意されたら1分食事お預けとかを
命令できる係。自分で勝手に作りました。嫌な奴だ〜。

あと理科係。担任の先生から理科室の鍵をくすね、
怪しい薬品(なんちゃらマグネシウムとか)とかを
持ち帰ったり、試験管や分度器やアルコールランプを
ガメたりしていました。危ないし犯罪だって。




立派なクソガキじゃありませんか!

鑑別所には入らずに済んだようだけど
「給食の決まり」には笑いました。
マフィアだって、ここまではやらないと思いますよ。
かなり、嫌なガキですわね。

子供時代は自由にさせてあげたいですね。
子供の心を縛らず、自由に伸び伸びとさせてあげたいです。
小さい頃から勉強漬けにしなくたって東大や芸大に入れます。
入れなかったら、その方が良かったのです。

たまたまメールをくださった方が高偏差値ですが、
それよりも魂が活き活きとしている方が重要です。


<好きなことなのに>(2007年1月11日)


好きなことが見つかった人でも問題があるものです。
Yさんの体験談は多くの人に心当たりがあると思います。
参考になると思うので載せますね。


私は絵を描くのが好きです。好きなだけに時間が経つのを忘れてしまいます。
家族より早起きして描けばいいのですが、そんな日に限ってみんな早く起きてきたり、
前の日かなり夜更かししたり、なかなか早起きが定着しません。
我ながらへたれ・・・。と思ってふと考えました。

「好きなことは楽しくできるはずだ」詭弁です。
でも頭のどこかにこういう意識がありました。
「好きなことを仕事にしているから苦なりません」「楽しくて楽しくてたまりません」
雑誌などのインタビューによくそういう答えが書いてあるような。



何で好きなことなはずなのに迷うんだろう?
何で好きなことなのに踏み出せないんだろう?

YoshikoさんのブログでKさんの「エネルギー実験場・2」を知り、行ってきました。
あ〜、本当に進歩してないなと思いながら。
言葉をいただくとそのときは理解したような気持ちになる。
はい、わかりましたと言葉をいただく。
なのに行動に移そうとすると一歩が踏み出せない。
そこでKさんにいただいた言葉
「本気で進もうとすると、楽しくという訳にはいきません。
「動機付け」が必要になってくると思われます」
、「えっ?」と思いました。
あれほどの方でも楽しいばかりで進んでいらっしゃる訳ではないのだと驚きました。
何だ、時間のやりくりや自分の絵の下手さに苦しんで嫌になって当たり前なんだ。
「すすむ」という一言は何の抵抗もなくただ進むということではなかったのだ。

Kさんの「すすむ」という言葉には
「いろんな障害を乗り越えながらすすむ、自分で悩みながら考えながらすすむ」
という重みがさらりと加えられていたのです。
「言葉の重み」についてわかったわかったといいながら、実はわかっていない。

す・す・む。
Kさん自身そうやってすすんでこられた方なのだと理解できました。
まだまだです。

<過去の自分と向き合う>(2007年1月11日)


向き合うと言っても大層なことではありません。
思い出すことです。
ただ、思い出すだけではなく、その時自分はどうだったか、
大人になった自分が、当時の自分や周囲の状況を考えてやる。

今の自分に何か問題があるとしたら、原因を発見出来るかもしれません。
と言っても、別に刑事のように疑ってかかるのではなく
ただ、思い出せばいいんですよ。
そして、滅多にあることではありませんが、当時の感情が
リアルに甦ることがあり、それは魂の癒しになります。

さて、芸大出のKさん。
今、何か仕事に熱中出来ない、何か足りないという思いがある。
それで、過去を検証することにしました。
順番通りに思い出す必要はありませんよ。
出て来るに任せてみましょう。

思い出し方の実例として載せますので参考にしてください。


幼少の頃の自分が少年期の自分が、いまの自分に何かを言ってきます。ここで過去の
思いを精算しろと言うことなのでしょうか。
冬の間、じっくりと過去の自分と見つめ合います。

ばっさり大くくりして小学生までの自分、中学、高校までの自分、大学から今までと
分けられます。それぞれが、かなり境遇?心境?もろもろ違うのです。


幼少から小学生時代。
我が人生の春でした。ノープロブレムな人生。順風満帆。高学年になるに従いやや陰
りがでてきたか、という感じですが。
自分で言うのも恥ずかしいかぎりですが、家では姉に苛められても幼稚園に行けば俄
然リーダー。春生まれは得です。何やってもそこそこできる。目立ちたがり、誰も
苛めたりしないし、とにかく楽しく過ごしてました。

唯一嫌いだったのが絵を描かされる時間。嫌いでした。
なぜって遠足だ、運動会だ芋掘りだ、って描かされる。
覚えてないもん。で、子供の描く絵が下手なのは分かる。ぼろくそ言うんです。

お姉さんがぼろくそ言ったのですか?

そのくせ自分は運動会の絵は綱引きの縄、太く一本とか、芋掘りは土だけ、とか描い
てました。いい加減なのが嫌だったのを覚えてます。立体的に見えてるのにぺったと
しか描けないのが嫌なのです。上手く大人に説明出来なくて歯がゆかったのです。

ところが密かに自分で休み時間に描いている大作があった。
UFOの絵です。なぜでしょう?分からないんです。ただそれがお気に入りでよく描い
てました。想像のものは形に縛られないから良かったんでしょうね。


小学校低学年。春真っ盛り。多分、男にも女の子にも人気あったと思います。
地球は自分が中心で回ってるような感じで、みんなが自分に集まってくる。
辛い思いは剣道の寒稽古。1年生は出なくて良いと言われていたのに、なぜか私は行っ
ていました。よーく覚えてます。
時計が5時になると起こされて、真っ暗な冬の道を防具をくくりつけた自転車で急な
坂をのぼる。氷のような床。声だけはでかくだして、何とか1週間乗り切った。稽古
が終わってから学校に行くので、他のヤツよりは強い気がするんです。
剣道は強くなる前にやめましたが。
成績は大体中の上、程度だったかな。とにかく手を上げて発言するのが好きで手を上
げてから答えを考える。
だから周りは出来るヤツだと勘違いするのか小学校6年間全て学級委員。



4年生で××の団地から○○の海辺のマンションに引越。少し陰り始める。
港町はワルが多くて、おまけにマンションラッシュで小学校が収容しきれないほどの
転校生。
学級崩壊してました。そこで不良達との付き合いかた、距離の取り方を学んでゆきま
す。
つづく




頼みもしないのに、続き物になっているところが
小学生時代から(お調子者の)性格が変化していないように思えます。
しかし、創作をする人にはこの感性が必要ですね。
永遠の少年、みたいな柔軟な魂が必須だと思います。
分別は創作活動の邪魔になりますね。
分別は他の場所、家庭内や社会で発揮すればよろしい。

意外なのは、Kさんが絵を描くのが嫌いだったこと。
まさか後々芸大に入るとは本人も周囲も予想していなかったでしょう。
人生、そんなモンかもしれませんね。

だからお母さんがたに言いますね。
お子さんのことを早めに諦めないようにしましょう。
長い目でみましょう。

ウチもそうしてます(泣


さてさて、Kさんの話しには続きがあり、クソガキそのもので笑いました。
まぁ、そういう体験が心を豊かにしたんだなぁと、どんなコトでも「良い方」に
解釈する私はそれで「よし」と言いましたが。


世のお母さん方に言いますね。
たとえおたくのお子さんがろくでもないないことばかりしていても
それは将来芸術家になるための基礎作りかもしれません。
大目に見ましょう。

<本当の友>(2007年1月10日)


政府関係の銀行にお勤めの方から、なるほどぉ・・・と
思えるお話を聞きました。


残ってくれた人が本当の友です。

銀行の融資も世の中の仕組みもまったく同じです。
おらーITだー不動産REITだーという時には一斉に群がります。
でも債権放棄とか事業整理とかいう段階になるとぱっと掌を返して
一抜け二抜けしていく。そこで最後まで歯を食いしばって一緒に
やり続けられたメンツが「こいつとならまた仕事をしよう」と
いう関係になって生涯つきあっていきます。

後ろ向きの時に人間の本性が現れます。
そこで付き合えた人は本物です。



困った時の友が本当の友って言いますよね。
さすが”現場”の人の声は説得力ある。

<お婆さんの夢>(2007年1月8日)


