Vさんの場合

予感(2005年9月11日)


Vさんは元銀行員。
銀行員のご主人と娘・息子と4人暮らし。
病気の家族がいるわけではなし、意地悪な姑と同居しているわけではなし、
子供は出来が良く、皆、健康で一応裕福。
何の問題もないように見えました。

でも、私はこの家庭を見て
(これは将来、必ず子供が問題を起こす)と、
思っていたのでした。

原因はVさんだということもわかっていたのです。

絵に描いたような家族(2005年9月12日)


Vさんの家庭は絵に描いたような幸せな一家です。
娘のV子ちゃんは成績優秀、スポーツ万能、習字もピアノも何でも出来る。
しかも、頭も性格も良く、非の打ち所がない。
息子のV夫君は目立たないけど、やはり普通の良い子。
苛めたり苛められたりもない。
ご主人は真面目だけど駄洒落が好きな銀行員。
何の問題もないのです。

奥さんのVさん。
明るくて普通の奥さんです。

なのに、何で私が(これは将来必ず問題が起こる)
なんて予想したんでしょうか?


わからずや(2005年9月15日)


Vさんは「わからずや」だったのです。

わからずやといっても、特別わからない人ではなくて
普通のわからずやでした。
つまり、殆どの人と同じくらいのわからずやってことです。
ただ、普通よりも、ちょっとだけ、わからずやだったかな。
ほんの少しなんですけどね。

性格は良くて明るく思いやりも普通にあるし、
真面目だし、楽しい人で、これはSさんと似たような感じかもしれません。
勉強も出来る方です。

他の多くの主婦と似たようなものなのに、何で子供に問題が起きたのか?
Vさんは、家族に病人もいないし、姑さんと同居もしてない。
Vさんの実家は普通の家で親で苦労したこともない。
経済的にも恵まれている。

でも、
運命はこういう人に「物事がわかるようになるよう」展開します
何故なら事件や事故が起こらなければ
Vさんは何も考えず、一生「わからずや」で過ごすことになってしまうから。
それでは魂のためにならないので、敢えて問題が起こるようになってます。

不思議なコトに勉強で使う「問題」と、
困ったコトを意味する「問題」が、同じ言葉ですね。
困ったコトの「問題」って、利口になるために解くべき「問題」なんです。


だから私は「将来必ず子供が問題を起こす」と思ったのでした。
そして、問題を起こすのは長女のV子ちゃんだろうと。
そしてV子ちゃんは大変丈夫だし、明るいし、勉強はできる、頭も良い。
友達とは普通に付き合えるし、人気があるし、信頼されている。
だから登校拒否や引き篭もりや苛められではない。
非行でもない。
体力があるので、病気でもない。
V子ちゃんはそのうち親を超えてしまい、「異常な反抗を起こすだろう」と。

その通りになりました。

Vさんのわからなさ(2005年9月16日)


Vさんの子とQさんの子とうちの子が同級生だったので知り合いました。
二人ともとても明るく良い人です。
Qさんは友達を招くのが好きなのでよく遊びに行ってました。
Qさんはもてなすために殆ど席を離れています。
その間私はVさんと会話しています。
すると、どうもいまいち「わからない人」であるということが
私にわかってきます。

わからないというのは・・・・・・・・・・・
物事がわからないという意味。
状況の見方がいまいちだし、論理的でもない。

例えば・・・
共通の知り合いXさんのことを
「いつもお金がないという話をしてるけど、そういうことを言ってはいけないんだよ。」という。
Vさんにとっては、友人として付き合ってるのだからお金の話はしてはいけないらしい。
しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・誰がそんなことを決めたんでしょうね?
バカボンのパパじゃないけど、国会で決まったのかな?
私は世の中にそういう「常識」があるのを知りませんでした。

この「常識」はVさんが勝手に自分で決めている常識でした。
そういうことは「自分」に課せばよいと思いますが、どうでしょうね?
それを他人に強要するというのはおかしくないですか?
これは相当な「自己中」ですね。

私は(ありゃりゃ〜)と思ったのです。

自己中いろいろ(2005年9月17日)


