Xさんの場合

<Xさん>(2005年10月23日)


Xさんです。
こういうタイプもありがちなので参考になるかと思い、取り上げてみます。

Xさんは大変な頑張りや。
会社員のご主人と二人の娘がいます。
Xさんは農家に嫁に来たので、舅・姑さんが亡くなってからは
一人で農業をしていました。

<Xさんは農家の嫁>(2005年10月30日)


私は農村に住んでいます。
Xさんは実家が農家だそうで、農家に嫁に来ました。
嫁に来た当事、姑がXさんにご飯を盛ってくれないのだそうです。
Xさんは大変気が強いので
「あたしだって、お腹がすくんだ!」と言いながら、ご飯を盛って食事していたそうです。

おかしな話です。

姑自身が農家に嫁に来て苦労したのだから、同じ境遇である嫁を
いたわって当然ではないでしょうか?

よくこういう話を聞きます。

女ばかりの職場で先輩社員(女)から苛められた。
だから、あたしも後輩を苛めてやるんだ。
と、言ってた同僚がいたので、何でそんなばかなことを言うの?と、友人がたしなめたそうです。
そういう職場だった・・・と、呆れて教えてくれました。
友人は姐御肌で正々堂々としています。
後輩を可愛がるタイプですが、友人の同期の社員(女)がそう、言ったというのです。
女ばかりの職場・・・美人揃いの職場ですよ。
「化粧品のマネキンさん」です。
いくら美人でも性質悪ければいやですね。

また、もう30年も前の話。他の友人の話。

友人の母のところへ近所の奥さんがやってきて
「農家で嫁を欲しがっている。ついてはあんたのことろの娘さんを農家へ嫁にやってはどうか。」
友人の母は
「それならあんたのうちの娘をやればいい。」と言った。
するとその奥さん
「嫌だよ、農家なんて。うちの娘はやれないよ。」
友人の母はカンカンに怒ったそうです。

どう、思います?


右も左も自己中の我良しのわからずやばかりじゃないですか?
呆れますね。
でも、ここらへんが日本の平均値ではないかと思います。
このレベルが一番多いのでは?

●自己中人間が多すぎる。
●自分がされた意地悪を他人にするという、程度の低い人間が多い。


<庭の木>(2005年11月7日)


Xさんの舅がXさんにああだこうだと、注文つけてうるさかったそうです。
庭の木の葉っぱが落ちて掃除が大変だ・・・枝を切れと、うるさい。
それなら自分で切ればよいものを、老人は自分たちが生きてきた通りに生きる。
つまり、その仕事を嫁にさせようとするのです。
面倒なことは皆、嫁がやるもんだ・・・と、思い込んでいる。

これは農家だけでなく、全国津々浦々、老人はそう。
大人はそう。
そうになってしまうのです。

自分たちが生きてきたようにやるのだと、思い込み信じて疑いません。
あまりにそれが続くのでXさんはキレて庭の木を
チェーンソーで根元から切り倒しました。

Xさんが楽しそうに言うので、私も笑ってしまいました。

犯罪は薦めないけど、このように「自分が晴れ晴れとするコト」なら
大いにやった方がいいです。
Xさんの舅、絶句してたそうです。
(いい気味)

Xさんのご主人?
ああ、彼は大変おとなしいので、何も言いません。
Xさんに逆らおうなんて思ってもみないんでしょうね。
いいことです。

●自分が気持ち良くなることをしよう。
  そして心の中を常に晴れ晴れとさせよう。
●殆どの人は経験だけで生きている。
  経験に当てはめているでだけで思考しない、出来ない。

<隣の爺い>(2005年11月7日)


Xさんの舅・姑はほどなく亡くなりました。
Xさんが一人で農作業をすることになりました。

すると隣の畑の爺いが何だかんだと、Xさんに文句を言ったそうです。

最初は悔し涙にくれていたXさんでしたが、だんだん立場が逆転し
或る日爺いがまた文句を言った時に
「うるせぇ爺いだな!そんなコトだから若いモン(若夫婦)に嫌われるわけだよ!」
と、怒鳴ったそうです。
すると、それから爺いは文句を言わなくなったそうです。
思うに、この爺さん、やはり今までの慣習どおりに生きている。
嫁は文句を言われて当たり前、まさか、反抗するなんて思ってもみない。
だから、平気で、隣家の嫁に文句を言うんです。
思考力なんかありゃぁしません。