これは或る男性が見た夢です。
人も羨む芸大を出ている、芸術家です。
精神世界に興味を持ち、求道の日々を送っているこの方が「書く行」を始めました。



以前見た夢でとても印象深いものがあります。
優しそうなお祖母さんがちょこんと座ってます。私になんでも話しなさいと言ってい
るようでした。私は人に比べてストレスが少ない気がしていますし、改めて相談に乗っ
てもらうことはないと思っています。っと思ってなぜかお祖母さんの差し出された手
をとったのです。すると堰を切ったように溜まっている感情が言葉となり(何を話し
たか覚えていません)嗚咽しながらすがってしまいました。
自分はこんなに話したがっていたのか、理解者を求めていたのかと思ったのです。
目覚めはもちろん最高にスッキリでした。


◆そういうのは、ユング派に言わせれば、グレートマザーとか
  「名前」をつけるところですね。
  学者、医師、カウンセラー、全ては「名前」を付けていますね。
  そして、そういう名前(語句、単語)をなるべく沢山知ってる人が
  何となく偉いような気になってます。
  あと数年でそういう世が終わるのですね。
  いいことだと思いますw

◆そのお婆さんは、あなたの先祖や守護霊などかもしれないし
  あなたの中にある「英知」を映像化したものでしょう。
  それが女性の姿なのは、「理屈ではなく、情緒、感性が問題になっている」って
  ことを示しているのでしょう。
  老人なのは「経験による知恵を持っている」ということが
  映像となっているからです。

  本当に潜在意識、魂の頭は良い。
  一つの映像であらゆることを盛り込んでいるからです。
  あなたも、その夢からメッセージをちゃんと受け取れているようで
  いいことだと思いますよ。

◆そのお婆さんはあなたが普段意識することがないモノを意識化してくれました。
  「誰かに聞いてもらいたい」という思いがあったのに、
  あなたはそれに気付かなかった。
  多分、何年もです。
  そのまま行ったらまずいことになっていたでしょう。
  そうなる前にあなたの潜在意識は、夢で「何でも聞いてくれるお婆さん」を
  登場させ、あなたの「誰かに聞いてもらいたい」気持ちを「意識化」させました。
  そして、あなたは今、「書く行」をしています。
  
◆ってことはだ。
  あなたの夢に出て来たお婆さんて、現実世界ではアタシのこと?
  ガ===ン!





 まぁ、いいさ。
 どんどん送って頂戴。
 読むから(泣

<旧友>(2007年1月8日)


Rさんからの報告です。
こういうことはありがちなので、多くの人が同じような体験をしていると思います。
参考になるので、ここに掲載しますね。



今回はちょっと報告です。
昨日、友人と食事に行ってきました。
ゆっくり会って話すのは久しぶりでした。
 
彼女は中学のときからの友達です。
私が動かない(動けない)タイプだとすると、
彼女は、常に何かをしているようなタイプの人間です。
どちらかというと姉御肌タイプで、
いつも周りには慕ってくる人でいっぱいのようです。
 
私から見ても、
いつもどんどん行動していてすごいなぁ。
と思うと同時に、
それに比べて自分はなぁ。。
というのもありました。

 実際、
あんたは、いつもそんな小さいことばかりで喜んで。
もっと、大きなことしなさいよ。
そんなんじゃ、つまんないじゃん。
そんなようなことを言われたこともありました。
でも、その時には、
私は、小さいものでも喜べる、得な人間だ。
大きなことを求めるのはよいけれど、
それでなくちゃだめだ、という考えには疑問を持つな。
と思っていました。
それでも、
やっぱりそうなのかなぁ。そうとも言えるよなぁ。。
と、まただんだんと迷いが出てきてしまいました。

その彼女と昨日会いました。
いつものように、彼女の独擅場でした。
去年もまた、国内・海外問わず旅行に行き、
今までのように、憧れの有名人たちに会って、
お話が出来るくらい接近できているそうでした。
とても嬉しそうでした。楽しそうでした。
でも。
そういう彼女を見て私は、
なにか焦っているように見えました。
なにか、拠り所を必死になって探しているように見えました。
 
容姿も身につけているものも、よい(悪くはないと思います)。
行動的だし、明るいし・・人気者の彼女です。
今までなら、正反対の自分を卑下していたところもありました。
それが、昨日は、そんな気持ちを感じることはありませんでした。
逆に、ちょっとかわいそうだなぁ。とさえ感じてしまいました。
 
帰りに、最近具合が悪いと言っていました。
去年に一度会ったのですが、
そのときも、胃の調子がよくない、頭痛がする、薬が手放せないと言っていました。
昨日聞いてみると、もうよくなった、と言ってはいたのですが、
やっぱりまだ、完璧ではないみたいです。
(胃カメラのむ価値はあるな、とか言っていました)
(そんな価値なくてもいいよ)
 
なにかココロにあるものが、
胃の痛み等で出てきてしまっているのかなぁ。と思いました。

 ifさん、私のことを「絶好調のようです」と書いてくださってましたが、
私もまだまだです。
不調の時期が長すぎて、慣れてしまっていたんだと思います。
でもそのお陰で?
少ぉ〜しだけのことでも、カラダが軽くかんじる!笑
これから、もっともっと、
本格的な「絶好調」笑 に向けて、頑張ります!
頑張り続けます。
 
カラダは正直。
本当に、本当に、そう思います。
有難いですよ。。
それは違うのよ=!って、
一生懸命教えてくれているんですよね。
私なんか、そうとう小突き回されているんだろうけど、
ちっともわからない笑
実際の不調もそうですが、
自分の中に、
「もやもや」があるときは、
なにか「違う」のかな、と思いました。
そういう細かい小さなサインを逃さないようにしたいと思います。
少なくとも、気づかないフリをするのは、
もうやめよう。
本当の意味で、
自分を大切にしたいですから。
今まで、蔑ろにしてきたからなぁ。。

 それと、
この友人と会った帰りに思ったことがありました。
自分の居場所は、自分だけなんだろうな。
どんなに遠くへ行っても、
・・海外だったり、知らない土地へ行っても、
自分のココロの置き所は見つからない。
行くこと自体は否定しません。
その経験は、経験として、糧になると思います。(それも本人次第かな?)
でも、それは、それだけであって、
・・極端な表現ですけど、
行く、行かない、にはそれほど意味はないのではないかと。。
それよりも、
心持?なのではないのかなぁ。と思いました。

 よくわからないですが、
みんな、本当は、本当の自分で生きたいんだと思います。
それに向けて、
自覚を持って頑張っている人、
そうはしたいんだけど、どうしていいのかわからない人、
問題や不調は自覚しているけれど、それがなんなのかわからない人、
それから、
わかってはいるけれども、やろうとしない人、
わかってはいるけれども、どうしていいのかわからない人、
とにかく、わからない人・・・
もう、たっくさんの・・人の数だけの意識の場所?があるんだと思います。(当たり前)
だけど、
本当の、本当の、奥にあるものは、
一緒?というか、
その人のままを生きる、生きたい、という、
原動力?は、同じようにある、ように、なんとなく思いました。
 
人それぞれに、
タイミングや、機会が訪れるときがあるのだと思います。
だから、
今は、とんでもないことをやってしまっていたり、
悲しいことの真っ最中にいたり・・・
あるかもしれませんが、
それぞれに、
自覚はなくとも
頑張っているのではないかなぁ。と、(都合よく)思いました。
 
・・・凄く高飛車な言い方ですけれども。
人間は、愚かだけれど、愛らしいなぁ。と思いました。

  でも、それは、それであって笑
 
私にだって、のほほ〜んとしている時間はない。
いや。
のほほ〜んは、ある意味あるかもしれないですけれど(というよりほしい)笑
後悔とか、良くも悪くもないことを悪く取るとか・・・
そういうのにかける、時間もエネルギーも私にはない。
というより、もったいない!
たまに(楽しみとしてw)切なさを感じたりするのは勝手だけど。
それと同じく、陶酔次元も、自覚を持って楽しみたいと思います。



Rさんのように旧友と久し振りに再会すると驚くことがありますね。
以前は気が合っていたのに、今は話しが合わなくなっているということがある。
波動量が増したからです。
知恵がつき、能力がupしたのです。