このVさんはどうも、自分はきちんとやっている・・・という自覚があるようです。
ところが、実際は全然そんなことはありません。
○時に来る・・・というので、待っていると30分遅れて来る。
何か用事でも出来たのか?と、思ったら
「天気が良いので歩いて来た。久しぶりに歩いたら気持ちが良かった=。」ですと。
?????
ご飯茶碗を持たないで食事する。
韓国だったらこれが普通だろうけど、ここは日本です。
?????
この他にも細かい点で「おや?」というのが大変多い人でした。

これで何も言わない人ならいいんですよ。

ところが、自分は人並みのことは出来ないという自覚がないのと、
正義感が強いために、他人のことは、かなり、批判します。
「○○すべきではない。」と。
それも、殆どが自己中な価値観で。

これは良くないですね。
こういう場合
○自分のことを自覚して、他人を批判しない
○自分はきちんとした上で他人を批判する

のどちらかなら、問題はないのですが。

私は忠告したいが、Vさんの理解力を考えて様子を見ることにしました。
誰も、必要がない時に他人の忠告など聞きません。
必要になれば、否応なくというか、渋々聞き入れます。
が、理解することはまた別問題です。

対応


さて、こういう人を相手にする場合、とる態度の種類がいくつかあります。

●対象者がどんなバカなことを言ってるのを聞いても、ニコニコと聞き流し、
  言ってる本人に忠告しようとは思わない。
  言っても無駄ということを知っているので、放っておくが、見捨てたわけではない。
  間違ったことを言ってもやっても、それを変えてやろうとはしないで、
  それを受け入れる・・・という態度。
  
「お守り」という。
●対象者がバカなことを言ってるが、まぁ、仕方ないか・・・と、
  大目に見て見逃す態度。
  勿論、説得しても相手が理解しないことを知ってる、
 
 「観察」
  大目に見ているだけで、受け入れたわけではない。
  心情的にはこれではいけないと思っている。
●対象者が変なことをしたり言ったりした場合、
  一生このままでは本人のためにならないので、
  間違いを指摘してあげるという態度。
  間違っているくらいでは腹は立たない。
  感情が入らず、淡々としている。
  
「教育」という。
  上の「観察」をしてた人が、対象者がいつまでも進歩しないか、
  または放っておくと困った事態になった場合、「教育」的態度に変化する場合あり。
  両者は同じレベルだけど、事態の変化で態度を変化させた。
●上と同じだが、忠告を聞かない場合は腹が立つというレベル。
  
未熟な「教育」
●対象者がおかしな言動、行動をしててもそれに気付かない。
  つまり、本人と同レベルにある人で、対象者を受け入れている、
「同類」
●対象者がおかしなことを言ったりしたりした場合は、即、腹を立て、
  忠告はせずに意地悪をするレベル。
  
「攻撃」です。
  対象者よりも、能力が上だが、教育するほどの能力も、忍耐力もない人。
●対象者がおかしなことを言ってないのに、それを誤解して感情的になるレベル。
  攻撃よりもっとレベルが低いやつ。
  このレベルとタイプの人は
心の姿勢が常に「攻撃」になってるので、
  対象がどうあれ、こう反応する。
  

おおまかに分けてみました。
もっと厳密にすれば、細かく分けられると思います。
それと、これは私が今、目安として書いた単なる思いつきなので本気にしないでくださいね。
まるで学説みたいだけど、くちから出任せです。

あなたも自分なりに作ってみればいいんですよ。
こういうコトは別に偉い学者しかやってはいけないコトじゃないんだから。
誰だって、思いついたコトを元に人生を考えていけばいいんだから。
あっちの学説・こっちの解説と・・・渡り歩いたり、信じ込んだりしないで
こんなコトは生きていればだんだんわかって来るコトなんだから
「途中経過」「経過報告」くらいの気持ちで、自分なりに説を作ればいいんです。
でも、そういうコトが嫌いな人はしなくてもいいんですよ。