ところが、Xさんが思ってもみない反応をしました。
すると、もうお手上げです。
自分の今までの経験の中に「隣家の嫁に怒鳴られる」というケースはないのです。

こういうケースは多いですね。

こちらが思いやったり、この場を丸く納めて・・・などと優しさを発揮すればするほど、
図に乗る手合いがいます。
こちらが優しくしているということなど、感受できないのです。
何故か?
それはその人が優しくないからですよ。

優しい人しか他人の優しさを感受出来ません。
これは田舎の爺いだけではなく、日本中のありとあらゆる人々に言えます。

そういった場合は優しくするのを止めた方がいいでしょう。
あ、したっていいんですよ、それで満足するなら。
でも、それでは満足出来ない場合は我慢してまで優しくする必要はありません。

自分が気持ち良くなることをしましょう。
トラブルのが気持ち悪い場合は何もしなければいいでしょう。
意地の悪いことを言われるのは嫌だ、でも言い返せない・・・・・・・それは弱い。

弱ければ問題を解決できませんよ。

●他人の優しさを感受するのは、自分の優しさ。
●頭が固くなった人は経験だけで生きていて、目の前のコトを理解しない。
●弱いと問題を解決できない。

<農家の仕返し>(2005年11月9日)


楽しいXさんですが、かなり、キツイです。
広大な農地の一番端に、わざわざ硬い木を植えています。
理由は・・・・・・・何でもご主人の弟が、遺産で兄(Xさんのダンナ)よりも「良い土地」を
もらったそうで、それが気に入らないらしい。
これだけではなく、弟一家が気に入らないので、そこに丈の低い、硬い木を並べて植えているのです。
そうすると、この木の反対側にはブロック塀があり、
間はやっと車が通れるほどの狭い道。

そこを「弟一家がクルマで通る」からで、他には道がないのです。
なので、弟さんのクルマのボディーは傷だらけ・・・のはず、見たことないけど。
ありゃりゃ。

私は呆れましたが、Xさんはこれをしないと収まらないんでしょう。

親戚とは厄介なもので、中には気に入らないのが必ずいます。
それに負けて常に恨んでいるよりはいいかな?と、思いますね。
そりゃ、嫌な親戚やダメな親戚がいても、それをなんとも思わないのが一番いいですよ。
でも、それが出来ない場合は、自分の気持ちをスッキリさせるためには
しょうがない・・・・次善の策だろうと思います。

これを読んでXさんに呆れるだろうけど、
他人がどうだろうと関係ない、とは思えないレベルの人って多くないですか?
他人が自分よりも恵まれているとか、常に金銭や物質で比較して
一喜一憂しているレベルですよ。
多いと思いますね。

**********************

もう、一件、そういう家を発見しました。
道端に柿の木が生えてて、落ち葉が隣の家に落ちるし日陰を作っています。
私はその木は「そこの家の持ち物」だとばかり、思っていました。
すると、近所に住む友人が教えてくれました。

「道路とその家の間にある、幅が1メーターにも満たない細い土地。
それを地主がその家に売ろうと思った。
けれど、その家は買わなかった。
たいした広さではないし、買ってあげれば人助けにもなった。
怒った地主が嫌がらせで柿木を植えたのだ。」と。

いやはや・・・・。

こういう陰湿な争いをするんですね、農家は。
それにしても「木を植えるのが嫌がらせ」とは、木の・・・いや、気の長い話です。

●他人と金銭や物質面で比較し、一喜一憂する人が多い。
●陰湿な嫌がらせをする人が、農村にはいる。(都会にもいるかも)

<道徳>(2005年11月9日)


上のようなことを書くと、「if さんはXさんをなんとも思わないの?」と思われそう。
ええ、なんとも思いません。
たしかに、Xさんは道徳的ではない。
呆れる。
しかし、呆れるのは「農地の一角に木を植えたところ」だけです。
Xさんそのものを呆れて嫌になるってのがありません。
むしろ、そういうことをするのがバカバカしくて可笑しいのでOK。
私は他人が何をしようと関係ないし・・・。
その人が自分の判断でしたのだし、他人の私がとやかく言う資格ないもの。