その反対に昔は敬遠していたが、今は話しが通じて付き合うのが楽しい、とか。



今、心の世界での離合集散が激しいです。
気付いて進む人、そこに留まる人、違う方面へ行ってしまう人がいます。
変化が速い。

今までは混在していたそれらの人達がある刺激によって、それに対する好悪
から分かれて行く、ということが現実世界でもネットの世界でも起きている。
ネットの世界の方が、心が純粋に出るので、
現実世界よりも変化が速く、ハッキリしていますね。

この「好悪」を元にして分かれていくとはどういうことか。。。。と言いますと
それこそが、魂の声であり、意識レベルの差から生じるものであり、
それで構わない、いや、それしか分ける、分かれる原動力はないのではないか
と思いますよ。

だから、自分の心を見つめることが出来るようになった人、
正直になった人、自分の好き嫌いがハッキリわかって来た人が
変化を早く起こしていますね。

今まで個人の単位でも、混沌としていたのです。
個人が混沌としていたので、個人が属する集団も混沌としていたのです。
その混沌が次第に、はっきりと分かれて来ただけです。

面白い現象です。


この現象はこれからさらに進むでしょう。
その時、自分の選択を謝らないようにしたいものです。

<ジャンベに思う>(2007年1月8日)


Kさんからの報告です。

私も和太鼓のずんずんと腹に響く音は大好きで、感動して泣きます。
和太鼓でなくても打楽器が好き。
今回はアフリカの打楽器に関するエッセイをいただきました。

今日は、民族学博物館で色々な国の打楽器の演奏がありました。

西アフリカのジャンベという太鼓の演奏を聴いたときのことです。

その男の人は、たぶん、アフリカをルーツに持っている人で、
そのグループの指導者だと思われます。

彼がジャンベを叩くと、その音がまるで言葉のように聞こえたのです。

アフリカでは、太鼓が会話の代わりになるのだとはっきりわかった瞬間でした。

音の強弱、叩く場所での音色の違いが、彼の手から生み出されていく様子は、
大昔からジャンベと共存している人ならではだと思いました。

そして、彼からジャンベを学んでいる子どもと女性たちが、
とても楽しそうに、演奏していました。


しかし、そんな中、浮いている音がありました。

男の人たちでした。彼からジャンベを習っている日本人の男性。
ソロになると「俺は上手いんだぞ」とばかりに必死で叩いていました。
その音色は、きんきんとして固く、ただ「すごいだろう」と言わんばかりで、
聞いていてあまり気持ちのいい音ではありませんでした。

楽器はその人の心を写すものだと思いました。

また、こうして会話する太鼓は、きっと人と人だけではなくて、
天に何かを伝えるための大事な楽器だったろうということも想像できました。

博物館の館長さんによれば、打楽器は「トランスする」時に使われるそうです。
除夜の鐘のように。

新しいステージに向かうときに打ち鳴らされるもの。

帰りは気持ちがすーっとして、お祓いを受けた後のようにさわやかでした。



Kさんはウツだそうです。
どこが?
って思いませんか。
ウツで悩んでいます、とKさんから相談メールが来たので
試しに「書く行」してごらん・・・と勧めたら、文章が巧い。
なので「小説形式にしてごらん」と注文つけたら小説を書いて送ってくれます。
これがまた、面白い!

毎回、読みきりの短編小説になっている。
表現力が豊かで観察眼は鋭く、何かしら学びがあり、最後には必ずオチがつくという優れもの。
とても面白いので次の「作品」が来るのが楽しみです。
小説を毎日書いてる、この才能・・・どう、思いますか?皆さん。



私はウツは病気ではなく性格由来の、一時的な心の状態だと思っています。
身体で言えば風邪にあたるのでは?と思う。
風邪は病気といえば病気だけど、病気とはいえないような病気です。
こっちは体質由来の身体の病気ですが。

風邪を引き易い体質の人がいれば、引いたことないくらい丈夫な人もいる。
軽ければ半日で治るが、長引けば一ヶ月は苦しむし、重くなると命にだって関わる。
ウツと似ていますね。

ウツとは「心が風邪を引いた状態」だと思うのです。
いくら風邪でも罹れば苦しい。
また、何度でも罹ってしまう。
厄介っちゃぁ厄介。
ウツも同じく、何度でも繰り返す。
でも、本当に身体を鍛えれば風邪を引かなくなるように、
心を鍛えればウツにもならなくなると思いますよ。



Kさんのウツ状態は、これほどの文章の才能がありながらそれに気付かず
(そういう育ち方をしたので)、その才能が表に出られないので
不都合を起こしていた、と思うのです。
あるのに表現されないものはいつか必ず表に出ようとします。
自覚出来ない怒りや悲しみなども、です。
それを表に出すことも精神の健康のためには有効だし、才能を発揮するのも有効です。

Kさんだけではなく、「書く行」している他の方からも「身体の調子がとてもいいです」と報告がありました。
良かったです。
「書く行」の受取人は無料でしていますが、「書きたての小説」を読める、という役得があるし
面白い話が聞けるので、私は満足しています。

<ありがとう>(2007年1月8日)


師匠と、師匠の友人の中山氏、「ありがとう」ということに反対しています。
中山氏はDVDで「ありがとうなんて言わなくていいんですよ」と
語っていたので笑いました。
(何もココまで言わなくても・・・)
しかし、これだけでは誤解されるので説明しますね。



多くの人の思考の大半を占めているのが、マイナスの感情です。
恨み、嫉み、やっかみ、怒り、悲しみ、嫉妬、悲観、憎しみなどです。
感謝すべきところに感謝できる人が少ない。

何故なら、上に挙げたマイナス感情は別に訓練しなくても
自然に出て来るからです。
(これを動物次元と言います)
感謝するには「そのことが感謝するべきことなのだ」という、
意識がないと、感謝出来ない。

感謝するには、感謝するだけの知恵(知識、波動量)がないと無理なのです。
だから、昔の日本人は
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」と言いました。
感謝できない人=馬鹿者
感謝出きる人=賢い人

あらゆるものに感謝できる人=大変賢い人
昔の日本人は大変波動量が高かったから、この仕組みがわかっていた。



だから、「ありがとうと言う運動」は、ありがとうと言えないレベルの人には
分かり易い、意識革命なのです。
放っておけば恨みつらみ憎しみでいっぱいになってしまう、
そのレベルの人達に「いや、感謝しましょう」と、まずカタチから入らせる。
感謝出来なくてもそれがミにつけば、「ああ、これは感謝することなんだな」と
自分に教え込むことが出来るのです。

全ての宗教や道徳教育などはコレですね。
まずわけなどわからなくてもカタチを仕込んで、心に後からついて来させる。
有史以来世の大半を占める人用の、教えです。


ここまではいいですね?



しかし、師匠並びに中山氏は「その上」を言っているのです。
「ありがとうと言ってるだけではダメなんだよ」と。
その通り。
そのレベルではダメなんですよ。

大方の人はありがとうと言えるようになるでしょう。
でも、そこで留まっていては本当はダメなんですよ。
しかし、本当はダメだけど、それを超えて行ける人って、
例外的に少ないのです。

師匠も中山氏もかなり「ありがとう」を言います。
師匠などは私が師匠の命令でHPを更新するたびに
「迅速な更新、ありがとうございました」と、メールくれるので
「お師匠さま。
あなたは私の上司なんだし、私は仕事でやってるんだから
いちいちありがとうメールくれなくていいです。」とたしなめました。
「うむ、ご苦労であった」って言えばいいし、言わなくてもいいの。



「ありがとうと言うな」と言ってる超本人がコレです。
師匠と中山氏はありがとうを言わないのではなく、
「ありがとうと言ってそれで済ませるような、その程度の意識レベルに居ては
いけない、その上を目指せ」
と、言っているのです。

万人向けではありませんね。




このようにコトは「ありがとう」だけではなく、全てに意識レベル(波動量)の
差があります。
その差がわかる人が殆ど居ません。
何故なら、「意識レベル」というものがある、「波動量」というものがある、
ということを殆どの人は知らないからです。
その視点がないので、自分がしていること思っていることを無意識に
「これが全て」「これが正解」と、思っているのです。

ここで「自分が思っていることを超えているものがあるのではないか?」と
勘の良い人は気づきます。
しかし、そういう人は少ない。

自分の意識レベル(波動量)を超えているものは感受出来ない。
これが誤解のもとです。
ハッキリ言いますね。
誤解はする方が悪い。
誤解したなら赤面して考えを改めましょう。
それが出来ないから誤解するのですがね。

<トリックを見破った人>(2007年1月6日)


下の方の記事<トリック>に、書いた記事と関連していますが、
このRさんからのメールは去年もらったものです。
わかる人にはわかっていたのですね。
だから、<トリック>と、書きましたが実はトリックでも何でもないのです。
「当たり前」のことなんですよ。

<トリック>という言葉を使ったこと自体が<トリック>でした。



前に、BBSで誰かさんが、
「ifさんは、ご自分で、『ろくなことを言ってません』としておきながら、
まだやっているのはどうしてか」
のようなことを書き込んでいたのを目撃しましたが、
私はあの文を読んだときには、逆に『すごい!』とさえ思いました。
だって。。
自分の言っていることを『ろくでもないこと』って、自覚出来ているんですよ!