上に挙げたのは単なる私の意見ですが、実は私、どんなに有名な人が提唱しようと、
それは「その人の思いつきであり、個人的な意見である」と、本気で思ってます。
つまり、ユングの解釈は、彼は熟練者だから大いに参考にはするが、
それを絶対だと思ったことがないのです。
常に「ユング一個人の意見」と、思ってます。
全て、そう思ってます。
そして、そこらへんの子供が言ったことでも、それが鋭い意見なら大いに参考にしてます。
神の目からみれば「みんなどんぐり」だと思うのです。

勿論、
「私は誰かの言うことに従順について行きたい。それが一番楽で楽しい。」
という方はそれで結構だと思います。
違うように生きろと言われたらかなり苦しいものね。

さて、上に挙げたタイプとレベル分けですが、
苛め・苛められの関係などはコレでわかります。

Xさん登場(予告編)(2005年9月19日)


そんなワケで(ど、どんな?)自覚なきわからずやの、明るいVさんは、言いたい放題。
自分のコトは棚に上げ他人の批評は必要以上にします。
「正義感」も強いのです(わらい

私はそれが事実なら何を言われても平気だし、
それがその人の感想なら、どんな感想を持とうとOK。。。やはり前世はフランス人に違いない。

ところが、頭がそれほど良くない人は、
事実を元に思考・論理を組み立てるというこが苦手。
大抵、本人の思い込みと錯覚(邪推)でやってるのですが、
自分ではそれを「考えている」のだと、錯覚しているのが普通です。
(ヘタな考え休むに似たりと言いますね)
傍から見ればそれは「休憩」にしか見えませんが、それでも本人の自覚としては
「考えている」のです。

根拠のないことを元にして勝手に思い込まれてはかないませんね。
私は多少不愉快だし、困ってもいました。
自分のことを言われたから。。。ではなくて、
他人のコトでも、根拠のないことを元に論理を展開していたら、
それは意味がないじゃないですか。
時間の無駄・・・得るモノなし・・・私はそう思っちゃう。
そう、思わない人もいて結構だけど、私は嫌だから、自分はしません。
ただ、他人にそれをさせようとは思いません。
それはその人の勝手だもの。
だから、通常は「私はそういう人とは付き合わない」のです。

論理のあやふやさ・・・・・
そこを突っ込むと、今度はVさん、自分の言い分を私が聞かないので
不愉快そうです。
が、私はそもそも「他人のお守りをしない」人なんです。
すると、今度はこちらへ矛先が向きます。
どうもVさんは「自分の言い分を100%賛成してくれる人」としか付き合えないようです。
ということは、我がままってことですね。
人当たりが柔らかくて親切で優しい、我がまま・自己中人間は沢山います。
約半数の場合が、そうです(わらい
あとの半数は「優しくなく意地悪でタチが悪くて、自己中」な人。
ただし、これらはハッキリ分かれてはいません。程度の違いがある。


私はVさんの様子を見ていました。
つまりVさんが言ってわかる人かどうか、もうちょっと様子を見つつ、
こういうコトがわかるように少しづつ「わかり方」の話を進めていました。
それで小出しに話すのだけど、全然通じません。
一緒に聞いているQさんは「わからない」と、正直に言うのに。
さらにQさんはわかろうとして、真剣な顔になりますが、
Vさんには、「自分がそれをわかってるのか、どうなのかすら、わからない」のでした。
ひたすら鳩が豆鉄砲食らったような顔をしています。
どうも、私を変な人と思ってるようです。

本当言うと、こういうコトはやっても報われないし、
作業そのものが大変な苦労を背負い込むので、やりたくないんですよ。
少しくらいのわからずやなら、まだ向上する可能性はありますが、
わからずやの度合いが大きいと、絶望的だからやりません。

Vさんも付き合えば付き合うほど、わからずやの正体を現してくれました。
でも、良かったのは、Vさんがそのわからなさを表現していたこと。
言語化してくれたので、私は彼女のわからなさを「わかった」(計ることができた)のです。

他人がどう生きようと関係ない・・・と、思う私だから、通常はこういう人とは付き合いません。
が、共通の友人のQさんが人間が出来てて、良い人で私はこの人が大好きだったので、
Qさんとは付きあいたいな・・・と、思ったので(ま、いっか)ってとこでした。