私は「道徳的な」人間じゃないんですよ。
清濁合わせ飲むといってもいいかもしれませんね。
それも殆ど意識したことがないので、これが私には普通なんですけどね。

よく、自分の常識や価値観に照らし合わせては相手を裁く人っていますね。
ところが、その常識や価値観は自分が編み出したものではなくて、
世間がそういうから・・・じゃないでしょうかね?
自分は全く何も考えていないくせに、思考力がないから、
勿論そこにも気付きませんね。

あんたが小さい正義感を発揮することに、私は何も文句がないのだから、
あんたも私に文句言わないで欲しいな・・・・と思います。
でも小さな正義感を発揮するような手合いに限って
他人にもその「小さな正義感」を発揮させようとし、しないと裁くんですよね。
沢山いますよ。

小さな正義を発揮する人って男にも女にもいて、私はそういう手合いこそ、
軽蔑します。
リスクを自分で背負い込んで木を植えるXさんの方が、まだ、好きです。
これがいいとは言いません。
ただ、小さな正義感を発揮するような手合いと比べればずっとマシというだけのこと。

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こういう話もあります。
Xさんではありませんが昔近所に住んでいたおっさんの●さん。
お互いに借家暮らしで、その人の奥さんがとっても良い人で仲良しでした。
そのダンナは半ばヤクザだったんですが(あははh!)、私と気が合いました。
向こうは中卒。
私は大卒。
それで仲良し(わはは!)
何がちょうど良かったのかわからないけど、ちょうど良かったんでしょう。

或る晩、その家の庭から景色を見ていたらパトカーがクルマを追いかけて
田んぼの中をぐるぐる回っています。
サイレン鳴らして。
それを見たその家の息子が
「あっ、お父さんだ!」
「ホントだ、お父さんだ!」
「お父さん、頑張れ〜〜〜!」
「お父さん、捕まらないで!」

呆れた一家ですが、大好きなんです。

このお父さんは一応カタギの商売をしていました。
山奥から「遺産は要らねえ。」と言い残して一人で町へ出てきて
散々苦労をして(たまに、高利で金を貸して暴力で取り立てたり)
一人で会社を立ち上げました。
そして、「社員が全員家を持つまで、オレは家を作らねぇ。」と、借家暮らし。
奥さんが「社員がみんな家を作ってるのに、ウチだけ借家?」
と、たまにこぼしていましたがね。

親から捨てられた十代の男の子を拾ってアルバイトさせたり
並みの人間にはできないことをしていましたね。
それも、別に「オレはいいことをしている」という自覚なしにです。
(中卒なので、複雑な思考は出来ないんですよ、きっと)

あくまでも男らしく、バカバカしくていいです。

或るとき、小学校の運動会へ行き、私がシートの上に
自分のカバンを場所取りのためにどさっと置いたら
「if ちゃんよぉ、もうちょっと上品に置けや〜。」だって。
(あんただけには言われたくね=や)と、思いましたね。
立てひざで食事しているおっさんになんかね。

いろんなダンナを見て来ましたが、中ではピカ一だと思います。
人間のスケールの点で。

その後、その家も我が家も引っ越したので音信不通になりましたが、
ある晩食事中にテレビのニュースを見ていたら、懐かしいその人のフルネームが!
「●●●●容疑者を逮捕」と出ているのです!
「ブ===っ!」
思わず噴出し、茶碗を落としそうになりました。
殺人でも犯したんだろうか!!!とうとう!!!(いつかやるんじゃないかと思ってたよ!!!)
そしたらたいしたことはない「積載量オーバー」だそうで
何度警告されても改めないのでとうとう逮捕されたってワケです。
(なあんだ)
(相変わらずだなぁ・・・●●さん)
でも、元気な(?)姿を見られて良かったです。