Rさんにはわかったんですね。
他にもわかった方が沢山いると思いますね。
ただ、私にメールをくれないだけだと思います。

私は、自分の言っていることなんて・・・どれくらい自覚出来ているんだろう??
しかも、『ろくでもないこと』っていうのは、
「言いたくないこと(世間体とかで)」だと思うんですよ。ふつう?は。
だから、
ないものにしてしまう。
正当化してしまう。
その前に、
『言っては、いけないことだから』
『考えては、いけないことだから』
で、
思考からも、ないものにしてしまう。
そのうち、それらは無意識の領域に入ってしまうのかしら。。

入ります。
でも、なくなったわけではない。
心の奥底に沈潜している。
それは折に触れ表に出ようとします。
(※これってちょうど低級霊がどんなことでも切っ掛けにして
   三次元に出て来ようとするのと似ています)
 
想念帯、汚れまくり。
 
小さい子なら違うだろうが、大人なら多かれ少なかれ汚れていますね。

自分の思ったことを、
そっくりそのまま受け入れるということは、
どれだけ、勇気のいることでしょう。
だからこそ、
それをふつうにやっているifさんはすごいし、
頑張って、そこまできたFさんも本当に素晴らしいと思うんです。

ぶっちゃければいいんです。
その点私もFさんもおばさんなので平気です。
根拠のない自信に満ち溢れているものですから。

また、無知が足を引っ張るので、やはり勉強も必要ですね。
本を読むことも有効で自信に繋がりますよ。
「知は力なり」です。

そして現実世界をしっかり生きましょう。
経験から学びましょう。


何かを継続してやってみましょう。
「継続は力なり」です。

それが自信を生みます。
世のオバタリアンの根拠のない自信はここから発生しています。
つまり・・・

「人生を長く継続している」というだけのことなのですが、
凄まじい威力を発揮しているでしょ?
 
・・・私、神様じゃないですけど、
Fさんなら、なにかご褒美あげたくなるかも知れないです笑
 
同感です。
本当にFさんは神様だと思います。

私も頑張ろう。
来年は、さらに、良い年にします。
たくさんのものを吸収、収穫するぞ。(そして要らないものは捨てよう。)

Rさんは私から
「不必要な感情、思いを持っているので捨てるように」
注意されました。
これはなかなか理解し難いモノの一つです。

不必要って?何?

頭が真っ白になるところです。

これがわかったってのは凄いです。

<気付き>(2007年1月6日)


Kさんから。

さっき、メールを送ってからお風呂に入っていると

「わたしは、待つのが苦手なんだ」と気が付きました。

それだけのことでした。

書くまで気が付きませんでした。

書く行はすごいです。

だから、どうするのか、どうしたら待てるのかまではわかりませんが。


人間が気付くのに最適な場所とは
「トイレ」
「乗り物」
「風呂」
らしい。

その通りになったようですね。

Kさんのように「〜〜なんだぁ!」って、いきなり結論が出るのも気付き、悟りです。

しかし、こういうことは日常的にあると思うのです。
でも、忙しくて忘れてしまう。
「書く行」をしていると、記録しよう、という心の姿勢になるので
ふとした思いを忘れることなく、ハッキリ自覚出来る。
その点でも「書く行」は有効です。


<成績の良い子が危ない>(2007年1月6日)


「書く行」始めて一ヶ月にならないKさんからのメールを紹介します。

Kさんは最初、私に電話で相談をしました。
Kさんはウツで病院に通ったり仕事を辞めたり、去年は落ち込んでいたようです。
Kさんは高偏差値有名私大を出ています。
それなのに・・・

私は電話でKさんの話しを聞いて「それはあなたがバカだったから」と何度も言いました。
ウツの人にw
通常は落ち込んだ相手には気を使って、そういうことは言わないものですが、
真実なんだから言いますよ。
それが嫌なら相談持ち掛けなければいいんです。

(厳しいのが嫌なら他のサイトにいくらでも優しいカウンセラーがいるので
  そちらへどうぞ)

こんばんは。

Ifさんにばかだと言われたことについて。

その節は失礼しましたね。

わたしは、とてもうれしかったです。

え?

長い間、自分ははりぼての人形だと思っていました。

Kさんは生まれつきのタチが従順なのと、親の愛情を兄弟間で争っていたのとで
「親に気にいられよう」と、無意識に思っていたようです。

中身は幼児のままなのに、なぜか誰も気が付かない。

大人も、表面しか見えない人が殆どだからです。

小学校の勉強はとても簡単で、中学生までは暗記で対応できました。

脳の機能が良いので勉強が出来てしまうのですね。

でも、それと中身とは違います。

この場合の中身とは「本当の賢さ」のことでしょう。

それなのに、テストの点がいいというだけで、
放って置かれたことがとてもいやでした。

周囲の大人が所詮その程度だからです。
でも、数は少ないが中にはわかっていた人もいると思います。

後に、シュタイナー学校では、
点数がいい子どもは要チェックだ(悪い意味で)と知って、

ああ、やっぱりなと思いました。

問題を起こす子どもは、大人が本気で心配する。

理解しようと試みる。

でも、テストの点がいいと、「何も問題ありません。」と言われる。

そうなりがちですね。

昔も今も、勉強ができる張りぼての子どもはたくさんいると思います。

いるんですよ。
そして、そういう子がいつか突然豹変したりする。
普段良い子でいきなり親兄弟を殺すのは、こういう子ですね。
しない場合はウツになります。

そのどちらでもない場合も沢山いて、そういうのは社会が教えてくれたか、
当人が盆暗か、です。

いろいろなケースがあるのです。

そして、やっぱり寂しい思いをしていると思います。

幸いなことに我が家には全く問題のない子がいません。
なので良かったです。

Ifさんにきちんと言っていただいて、生まれて初めて「ほっとした。」

それは「やっとわかってもらえた」という安心感ですかね。
やっと、自分を理解してくれる相手が登場した、のかな。
Kさんの家庭にはそういう人が居なかったらしい。
これは寂しいです。
心を病むのは当然です。
いくら優しい言葉を掛けてくれても、自分を理解しないで優しくしてくれても
それはちっとも嬉しくないのでは?
虚しいと思います。

本当は自分で気づくべきかもしれないけれど、
何をどうしていいのかさえわからなかったのです。

頭の中に何もアイディアが浮ばない、というのはありますね。
考えるための道具がない。
取っ掛かりがないのです。
私はその取っ掛かりを一緒に探すお手伝いなら出来ます。

若いんだから別に恥じることはありません。
これから知恵をつけていけばよい。
充分間に合いますよ。

一番大事なのは「自分は頭が悪いのだ、何も知らないのだ」と、自覚することでしょう。
これは若い人だけに当てはまる言葉ではありません。
私達、老いも若きも全員、この言葉を常に念頭に置いておかないと。
「アタシは何でも知っている。」と、思った時が終わりです。

やっと、自分を作っていけるという実感を持つことができました。

その通り。
これから作りましょう。

私の同じ年の友人がまさにそれでした。
彼女は大人になり、結婚して子供が生まれてその子供がヒドイ苛めに遭い
登校拒否をして高校中退してグレて警察のお世話になってから
「実は自分がなかった」ということに気付きました。