それで、Vさんにどう言えばわかるかな?と、思っていたとき、
Vさんのわからずやは、
運命的に修正が必要になっていたのでしょうね、
Xさんが登場したのでした。


Xさん(2005年9月20日)


Xさんは農家の嫁。
大変な頑張りやでして、広大な農地を一人で経営しています。
嫁に来た当事、信じられないような苛めを姑から受けたらしい。
食事の時に、Xさんのご飯だけ盛り付けてもらえなかったとか。。。
でも、Xさんは元々気が強いので最後には力関係が逆転しました。
本気で怒らせたら怖い人なのに、舅と姑が甘く見たらしいです。

Xさんは三人兄弟の長子で、弟がいて、しっかりもの、
自分にも他人にも厳しい人です。
Xさんを怖いという人もいますが、私はこのくらいの人の方が付き合い易いですね。
弱い人は困るな。
良くも悪くもないことを悪く取られると、私は困る。
Xさんは私が、物事を悪く取らないのをわかってきたら、信頼するようになりました。
それまでは、私を変な人と思っていたようです。
(また!)

Xさんはある夏にQさんとVさんとキャンプに行くことになりました。
打ち合わせの時に、キャンプ経験のあるXさんとQさんが二人で相談していると
経験のないVさんが
「私はなんにもわからない!」と、責任感ゼロの顔で何度も言うそうです。

責任感の塊のXさんは不愉快。
でも、Xさんから見て間に入ったQさんが人格者なので、(ま、いっか)ってトコでした。
(ここは私と同じ)
(本当にQさんはマトモな人なんです)

でも、この話は流れてしまったのかな、知りません。
思うにこの場合、XさんはVさんに
「ゴメン、私経験ないから全然わからない。
Xさん、よろしくお願いね♪」
という態度をして欲しかったのではないかと。
Xさんは自分なりに真面目な人だから、自分ならこうするという時に
相手がそれに達しないコトをすれば許しがたい、

Xさんの価値観からいうとあってはならないんじゃないでしょうか?

とはいえ、別にXさんは特別気難しい人じゃないんですよ。
「普通に」していれば問題はありません。
ただ・・・・・・・・・・・・・
この「普通」が、人によって違うのが、問題なんですけどね。

Vさんに言わせるとXさんが「金がない〜〜〜!」という話をするのは
ルール違反らしいです。
勿論Vさんだけのルールです。
たしかにXさんは会うと必ず「金がない」話をするのですが、
元々、あまり話題が豊富な人ではないのです。
だから、相手を認める、受け入れる心があれば(ああ、Xさんは本当に金がないんだぁ)
で、済むんですよ。
言ってはいけないとなっちゃうのはおかしいです。
他人を自分の価値観に当てはめて、そこから出てると認めない、というのは。

たしかに、Xさんの話は99%が愚痴なのです。
なので、私達は全員Xさんの愚痴の聞き役にさせられてしまいます。

私は貴重な時間をそんなコトに費やしたくないので「Xさんの性格を飲み込んで」
付き合います。
(つまり、愚痴を聞かされそうになったら逃げる・・・とか)
(だって、二時間くらい言い続けているんだもん)
でも、XさんにはXさんの良いところが沢山あるんですよ。
Xさんの長所も短所もひっくるめて、Xさんを認めている私とQさん。
それができないVさん。。。たいした違いはないけど、これが大きな違いなんですね。

XさんはVさんの考えなし、責任感のなさ、甘えが許せません。

二人は相性が悪いのだ・・・ということではないですね。
似たもの同志といえば、同志。
「お互いに相手を自分の尺度ではかり、認めない」という点では
同じでした。

あ、コレって、女に多いですよ。

女は男よりも社会性が少ないとか低いとか言われる原因の一つはコレだと思ってます。
よく「女は真面目」って言うじゃないですか。
その真面目って何だろう?と、考えると、どうも、このことだと思うんです。
これを真面目と呼ぶかもしれないが、
「自分のルールに合わないモノを排除する」ことなんじゃないかな?と。
そして、そういう真面目な女は多いと思います。
さらに、その真面目さを発揮する場面が小さいコトなんですよ〜。
正義感と呼んでもいいかもしれない。