えええと、何の話でしたっけ?
そうそう、小さな正義感の話。
大きな善人は小さな他人が見ても善人には見えないんです。
大きすぎて自分の理解の範囲外だからですよ。
●●さんの大きさは並みの人間にはわからないだろうな。
奥さんと私以外は。
●●さん、本当に良い友人でした。




決して犯罪を奨励するモノではありません。
念のため。

<したことが返って来る>(2005年11月11日)


さて、このXさんは例のVさんと山の方へ行き、途中でクルマを横転させました。
わざとじゃありませんよ。
でも、Xさんの(逆転させたい)という気持ちが具現化したのだと、思います。

その時、Vさんが後で、あっちが痛いのこっちが痛いのと言い出した時
「そんなの身体をブツければちょっとくらい痛いのなんて当たり前じゃないか。
それを医者へ行く騒ぎをするなんて、悪質。」とでも言いたそうに、怒っていました。

しかし、痛いのは事実なんだろうから、Vさんの気が済むようにすればいいのに、
と言ってもガンとして聞き入れません。
「わざと痛がっている。いや、痛いフリをしている。大げさな!」みたいな。
あ〜〜〜あ。
それで、モメたようですよ。
最終的にどうなったのか、知りませんが。

ところが、それから半年後くらいに、今度はXさんが隣町の駐車場で
バックして来たヘタなおばさんにクルマをブツけられ、
Xさんは鞭打ち症になったというのです。
それで会うと、今度はそのおばさんがどんなにヒドイいかを訴えます。

「相手はちょっと当たっただけだ、鞭打ちになるはずがないって言うんだよ、if さん。
ヒドイよね===!」と、また、愚痴。
ちょっと待て。
この台詞はたしかXさんがVさんに言ったのと同じ!
ありゃりゃ。
XさんがVさんの言い分に共感して、受け入れていればこんなことにはならなかった
と、思いました。
それをわからないから、
わかるように運命が動いたのだ・・・と。

私は相手がモノのわかった人や、分かりたがってる人なら、
いくらでも説明します。
でも、Xさんはそういう話は聞きたくも無い人なので、もしそういうことを言い出せば
火に油を注ぐでしょう。
注いだっていいんだけど、それの相手をするのが面倒臭い。
私の貴重な時間をそんなコトのためには使いたくありません。
Xさんはいつか、心の底から、わかりたい!と、思うような状態にならない限り
このような、この世の仕組みや人の心をわかることは出来ないのです。

勿体無いですね。
せっかくわかるチャンスなのに、それを生かせないんだから。


このように、自分がしたこと、言ったことはいつか返って来ます。
それがだんだん返って来るまでの時間が短くなっている、というのです。
以前は悟った人(ものがわかった、という意味)だけは、返って来るのが早かった。
ところが、最近はネコも杓子も、全員、漏れなく
「返って来るのが早まっている」らしいです。

返って来るのが早いというのは、悪いことではなく、むしろいいことです。
何故なら、原因がちょっと前のことなので、すぐ本人がわかるから。
返って来るまでの時間が早くなった原因としては、
「時間の流れが速くなった」のも一つでしょう。
あとは、
「地球全体の波動が高まった」のでしょう。
あとは
「もう、時間がない」のでしょう。

たった、一つの事件からこれだけのことを悟ることが出来ます。
うかうか過ごしてはいられないと思います。
せっかく「返って来ている」のに、殆どの人はそれに気付かない。
勿体無いです。


<X子ちゃん>(2005年11月15日)


X子ちゃんと妹のX美ちゃんは、とても良い子。
忙しいXさんを助けて毎日家事をしています。
その様子を見て周囲の人は
「X子ちゃんが可哀想だね。」と言います。

しかし、私にはそうは思えません。
家事を手伝わされることに関しては、これは当然だからです。
Xさんは農業をしているので、朝早くから市場へ出かけなくてはならないし、
一日中忙しく働いているからです。
家事を手伝うのは当然なので、ちっとも可哀想ではないのです。

「X子ちゃんが可哀想。」と言う人はサラリーマンの奥さん。
子供も二人しかいないし、それなら楽ですよね?
このように、諸条件を考えに入れないで表面だけで判断する人が多い。
こういう態度の方が問題じゃないでしょうか?