しかし、それでも遅くはないと思います。
だって、まだ生きてるんだもん。
生きてるうちに悟ればいいんですよ

オズの魔法使いに出てくるかかしや、ライオンのように、
探し求めてやっと一つ見つけたという感じです。


あれは心の旅ですよね。
Kさんは良いところに気付きました。
冒険をしてヒドい目に遭ったり面白いことを見つけたりして進んで行く話です。
RPGもそれです。

ヒドい目に遭うことも必要ってことですよ。
そこから学べばいいんだから。
これからさまざまな経験をしてその都度宝物(悟り)をgetして行きましょう。

男性のメル友から
「if さんはラスボス」「いや、さっきのは訂正、ifさんは超ボス」
なんて言われてますが、決してそのようなことは御座いません。
オズの魔法使いのメンバーだと思ってくださいね。




だから「東の国の魔女」でもないってば。


<カリスマ>(2007年1月5日)


「書く行」最中のRさんからのメールです。

前よりも・・恐れ?のようなものが少なくなったような気はします。
 
 
以前までは、とても中途半端でした。
しっかりみなければ・・でも、それは怖い。
しかし、
陶酔次元(もちろんこの言葉は知りませんでしたが)に陥ってはいけない。
 
その間で、うろうろうろうろ・・・
相当長い間、してました。
 
皆、しますね。
私はもっと長いこと、ウロウロしていました。


友達からは、
イヤなことを真正面から受け止めるのなんてすごいね
とか、言われていましたが、
私の中では、
「そうよ。私は、あんたらと違って考えているんだから。」
というのもあり・・でも、その奥には、
「違う違う違う!!まったくもって、勘違いもいいとこだぜ。
受け止めている、考えている、フリ、しているだけ。
かっこだけだよ。
なにやってんだよ。こんなんじゃだめだ。」
そういうのがありました。
 
でも、本当のことをみるのは怖い。
だからと言って、陶酔次元に入ってしまったら戻れなくなるのを幾度も経験している。
だからそれも怖い。
好きなものさえも避け始めた。
どちらも怖くてできなくなった。
それで、感情を持つことを避けるようにしていたときもあった。
 
でも。やっぱり。
違うんだって、いうのが、
私の中で、鳴っていたんだと思います。
そのどれもが、違う。
私は、そんなことをしたいんじゃない。
そんなことしてたら、していても、
このもやもやからは、逃れることはできない。
 
あの体験は、そんな状態だった私にくれた体験だったんだと思います。
後押しをしてくれたのだと思います。
なにをするべきなのか、わかっているのにもかかわらず、
それをしようとしなかった、
それをわからせるためだったのではないかと思います。
 
その通りだと思いますね。
過去「愚かだった」「痛い目に遭った」という経験が、今
「どうしてもわかりたい」という原動力になっています。

過去、ヒドイ目に遭わなかったら、このような原動力がないのですから
わかろうと思わず、従ってわかることは出来ないでしょう。
過去の痛い経験はこのためにあったのだと、言えます。
でも、痛い経験をした際、周囲が悪い・・・と、全て周囲のせいに
していたら、やはりわかろうという気が起こらず、わかることは出来ません。

過去の失敗の原因を「自分のわからなさのせいである」と、
認めることがRさんに出来たから、今、こうしてわかることが出来るのです。
こういう方を「素質が良い人」と言います。
素質が良い人とは失敗しない人のことではない。
失敗から学ぶ人のことです。



今では、
好きなものを好きだと思えることに、恐れを感じなくなりましたし、
ifさんも、ただのifさん(?)と思えるようになってこれましたし、
他にも、今までだったら、やっぱり、カリスマにしていたような人に対しても、
恐れを持つことなく、ただ、
すごいよな〜、と思えるようにな・・っていました。
(これは、正直自分でびっくりしました)
(あれ〜?カリスマ化してないよ!って、かんじでした)
なにかに意識が取り込まれ?そうになっても、
『自分を動かしているのは、自分だけ』
というのが、頭に浮かぶようになりました。
 
このカリスマですが、最近気付いたことがあります。

最近私はある神社へ初詣に行きました。
滅多に行かない土地なのでちょっとしたドライブ気分でした。
帰り道、或る有名な女性評論家の工房の看板が出ています。
それを見て(ふ〜ん)としか、思いませんでした。

そして気付きました。
私は昔から有名人に憧れる、という面がありませんでした。
子供の頃、タイガース(阪神じゃない方の)に憧れてファン
だったのが最初で最後です。
そのくらい憧れるという感情がない。

カリスマというものに対しても何も感じない。

憧れることがなかったのですが、最近は
有名人を「何とも思わなくなっていた」ことに気付いたのです。
いいな、とも特別だな、とも、何とも思わないのだ、ということを
確認したのです。

そして、その時
(これはきっと私だけではないだろう)と、思いました。
ネットがこれだけ広まり、普通の平凡な人が自分で発信するようになった。

有名人と無名人の違いは、過去においては
発信する人と受け取る人・・・・の差がありましたが
それが今では、その差がなくなって来ている。
だから、有名人の特殊性がどんどん減っている。
だから、無名人が有名人に抱く感情も変化しているのでは?
と、思いました。

Rさんの体験と私の体験がシンクロしたので面白いです。

これは、他にもいろいろなところで、影響が出ている感じがします。
 
 
これもifさんのおかげです。
PANDORAへ行くと、最近特にですが、
どんどんエネルギーが湧いてくる感じがします。
よし!がんばるぞ!
というかんじになります。
(あ、あとFさんにも感謝です)
 
これら、やろうとしていることというのは、
自分でしか出来ないことではあるのですが、
それでも、自分ひとりでは、出来ることではありません。

その通りで、私も他人に説明しながら、さらにわかることが出来ます。
また、私も他人から教えられているのです。
相手は子供だったり、昆虫だったりします。


でも、それに気づきにくいのも確かです。
特に、私のような「わからずや」は、そうです。
だから、PANDORA(ifさん)のように、
わかりやすく、文章化してくださっているのを、
とてもとても有難く感じています。
 
まだ、「分かり方」について、それほど説明していませんが
それなのにここまでわかったとは凄い。

わからないのですから、
愚かなことをしてしまうのは、ある意味当然のことだと思います。

そうなんですよ。
どんなに心のきれいな人でも、無知が原因でトンデモないことを
考えてしまう場合があります。
きれいな心なのに穢い考えが浮んでしまう。
しかも、それを穢いと自覚せずにです。
これはいかにも勿体無い。
また、誤解はさらに罪が深い。
わからないなら「わからない」とわかればよいものを、
わからないのに、わかった気になる・・・・これは大変悪い。
誤解です。
私はあらゆる不幸(病気、怪我、子供の問題、不妊、事故)の
原因はこの「誤解」が元であると、考えています。

でも、魂を傷つけるに至らなければいいのだと思います。
(ほんっっとうに、あれは、酷いダメージでした)
 
身体は正直ですね。
すぐ反応してくれます。有り難いことです。

わかることの喜びを、私は、もっともっと感じていきたいです。
 
わーいがんばろう。
 
どうも有難うございます!
 
そういえば、
あの頃に比べると、今は体調もめちゃくちゃいい!です笑
(今考えると、おかしいくらいにあちこち痛かったりなんたり・・・でした)
(病院に行ったりしないで、今のこの状態ですよ!)
(病は気から・・・って、ちょっと違うかな?でも、そんなかんじなんでしょうか笑)

Rさんが「病は気から」と書いていますが、本当だと思います。
よく、婦人科系の病気になっている人がいますが、
それは間違った女性性が原因ですね。

(※子宮の病気は「隠す」ことが原因だそうです。
   隠すべきことは隠した方がいい。
   でも、隠すべきではないことまで、隠す。
   それが子宮を痛めます)

心を変えれば、そういう病気は全部とは言わないが治るでしょう。
自分ではそういう想念が間違っているとは自覚出来ないので
(自分が普通に思ってることがまさか、間違いとは思わない)
代わりに身体が病気になってくれています。


Rさん絶好調のようで良かったです。
それに対して私はまた風邪を引いてしまいました。
夜、ビールを飲むので身体が冷えてしまうからですね、どうも。
何度も風邪を引いてから、やっと「わかり」ました(呆
(ホントに物分りが悪いんです)

Rさんは最近やり始めた(わかる訓練を)のに、もう、効果が出ている。
それに対して昔からやってた私がこの体たらく(恥
このように
「後から来た者が先になる」のです。

遅すぎることはありません。
皆さんにも今、この場で始めることをお勧めします。
たった数ヶ月でこの効果。
一年経てばまるっきり違っていることでしょう。

<欲しい物をゲットした話し>(2007年1月5日)


Fさんからのメールです。
Fさんは別に「書く行」とは銘打っていませんが、毎日数回メールをくれます。


Ifさん、
おはようございます!