人は自分のレベルに見合った場所で正義感を発揮します。

昔読んだ或る作家の意見。
「小さい正義を発揮する人がいる」と。

また、Xさんには「自分の子をVさんの子に苛められた」という思いがあったのです。
小学生のグループでそれらしきことがあったようですが、
その真相を確かめないで、やはり思い込んでいる。
これも、Vさんが根拠ないことを真実のように思い込んでいることと同じです。

他にもあったようですが、Xさんは次第にVさんに一泡吹かせてやろう、
思い知らせてやろうという気になりました。
たとえそれが「無意識」であったとしても・・・。


無意識(2005年9月23日)


無意識と意識、どっちが怖いと思いますか?
それは「無意識」の方です。

お釈迦様が言ったそうです。
「熱い鉄の棒を、『熱いと思って握る』のと、「熱いと知らずに握る」のと、どちらが危ないか?」と。
勿論、熱いと知らずに握る方ですよね。
これを無意識・無自覚と言います。

実はVさんとXさんの違いはここにあります。

Vさんはトラブルが大嫌いで自分では決して「トラブッているつもりはない」のでした。
例えば心無い言葉を吐いても、それが「悪いということを知らない」のです。
これはかなり、わからない人の部類に入るんですよ。

XさんはVさんよりも、もののわかり方が上(レベルが上)なので
「それを悪いと知っていて」やります(わらい
つまり、同じことをしていても、それを悪いと知っているXさんの方がレベルが上なのでした。
優しいとか性格が良いとかは、この場合関係ありません。
あくまでも「モノのわかり方のレベル」の話です。

さて、Xさんは自分の悪さを自覚は出来ていますが、
誰でもある程度、ある部分では「無意識」です。
(かなり、意識化出来ている人と、殆ど無意識で生きている人の差はありますが)

或る日、Vさんが或る店に行きたいと言うので、
その店を知ってるXさんが自分の運転でVさんを連れて行きました。
Xさんは常日頃からVさんの「無礼」が気に入りません。
(しかし、間に入ったQさんのことは認めているので、無下には出来ません)
すると郊外のへんぴな狭い坂道でXさんの軽トラックが横転してしまいました。
乱暴運転したからだと、思います。
Xさんが後で語ったところによれば
「意地悪く運転してやった」そうです(おいおい)。

それで急ハンドルを切ったら、安定感のない軽トラックだから、横転してしてしまいました。
たいした事故ではなく、怪我もしなかったので
その日はその後何事もなく、帰宅しました。

これは私が思うにXさんがvさんとの力関係を逆転させたかったからではないか?
子供が苛められたことを根に持ち、日ごろのVさんの考えなしの言動に
かなり、鬱憤が溜まっており、その関係を逆転させたい・・・という
無意識の思いが表に表れた・・・ちょうど良い時に。
「無意識」とはこのように、自覚しないと(表に出さないと)いつまでも身体にあって
いつか、表に出ざるを得ない代物なのです

だから、怖い。

Xさんの無意識は「クルマを横転させる」ということまでしてみせました。
でも、
隠れていたモノが表に出てくれば、Xさんの気が晴れて良い方向へ向かうはずでした。

Vさんは帰宅した当日は良かったけれど、次の日に首や肩が痛くなったそうです。
するとQさんが
「それは鞭打ち症だから、医者へ行った方がいい。」と、アドバイス。
Vさんが医者へ行くとなんらかの診断が出て(それが仕事なので、病名はつくんですよ)
VさんがXさんに
「事故として処理して保険からお金が下りるようにして、治療費を払って欲しい」
と、言ったところ、Xさんが怒り心頭に達してしまいました。
(自分の無意識の気持ちとしては、この事故でプラスマイナスゼロに近くなったのだから)
(勿論コレも自己中な考えですが、Vさんもそうなのです)