今の母親は子供に家事をさせないですね。
その理由として・・・
●させなくても母親だけでやっていける。
●子供が少なく、家事の量が少ない。
●赤ちゃんや幼児がいないので、手伝ってもらわなくてもやっていける。
●家事を手伝う暇があったら勉強をしていて欲しい。
●毎日、塾や習い事で子供が忙しくて、時間がない。
●言いつけても子供が言うことを聞かないので、させられない。
●家事を教える根気がない。
●どうやっていいか、わからない。


しかし、家事が出来ない子供を作るのは問題です。
仕事をし続けることが、その子にいろんな力をつけるのに・・・。

「でも、いつから、家事をさせたらいいのか、わからない。」
なんて言う人が多いですね。
そういう時、私はこう言います。
「歩けるようになったら。」
すると、相手はビックリしている。

<家事手伝い1>(2005年11月15日)


我が家では
歩けるようになったら仕事をさせています
本当に。

幼児は物まねが好きです。
芸をするのも好きです。
褒められるのも好きですよね?

なので、歩き始めたらゴミを持たせてこう言います。
「ゴミ箱、ポイ!」
すると喜んでゴミを捨てに行きます。
大いに褒めてやります。
可愛いしw

家事は物心つく前からさせないと、ダメでしょうね。
仕事をすることが息をする、食事する、歩く・・・当たり前のようにならなくては。
無意識に出来るようにならなくては、
心理的に仕事に抵抗があっては、仕事は覚えられないし、従ってできません。
出来ませんというのは、仕事の能力がないということと、
やれない、やりたくもない・・・ということになってしまう、
ということです。
(文章複雑)
「何でしなくちゃならないんだぁ?」と、思うようになってからでは遅い。

喜んでしなくてもいいけど(本当はそのレベルがいいけど)
少なくても
「仕事をするのが嫌ではない」レベルにならないと・・・。
結果として仕事が能力的に出来ないし、やる気も起きなくなるでしょう。

そしてそうなった人が沢山いるってことです。

ただし、いくらそうに育てても子供の素質や育った状況によって
個々のケースは違ってきますよ。
小さい子がいる家で、兄弟の上の方なら、
親は手伝ってもらわないと困るので真剣になりますが、
下の方だと、その必要がそれほどなくなりますね。

それと、子供に家事を分担させています。
責任感を持たせるために。
責任感のない人、多いですよ。
「責任」という言葉を知ってはいるけど、中身を知らないのです。
(※実はこういうことは往々にしてあります。
   言葉はよ〜〜〜く知ってる。
   でも、意味を知らないのです)

これでは後々大変、本人が困るのに、責任感のない人が多いですね。

あと、その子の仕事をもし本人が出来ない場合は、兄弟に頼んでしてもらう・・・
ここまでさせますね。
これは
交渉の練習になるし。
これは「それをやってもらわないと、家族全員が困る」のです。
しなければしないでもいいや・・・では、これは既に仕事ではないでしょう。

<家事手伝い2>(2005年11月15日)


まず、簡単なことをさせます。
ゴミ箱にゴミを捨てられるようになったら、食器を運ばせたり。
食卓をふきんで拭かせたり。
細々とした仕事は沢山あります。

どんな仕事も一度はしておかないと、やり方がわかりませんよね。
なので、全てを体験してもらいます。
まず
「やり方を覚える」

長女は小学校6年生から朝ごはんを作ってくれました。
末っ子が小さくて私が朝起きられないのと、主人も夜勤だったので。
助かりました。

長男には5歳から風呂掃除をさせています。
これは次男が5歳になった時に、次男の仕事になりましたが、
次男の後に誰もないので、次男が、長男が風呂掃除を止めた年齢になった時、
二人で交代の仕事にしました。

長女がやはり一番大変でしたね。
仕事の量が多い上に、働ける子が少ないし、さらに弟の面倒を見る・・・
という仕事まである。
大変でした。
よく手伝ってくれて助かりました。