おはようございます。

欲しいものが、簡単に手に入ってしまった。

あら、それは良かった。

潜在意識と、顕在意識がひとつになると、
当たり前になるらしいと、聞いていたが、これもそうかもしれない。
「へぇ〜」って感じ。

あまり簡単だったから、「キャホー!」って言う間もなかった。
「あらっ?! (?_?) 」・・・こんな感じ。

他人にとっては、大したこと、物ではないけれど、私は欲しかったもの。


これも訓練?
意識するってことね。
集中する。。。だけど、執着するのではなく・・・さらっと・・・ね。

そう、さらっと、です。

この、「さらっ」・・・が、結構難しい。
「かげん」がね。

これを「いい加減」・・・「好い加減」というのですね〜

そうです。
多分元もとは良い意味だった。
しかし、次第にその言葉を使う人間の波動レベルに成り下がったのでしょうね。
今ではすっかり悪い意味になってしまった。
全て人間のせいです。
その程度の人間が一番多いからです。


この、「加減」が、加減なんですね〜・・・


そうね、
職人で言ったら、口で教えきれない経験でしか解からない「びみょ〜う」な部分。
やってみないと解からないのね。

う〜ん・・・この感じ・・こんな感じで・・・こんな風にするの。。。って、教えるかな〜

伝えるのはとても難しい。

そう、「こんな風にする」・・・ここから始まるね。
何度かやってると、あるとき突然、「出来た!」になるのね。

そう。
そしてその時初めて「自分が何をわからなかったか」が「わかる」。
だから、わかってみないと、わからないのです。


まぐれもあるから、「もう一度」って思うと、出来ないことがあるけれど、
感じをつかむまで、やってみるのね。

これって、教えられないんだな〜・・・
けちとか、意地悪ではなく、、、「教えにくい」のね。

だから、「やってみて!」・・・ってことになっちゃうのね。

全部教えても、この感覚は人それぞれで、受け取り方が違うのね。
一度コツをつかんだら、今度は、何度でも同じことができるわ。


ここまでが、個人差があるわね。

大いにありますね。
Fさんはかなり勘が良い。
私は鈍いんですよ。


私は遅いわ。
勘が鈍いのね。。。(_ _#)

いや、かなり、勘が良いです。

興味のあることは、何度でもするわ。

だから、わたしのことを、努力家だという人がいるわ。

とんでもないのね。
実態は怠け者。。。家族のみぞ知る。。。(▼▼)

その感じ、わかります。
私もそうだから。


だから・・感謝してる。。。(_ _#)

好きなことだけ、夢中になってする。
単細胞だから。。。

好きなことをするとき、人はそれを努力といは言いませんね。
だから、本人は楽しんでいるので、努力と思わないのです。
そしてこれが一番望ましい働き方ではないでしょうか?
別に仕事に限らず、自分が楽しいことをする・・・・・・それには努力が要らない。



Ifさんは全部?かな・・・教えてくれてる。

来たメールに返信しているだけですが、それがいいのだと思います。
相手の興味のないこと、無関係なことをいくら返事で書いてもそれは理解されない。
メールに返信する方法が一番いいですね。


私は、興味があるのでやってみる。。。。
心のうちでね。

「判断」するときも・・・
事例では、
「これこれ、しかじか・・」・・・と、いうことは、
私は、「こういう状況にあるので・・」どんな風に思考し、行動したらいいか?

今まではどうやってた?
その結果は?

でしょう〜!?

だったら、今度は?・・・・そうね。。。φ(゜▽゜*)♪


読んだだけでは、だめね。
知識ね、知識が広がったのね。。。深く(高く)なったわけではないの。

なぜ?・・・経験してないから。。
経験して、結果どうなったかが必要なのね。

それがミ(身体)で分かるということです。
頭の先で分かることをイ(意)の次元で、知った・・・・と、相似象では言います。
これは知識を得ただけで、知恵にはなってないという意味です。


そうか!
結果ね!
結果を出す前に、あきらめちゃうのね。

一人でするとそうなることが多いわ。


一緒に励まし、喜んでくれる人がいるのよ。
そうよ、それも、たった一人でいいのよ。

多くはだめね。
バラバラの意見が出るから。。。迷いが出るわ。

この人と決めたら、その人だけなの。

そうなの、そうなの・・私はその方法でやってきたの。

Ifさんは、みんなの「その人」なの。

今の所は私程度でもちょうど良いと思います。
そのうち、もっと意識レベルの高い人がFさんの前に出て来るかもしれない。
それまではここで練習しましょう。


もっと、もっと、「聞け!」「学べ!」

そしてどうする?


途中経過を報告するのね。

なぜ?

時々、道がずれちゃったりするから。。「この道でいい?」って聞くの。

ずれてもいいの・・・
でもね、私、時間がないから最短距離を行く。


私、、、真っすぐ行ってるつもり・・・・
なぜ、そんなこといえるの?

欲しいものが簡単に手に入ったから・・・φ(゜▽゜*)♪
こういう思考。。。単細胞。。。

この先に・・今以上の「しあわせ」がある!

みんなにありがとうです!


何も言うことがありません。

よく「あなたはそのままでいいです」と言う言葉がセイシンセカイに見られる。
私は多くの人に、その言葉は当てはまらないと思っています。
私にも、です。
私はまだまだダメですね。

「あなたはそのままでいいです」という言葉が当てはまるのはFさんくらいでしょう。

PANDORAのお客さんの中には他にもFさん級の方が沢山います。

そのうち、「あらゆることから学べる」ようになります。
その時、師匠は「全ての事物」です。

<トリック>(2007年1月5日)


下の<図書館>もそうですが、私がここに書くことには
あちこち、トリックが仕掛けられています。
気付いた方はいますかね?



◆「人間のいろいろ3」の<我が子に異常に反抗される母>
  で、このお母さんが「こんなことを書いたらアホだと思われる」
  と、書いたので、それを受けて私が「本当にアホだと思ったと、答えました。

  で、このお母さんはアホでしょうか?

  私はこの方をアホだと思いましたが、それって「思った」だけですよね?
  思うこと=事実
  でしょうか?
  違いますね?

  この方は、実はアホではないのです。

  何故なら「自分がアホであることをわかっている方」だからです。
  本当のアホとは「自分のアホが自覚出来ない人」のことです。



  
◆常々、私は自分を「ロクな想念ではない。」と自称しています。
  その言葉は真実です。
  すると、何故、if は自分の想念を改めないのだ?という意見が来ます。
  なかなか改められません。
  
  しかし、私が自分の想念をロクなものではない、とするその証拠を
  書いておきました。
  これを読んでどう思いましたか?
  こう言ってはナンですが、(これなら私の方が悪い)と思いませんでしたか?

  例えば、女には多いのですが
  妬む、僻む、羨む、悲しむ、嫉妬する、悲観する、物事を悪く取る・・・などが
  私にはありません。
  男に多いのは
  バカにする、差別する、増冗慢になる・・・などですが、
  それも私にはない。

  ということは、上のようなことをしている方は「私よりも想念が悪い」
  ということです。
  
  私の想念は悪いが、他の方はもっと悪い・・・と、言いたかったのですよw
  別に私は自分を卑下するために書いたのではありません。
  「 if がこれで悪いと言うなら、自分はもっと悪い」と
  気付いてもらうためです。
  
  きっと、気付いた方がいると思います。



◆或る会について。
  別に私はこの会が活動しようと存続しようと、どうでも良いことです。
  人のレベルは無数にあり、それぞれのレベルに見合ったモノが
  この世には存在している。
  
  ただ、そのレベルの会に行き、同調すると、そのレベルが到達点に
  なってしまう。
  それはいかにも惜しい。
  私と無関係の場所でならOKですが、関係するところで
  そのようなことが行われると、それは紹介した私の責任になる。
  なので、一応、警告を出しました。

  この一連の騒ぎを見て、或る若い方がメールをくれました。
  そして、このことの意味を
「if さんは・・・・・・・・・・・・・・・・ですね?」
  と、とても簡潔に書いてくれました。
  それが正解でした。
  
  若い人でもちゃんと見抜く力を持っている。
  というか、若いから直観が働くのでしょうか。
  目が曇ってないということでしょうかね。




◆某チャネラーについて。

  あちこちブログを移動しながら、選別された人だけを対象に
  何かを教えています。
  そのやり方が気に入らない方が多いようです。

  しかし。

  実はPANDORAも同じですよ、と言ったら驚きますか?