それと、我が家では義務さえ果たせば後は何をしようと、こちらは関知しませんね。
自分の好きでやることに親は口出しはしませんよ、関係ないもの。
どこへ行こうと、何を買おうと、それは個人の自由で
「私事(わたくしごと)」
ただし、家事を怠ける、まずいやり方をするとかには厳しかったですね。
それは
「公(おおやけ)」のことだから、怠けたりヘタだったりすると困る。

ここなんですが、公と私事のけじめを厳しくつけるのは侍なんですよ。
私の前世は侍ではなくて、武家の奥方だったってのが何度もあるらしい。
だからというか、できるのかな。
トンデモですがね。

公と私。
この違いはハッキリさせました。
が、殆どの親はこの反対をやっているんじゃないでしょうか?
家事なんか、しなくてもいい加減でも文句を言わないが、
個人的なことにはいちいち口出しする。
これって
子供はムカつくと思うんですよね。
好きなことを自由にさせるとトンデモないことをすると思いますか?
しませんよ。
だって、毎日「義務と責任」を、仕事を通して身につけているから。

<家事手伝い3>(2005年11月15日)


こういう方が普通だと思うんですが
「出来る子に全てをさせる」というのが。

これはおかしいです。
どういうことかというと、年が上の子は下の子より、何でもできるのが当たり前ですよね?
それで、何でも上の子にさせてしまう。
下の子は遊んでいる・・・というのが多いんじゃないですか?

長女が小さい頃、お祖母ちゃんの家に行ったらなんでも長女に言いつけたそうで
長女が怒っていました。
祖母は次女以下には何も言いつけないで遊ばせているのです。
やはりね。

どんな小さい子も仕事はそれなりに出来るのだから、年相応の仕事をさせるべきです。
でないと、上の子の負担だけが増えて、可哀想。
情緒で生きている人、老人、洗練されていない人にはこれがわからないのです。
長女はたまに祖母の家に行ってはそれを体験したわけです。
これもいい勉強ですね。

比較してわかることが多い・・・というよりは、
比較しなければわからないのです。
そうでないとそれが当たり前になってしまうからです。
これが当たり前と思っては、これ以上何もわかることは出来ないでしょう。

我が家では
小さい子にも相応の仕事をあてがい、相応の責任を負ってもらいました
風呂掃除は娘たちはしていません。
たまにはやりますが、自分の仕事にはさせませんでした。
引っ越す前は、私がやっていたからです。
風呂掃除はウチでは男の子の仕事にしています。
あとはゴミを出す仕事。
これも単純なのでやります。
あとは、毛虫や芋虫退治(捨てるだけ)。
これも平気でやります。
あとはゴミを燃やす仕事。
これは何故か喜んでやります。

やはり、男女で得意な仕事は違う。
男の子には多少危険な汚れる、水をかぶるとか気持ち悪いとか、
でも単純な仕事をさせます。

つまり
3Kの仕事
女の子には食事に関する仕事や頭の要る仕事をさせます。
家事に頭が働かないと自分が苦労するから。

<家事手伝い4>(2005年11月15日)


つまり、「出来る子にさせる」ということは
「下の子に優先的に仕事をさせる」ということなんです。
下の子に出来ることならその子にさせます。
上の子には「下の子に仕事をさせるという仕事」をしてもらいます。
これも立派な仕事だし、というか、もっと高度な仕事なわけですよ。

他人にさせるより自分でした方が早いし楽だし、巧い。
だから殆どの家では母親が自分で家事をやってしまう。
「自分でした方が早いから。」
それはそうですよ。

でも、それはあまりに考えなしじゃないでしょうか?

家事をすることによっていろいろなことを覚えられ、それはかならず将来
プラスになるのに、それを子供にさせないとは勿体無いです。

世話をするのが好き・・・という女性が多い。
それはそれで結構ですね。
私にはない美徳です。

でも、これでは子供の将来は?
いくら勉強ができても、勉強はお金にはならないのです。
勉強を仕事に変換しないとお金にはなりません
つまり、いくら良い大学を出ても、それだけではお金にはならず
学歴で就職して仕事をして初めてお金になるんです。

せっかく良い大学を出ても仕事ができなければ、お金に出来ませんね。

そこを考えたことがあるのでしょうか?

<家事手伝い5>(2005年11月15日)


と、いうわけで。

我が家は働き者の長女のおかげで助かりました。
長女は学生時代に上司から「仕事ができる」と褒められたそうです。

また、
常日頃仕事をしていると他人の仕事ぶりが見えるようになる

毎晩夕食の準備は全員でやっていました。
長女が弟妹を巧く使ってさせていました。
怒鳴りながらw

長女がいなくなると、今度は次女が弟たちを使っていました。
怒鳴りながらw
次女が長男に
「使えねえ奴!」と言ったので笑いましたね。

仕事が出来る出来ないは歴然としてあります。
それは素質・才能なので、いかんともしがたい。
いくら同じように訓練しても、同じように上達するわけではないのです。
見る目がなければ見えない世界です。
うちの子にはその見る眼が出来てしまいました。

次男が小学校4年生くらいの頃、ある店のレジの前でこう言いました。
「手際ガ悪イ。」と。
笑いました。

<Xさんの問題とは>(2005年11月28日)


Xさんが自分の娘に家事を沢山させていることが周囲の人の陰口の
元になっていたようです。
が、Xさんを非難する人は専業主婦で子供が二人しかいなかったりする。
各家の事情を考えないで他人を非難するという、
その態度は自己中ですよね。

でも主婦にはこういう態度の人が多い。
そっちの方が問題です。

それとXさんは多少意地が悪いw
でも、それも個性だし。
こちらが実害をこうむらない限り、私には関係ありません。
多少はあるけど、ま、いっか・・・ってとこです。

Xさんの問題はそういうところではないのです。

<マイナス思考>(2005年11月29日)


Xさんはかなりなマイナス思考。

物事には良い・悪いの両面があると思うんですよ。
Xさんが目をつけるのは必ず「悪い面」。

例えば・・・
「道路拡張工事が始まった。
Xさん宅の敷地がそのために、少々削られた。
すると、その分の土地代がX家に入った。」
コレ、どう思います?
土地が売れたんだから、普通は「良し」とするんじゃないでしょうか?

でもXさんは違います。
「そのお金はそこにあった古い建物を壊す料金になって消えてしまった。」と言うのです。

「でも、その料金が賄えたんだからいいんじゃないの?」
「でも、そのお金はなくなっちゃったんだよ。」
「でも、そのお金があるから、古い建物が処分できたわけでしょう?」
「でも、お金は残らないよ。」
「でも、そのお金がなかったらXさんは自分でそのお金を作らなくちゃならないよ。」
「だったら古い建物はそのままでいいや。」
「でも、Xさんはこの建物はいつ倒れるかわからない、危なくてしょうがないって言ってたじゃん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
(あまり言うと怒り出すのでここらへんで終わりに)


絶対、「お金が入って良かった。でなければいつまでも古い建物があって、危険だったのだ。」
とは、思わないのです。
これはおかしい。

よく、人と会話しててこういうコトになりませんか?
水掛け論です。

片方は片方の言うことは承服できない、という場面です。
自分の考え・立場を死守しています。

Xさんとの会話の場合は
「金が入ってもなくなっちゃうんだから、何も良いことはない。」
という立場と、
「どうせ金がかかることを土地を売った代金で賄えて良かった。」
という立場です。

これはお互いの理解力に差があるからです。

さらに、この場合はXさんが
「他人よりも良い思いをしているということを周囲に知られたくない。」から。
これは理解し難いのですが、田舎の人にはあるのです。

例えば、以前住んでいた場所では
「3ナンバーのクルマに乗りたいが、周囲のことを考えたら乗れない。」と
ある人が言ったそうです。
つまり、周囲の妬みを買いたくないのです。

考えられない考えですが、本当にあるのです。

このように、常に周囲から抜きん出ないように、暮らしてはいるのですが、
ただ・・・・・・・・・・・心の中では「常に周囲から抜きん出ようとしている」のです!
つまり、「常に自分と周囲とを秤にかけている」のです。

自分は自分、他人は他人・・・という考え方がどうしても出来ないのでしょう。
こういうのは老人には多く見られますが、若くても田舎の人や
親に同化している人はこんな感じで生きているのです。

呆れます。

が、私が住んでいる土地は農村なので老人は多いし、若い人も親世代に同化
している人なので、殆どがこういう考え方なのです。

Xさんも外車を買いました。
地味な外車なので気付きませんでしたが、Xさんがさかんに謙遜しています。
外車なんか買いたくなかったけれど、何かの理由でこれを買った。
外車といっても安いのだ・・・と。
?????
自慢したいのか、謙遜したいのか、わかりません。
第一、私は車などに興味がありません。
?????