  PANDORAは万人に開かれています。
  しかし、内容的には開かれていません。

  あちこちに仕掛けてあるトリックに引っ掛かり、誤解し、憤慨する人が
  少なからずいると思います。
  が、敢えて放置してあります。

  わからなかったら「わからない」と、思えばいいのです。
  (※<図書館>の話しを読んで、わからなくなって困ってしまった方のように。
     この方は、自分がこの件についてはわからないと自覚しているので
     凄いです)

  わからないのにわかった気になり、誤解して反発する。
  申し訳ないがそのような方の相手をしている余裕がありません。

  最初から狭き門か、広い門に見えるが、実は狭き門か、
  やり方が違うだけで実質は同じと言っていいでしょう。




◆「当たり前」という言葉について。

  私はあちこちに「当たり前」と書いています。
  この「当たり前」という言葉ですが、当たり前ではありませんね。
  何をもって「当たり前」とするか、それは人それぞれです。
  人によって「当たり前」の内容が違います。

  なのに、何故「当たり前」という言葉を使うのでしょう?

  自分の「当たり前」のレベルを上げて欲しいから、
  上げた方が良いからです。

  私があちこちに書いてる「当たり前」のことを読んで
  (ああ、これが当たり前なのか、知らなかった)と、思い、
  それが当たり前と感じられるレベルには最低限なってないとこれから
  厳しいかもしれません。

  私が書いてることは最低限のことなので、最高のことではありません。
  最高のことを書いてるサイトは沢山あるので、そちらへ行けば
  何が最高かわかりますから、私が書かなくてもいい。
  「全ては愛」「全ては光」・・・・・・・最高ですねw

  このサイトに書いてるのは唯一絶対の真理などではなく、
  「少しでも自分の知恵を増し、思いを明るくする」ための方法です。
 

<図書館利用について>(2007年1月4日)


閲覧者の方から
「私の家族は図書館を利用して、大学合格しました。
お師匠さまが言ってるように、循環を止めてしまったのでしょうか?
if さん、教えてください。」
と、メールがありました。
困っているようでした。
それに対する私の返信です。



師匠の師匠、A師が言ってることは極論。
 
勿論マットウな図書館利用者もいますってば。
大丈夫ですよ。
 
師匠はああやって極論を投げかけて、読んだ人に考えさせているだけよ。
だって、あなたもそのおかげで「考えた」でしょ?
それでいいんです。
別に師匠の師匠の言い分が、唯一絶対の真理ってわけでもないんだし。
 
(へえ!こういう考え方もあるのか!)
(呆れたなぁ)
でも、いいんですよ。
 
だって、無料で読むために図書館があるんだから。
 
 
 
if



師匠も人間だし、私達も人間です。
人間として対等なのです。
別に異論を唱えたって罰など当たりません。

いけないのは
◆他人を盲信する
◆他人の意見に感情的に反応する
ことです。


あなたはあなたの意見を持てばいいんです。
そして、その意見の意識レベルがなるべく
高いものになるよう、普段からモノを考える
練習をしたら如何でしょうか?

何事も練習ですよ。
師匠や師匠の師匠に出来て私達に出来ないことはありません。
(しょっちゅう師匠に逆らってる if より)

<なんてことをしてくれた!>(2007年1月4日)


━━…………‥‥‥‥・・・・・・・・‥‥‥‥…………━━
よく他人のために「良いこと」をする人がいます。
でも、判断力のない人がする「良いこと」が、本当に良いことでしょうか?
「徳二、三ならば動いて凶ならざるなし」と孔子が言いました。
これは「判断力のないものがやたら行動しても決して良い結果にはならない」と
いう意味です。
良いことをしたいなら、判断力を上げましょう。

うんと判断力が上がればもう、「良いこと」などしなくなります。
やることなすこと、いう事思うこと全て良いことになるはずだからです。
あえて「良いこと」をする必要がなくなります。
━━…………‥‥‥‥・・・・・・・・‥‥‥‥…………━━

まさに、勤務先で、これがありました。
彼女は良かれと思って、彼女の正義感でしたことでしょう。

結果は、「なんてことをしてくれた!」
口を開いてしまった以上、すでに遅しです。

本人は責任を感じてないのでしょう。。。
「みんなを代表して、自分は良いことをした。」

ただ、喝采を浴びれない自分を「???」と思っているかな?

ここで、その人がそれを理解すればよし。
理解しないまでも、「自分は失敗したのだ」とわかればよし。
しかし大抵の場合、そういう風には思わないものです。
「私は皆のためにやったんだ」という気持ちが勝ってしまう。
そして、その「自分の気持ちを受け入れてくれない周囲の人」に対して
感情的に反応します。
つまり・・・・・・・・・・・・・・泣く(アワ)か怒る(サヌキ)かのどちらかです。

しかし、そのように感情的になることが間違いです。
間違った考えに基づく間違った感情は、全て「自分に返り」
魂傷つけるでしょう。
これが一番恐ろしいことだとは、本人は気付いていません。
だから、「無知ほど恐ろしいものはない」と言うのです。
これを教えてあげようにも、感情的になっていれば跳ねつけてしまうでしょう。
これを繰り返せば、タイプにもよりますがウツになるでしょう。


周りを読む・・・これが足りないと、こういうことになると言うことを経験した。

日本人は周囲を読むことが、世界的に見ても得意な民族らしい。
他国の方から見ると、まるでテレパシーを使っているかのように
映るらしい。
アグネス・チャンもそのような発言をしていたそうです。
しかし、中にはこの人のようにそれが出来ない人がいる。
潜象勘のない人です。
潜象勘と言っても別に特別なことではありません。
「当たり前の能力」なのです。
しかし、それがない人から見ればまるでテレパシーです。


判断力だけが上がるわけではないので、全て総合的にですね。

そうです。

見せてもらったから・・・分かって良かった。

本当に。
みせてもらったのでしょう。
有り難いことです。


だからと言って、褒めれない。。。私が同じことをしなければいいのだ。
勉強した。。。ありがとう。

おだてに乗って、うぬぼれてはいけないね。

人間は自分を褒めてくれる人が好きです。
たしかにそれは嬉しい。
でも、それで舞い上がってはいけない。
常に「地に足をつけて」いましょう。
とはいえ、あなたにはそれが出来ていますが。


心して今回のことを受け止めよう。
修復作業に時間が必要。。。こういうの、愚か者。

私が、これ以上愚か者にならないための学び。
覚えておこう。


その通りです。
この方は私より年上。
この年までには散々愚かなことをして来ているんですよ。
私もそうです。

だから、愚かとは何か?がわかっている。
だから、賢くなりたい、と切に思えるのです。

若い人はこれから愚かなことを経験するんでしょうが、
私達くらいの年齢になると、愚かなことは散々経験しています。
その経験があるので、賢さの価値が身に沁みてわかる。
だから、本当に賢くなりたいと思うことが出来る。

今、このような状況にある・・・ということはとても有り難いことです。
私もこの方も全く同じ気持ちでいるのです。
若い方に言いますね。

勇気を持って「愚かなこと」をしてください。
そしてした後は(ああ、愚かだったな)と、その都度「わかって」ください。
時間があまりないようですよ。
心して生きてください。

文字通り老婆心からのお願いです。

<他人のコントロールがわかった話し>(2007年1月4日)


「書く行」を始めてまだ一ヶ月にならない方からのメールです。

毎年、正月にはお互いの実家に行き、大変疲れるのですが、
今年は疲れ具合が格段に減りました。

ほおおお・・・

子ども達が成長したというのもありますが、わたしも、
冷静に周りを見ることができるようになってきたのかなと思います。

子供が小さいと常に子供に気と頭を使ってなくてはならず
周囲のことがわかりにくい、というのはたしかにあります。
仕方ないですね。

夫の実家は、なぜか疲れるなと思っていました。

夫のお姉さんが二人いるのですが、そのうちの一人が、ひたすらしゃべっている。

しかも、その場をそれとなく仕切っていることに気づきました。

そういうことに気付くことだって「気付き」です。
よく観察出来ましたね。

豆腐を切っていると、「丁寧に切るのね」と言いながら、
二つ目の豆腐を自分で切ってみせる。

「こうして方が早いと思うんだけど」と言いながら。

なるほど、こうしてコントロールするんだ、と思いました。

正直いってこれだけで、コントロールであると、私は思いませんが
体験者がコントロールであると感じるからには
これ以外にもいろいろあったのだろうから、この方の感じ方を尊重したいと思います。


参考にさせてもらって、同じようにやってみたら
「別に同じようにしなくてもいいのよ」と。

いったいどっちやねん!

どこからでも言葉が飛んでくる家だとわかり、
その時点で気を遣うことを放棄しました(笑)

それがええ、それがええんじゃ。

やっと、夫がなぜ会話が下手なのかが見えてきて、
家でも「仕方ないな」と思えるようになってきたような気がします。
まだまだいらっとしますが。

わたしは、人をコントロールしたがる方ですが、
お姉さんを見てかなり驚きました。

これには笑いました。

そして、究極のコントロールを見せていただいたので、
わたしも大いに反省することができました。

「ひとの振り見て、我が振り直せ」ってことですね。

夫や子どもが自分の頭で考えられるようになって欲しい。

そのためには、わたしが、自分の言葉に気を付けることができますように。

そう願った一日でした。

凄い。
一日でこれだけのことに気付けたとは。


<図書館の話し>(2007年1月4日)


「師匠との会話[」の<図書館>を読んで、元公立図書館の司書だった方が
メールをくださいました。




こんばんは。

「裏の話」を読んでみました。

(※この「裏の話し」とは、「INTUITION」→「INTUITIONの裏がわ」の話しのことです)

なるほど、と思いました。

確かに、誤解されかねない話ですが、よくわかるような気がしました。

というのも、私の上司や同僚は
「図書館の本で勉強しても身に付かないだろう。」ということで、

大方意見が一致していたからです。


寝る前に読む本や、暇つぶしに借りる雑誌はいいとしても、
自分の勉強のために、図書館の本を自分の物のように借りたり返したりするようでは、
身に付かないだろうと思うのです。

図書館はあくまでもきっかけや、緊急の調べ物、
自分ではできないことの補助のためにあるのであって、

本当に買って勉強しなければいけないものまで、
借りてすませるのは違うよな、と思います。

このことをおおっぴらに言っていた上司は、おもしろい人でした。

しゃべってばっかりで仕事はあまりしないのですが、
時々はっとするような事を言っています。

「俺は、電子レンジは好かんのや。
 どうも、食べ物が変わってしまうような気がする。」とか。

60近いおじさんですが、独身で、ほとんど男性を感じさせない人でした。

最初は仕事をしない人なので、苦手だったのですが、
辞める頃には「この人が一番まともなことを言うな。」と思っていました。

 

パンドラに図書館の話が出てきて、おもしろかったです。


貴重な情報、ありがとうございます。
私自身が最近図書館を利用してないので、最近の図書館の様子がわからなかったので
有り難いです。

よく、図書館で自分の子供に本を借りる人がいますが、私には考えらないことです。
私は面倒臭がりなので、借りた本を親が完全に管理する、、、ということをしたくない。
もし、私が本を借りたら子供に預けて、勝手に読ませるでしょう。
しかし、それをしたら本がどうなるか・・・予想がつくので、子供のためには本を借りません。
子供のために本を借りる親は、完全に管理していることでしょう。
もし、それをしないなら、その行動は無責任であると思います。

また、もう一つ。
借りた本では本当の知識はつかない。
これは「もらった本」にも言えることですね。
本当に知識を得たいなら自分で本を買うことです。
借りた本がもし、面白ければ私はあとで買っています。

友人・知人から面白い本を紹介してもらうのは、情報なので有り難いです。
借りて読んだら面白かったので買った本が何冊もあります。

友人が或る本を大変気に入り、いっぺんに10冊ほど買って、友人知人に配った、
と聞いて「それは止めた方がいい。」と言いました。
「もらった本など誰も読まない。」と。
友人は納得していました。

そんなモンです。

本一つでもこれだけ考えさせられることが出て来ます。
常に考える人でありたいものです。
この史書の方の元上司のように。

<ウツ>(2007年1月3日)


Ifさん
おはようございます!

ウツのことが書いてありました。

これもやっぱり、「我」なのですね。
私の周りに・・・お客さんでウツの姉弟がいます。

私が知っているのは、姉のほう。(私と同年代)
弟さんは一度お目にかかった。
見てすぐ解かった。。。ウツとは思わなかったけれど「変!」。

彼女も素晴らしいものを持っている。
弟さんは、有名大学卒だそうだ。
今回の文章を読んで、「そういうことね」と思った。

話を聞くかぎりでは、「そんなことで?」と思った。
もしそうならば、「あたしなんざぁ、一生病院住まいだわさ」・・・と思った。

そう、そんなことで?
そうなってしまうのです。
誰にでもそんなことはある。
でも、ウツにならない人がいる。
この差に着目せよ、ってことです。

ウツの人は環境や周囲のせいにするが、ウツの原因はそれらにはありません。
自分の心が原因です。


いまどき、・・・もしかしたらいらっしゃるかもしれないけれど、
深窓の、お坊ちゃま、お嬢ちゃまはいない。

もし、いらしたとしても、ここには(私の住む近辺)いないはず。(お忍びで? まさか!)

ここに一緒に住むならば、「そんなことで」くじけちゃいけないのね。
誰か、「くじける」のに、力を貸しているとしたら、家族ね。

「かわいそうに・・」・・これね。

周囲が助長します。
低次の同情心や事なかれや諦めからです。

或いは「なんとかこの事態を改善してやろう」という思いやりもある。
でも、ウツは自力で治すしかないので、本人が治したいと本気で望んでいる
ケースなら協力のしようもあるが、望んでない場合は、放っておくしかないのでは?

(私は私なりに最善の手を尽くした。
 見て見ぬふりはしなかった。
 忠告も助言も沢山した。
 私は私の義務を果たしたのだから、これでヨシとしよう。)と、
手放す。

物理的にも心でも手放す。
ウツの人の中にも必ずある神のスパークを信頼して、一人前と認めて手放す。
ウツの人と、それに関わった経験から学び、以後は自分の道を行く。
後悔もなく憎しみも恨みも悲しみもなく、自分の人生を明るく生きる。
それでいいんじゃないでしょうか?


「かわいそう」と思ったら、まず、親が厳しく鍛えなければならない。
だって、物の順序で普通、親が先にいなくなるのよ。

母が生きているとき、「最後の脅し」の決めセリフはいつも一緒だった。
「お父さんも、お母さんも、いつまでも、あなたたちと一緒にいられないのよ・・云々・・」

まるで、水戸黄門の印籠のようだった。
子供たちは一斉に、静かになった。
「死」とは、、、、親が「いなくなる」ということが、とてつもなく恐ろしいことのように感じてた。

親の役目って、一人で生きていけるように育てることだけなのね。

その通りです。
それしか出来ない。


学校へ行かせるのも、ある意味おまけかも。。。(ご好意)

我が家では高校以上の学歴は親の「サービス」としています。
行きたいなら金を出してやろう・・・みたいな。


ウツは、これに限らずだけれど、親子共々の「甘え」、「共依存」もあると思う。

或る親子の場合。
自分勝手な母親のせいで、娘(Fさん世代)がウツになってしまった。
本人には子供も居るしダンナさんもいるんだから、そんな母親は切り離して
考えれば良いものを、「お母さんはわかってくれない」と、中年過ぎてからウツに。
この、「わかってくれない」という気持ちは精神を病ませますね。

「〜〜してくれない」と、いう考え方こそ「甘え」です。
しかし多くの人はまさか、それが甘えだと気づかない。
だから、当然のように「〜〜してくれない」と、思い落ち込んだり恨んだりします。
Fさんの観察の通りです。
この場合、「ああ、相手はわからないんだな、だから〜〜しないんだな」と
考えれば良いのです。
こう考えると感情を動かす必要がありません。


母は、言葉を荒げるとか、手をあげ