日本の農村で代々暮らすと・・・・・何百年も暮らすと皆、
こうになるのかもしれませんね。
「周囲より抜きん出たい・・・・が、それをしたら村八分になる・・・・だから、
目立たないように生きよう・・・・・でも、他が気になる・・・・・」
常に堂々巡り。
ここでは健全な精神は育たないでしょう。

<平行線>(2005年12月7日)


上の記事と関連していますが、人と会話する時、平行線になってしまうことがあります。

Xさんの場合で言えば
「土地が売れたお金で古い家を処分できたし、立派な塀も出来た。」
「土地が売れたって古い家と塀で、お金がなくなった。」
です。

また、有名な例ではこんなのがあります。
「可哀想だが戦争中のイラクへ行ってはいけない。」
「戦争中のイラクへ行ってはいけないが、可哀想だ。」
上の言葉と下の言葉は、実は「全く同じ」ですね?
ただ、順番が違うだけですね?

イラクへ行って殺害された青年について、ネットでは上の二つの意見が多数でした。
少数派には、
「ざまあミロ」
「彼は英雄」
というのがありましたが、これは論外とします。

上の二つの意見は言葉は同じで順番が違うだけですが、
言ってることの意味は正反対です。
上は「情緒よりもコトの是非を問う」
下は「善悪よりも情緒を優先」しているのです。
何が違うのか?
立場が違うのです。

そしてこの二つの意見が出会うと、通常は自分の立場からは一歩も出ない。
自分の立場からの意見を言い続けます。
つまり、言葉は全く同じでありながら、物事の捉え方が正反対で
自分の考え方を基準として、そこから発言しているので、
自分の考えの基準になるもの・・・・・・性格や生育暦全て・・・・・・を
全否定しない限り、相手の意見は受け入れられないでしょう。

こうなると、こうした場合は全人格をかけて自分の立場を死守するので、
決してお互い、相容れません。
本当なら、どちらかの判断力が上なんですよ。
しかし、
「判断力がなければ、相手の判断力が自分よりも勝っていても、それを理解できない」
なので、不毛な水掛け論に終始します。

相手を理解するには、相手の理解力まで、自分が向上しないと不可能。

そして、こういうコトは多々あり、こうした組み合わせの場合はお互いに受け入れがたく
相性は悪いと言えるでしょうね。

理想を言えば下のモノが上のモノを理解出来るまでの知恵(波動量)を獲得するしかない。
しかし、それは大変困難であり、これが出きる人が殆どいないのです。
それを可能にするには
人並みの知能と、素直な心・・・・・・これしかないのです。

<愚痴1>(2005年12月11日)


Xさんは大変気が強い。
なのに、会話の90%が愚痴です。

Xさんに捕まると1時間の会話のうち、55分は愚痴を聞くはめになります。

あ、90%が愚痴という人、もう一人知っています。
90%ではないけれど、愚痴ばかりって人もいます。

批判と悪口と愚痴の違い。

●批判=事実を根拠にして他人を批判すること、感情は入らないし、
       攻撃することが目的ではなく、解決することが目的。
●悪口=他人を悪意をもって批判すること。攻撃するのが目的。
       事実の認識は自己中で甘い。
●愚痴=自分の感情に共感してもらうのが目的。そのために対象を批判する。


全く違います。
でも、殆どの人はここまでわかってないんじゃないか?
そこまで考えたこともないと思いますよ。
なので、これらは一緒くたになっているはず。
この差がわかっているなら、かなり日ごろからこの件に関して考えている人です。

差と取ること=サトル=悟る

相似象ではそう、解説しています。

差がわからない(悟っていない)のに、考えなしで言う・・・
こういう場合が99%は行くでしょう。