ゼロになろうとしていた怒りのエネルギーが、その分まで加算されて
噴出したのです。
Xさんの怒りは凄まじく、友人知人に今までのV親子の行状を電話で喋りまくり、
何故か関係ない私にまで電話が来て、1時間も愚痴を聞くはめに。
(助けて〜〜〜)

女の喧嘩(2005年9月26日)


Xさんが怒り狂って電話をかけてきて言うことには
「Vの娘にうちの娘が苛められ、今度は親の私がVに苛められた。」と。
そんな何でもない、気のせいなのに、首や肩がちょっとくらい痛いなんてのは
当たり前で心配することはないのに、わざわざ事故として処理してくれとは、
これは苛め以外の何物でもない・・・という主張。
私は
「おたくのX子ちゃんがV子ちゃんに苛められたというのは事実なのか、どうかを確かめるよう」
言いました。

すると、今度はVさんから電話。
精神的にメチャクチャ参ってる声で
「私は何もしてないのに、Xさんが私達親子の悪口を電話で言いふらしている。
いったい、何故? if さんのところにも電話が来た?
何でこんな目に会うの?」という内容でした。
私は
「Xさんが怒っているのは、V子ちゃんがX子ちゃんを苛めた・・・と、Xさんが
思い込んでいるからだよ。」
Vさん「うちの子はそんなことはしてないよ。」
私  「実際にしたかどうかではなく、Xさんが、そう、思い込んでいるんだよ。」
Vさん「でも、ウチの子はしてないのに、何で?」
私  「(困ったな)えええとね、事実はしてないかもしれないんだけど、
     Xさんがしたと思ってることが問題なの。」
Vさん「・・・・・・・・?」
どうも、そこらへんが理解出来てない。

Xさんも私が「事実を調べろ」と言ったモンだから、自分の言うことに逆らったと思い、
面白くない。

つまり二人とも理解力・判断力・思考力が低く、他人の話がわからないのでした。
これでは、幸せにはなれません。
物事を正しく判断すれば何も悩むことはないし、
問題は解決するし、常に心はスッキリ出来るのに、この二人にはそれが出来ないのです。
それで、悩まなくて良いことを悩んでいるのです。
これを「
不必要な思い・感情」と言います。

あるトンデモな情報によると、
「この世の思いの98%はマイナスな思い&感情」
だそうです。
アメリカのある実験でわかったそうです。

VさんとXさんはこの点でソックリですね!
タイプはちょっと違うけど、レベルが同じです。
かなり、低いと思いますがどうですか?
でも、ありがちじゃないですか?

それで、結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は二人に恨まれることになりました。
(爆笑

真意(2005年9月28日)


怒り狂ったXさんを、私は離れたところに住んでいる、子供の頃からの友人のZの家に
何かのついでに連れて行きました。
そこで思いっきりVへの鬱憤を晴らせばいいや・・・と、考えて。
するとXさんは私が自分の味方をしているのだと、
勝手に都合よく考えます
このレベルの人は皆そうです。
そこで散々Vさんの悪口を言ったので、私はXさんの気が済んだかな?
と、思ったけど、まだ足りなかったようです。

すると、Vさんは私が関係のないZさんの家にXさんを連れて行ったと知り、
関係のないZさんに自分の悪口を聞かれたと言って怒ってます。
Xさんは並外れてエネルギが大きい。
悪い方へだけでなく、仕事も普通の女にはできないくらいするし、
学校の行事も熱心・・・つまり、高エネルギー人間なのでこれをどこかで発散しないと
大変なことになるのと、
関係のないZのところなら、関係ないんだからVさんの悪口が拡がることもない。
その、私の真意をVさんは理解できません。

ていうか、
真意が理解できるくらいなら、最初からXさんに目の敵にされるような
ことにはなりませんね。

私はZさん宅へXさんを連れて行った理由を説明しましたが、
やはりVさんには理解できないのです。
自分に落ち度がないと思うなら、よそで誰が何を言おうと、清廉潔白、
悠々としていればよい。

それができずに、ひたすら悔しがるVさん。
かなり、わからない人です。

また、Xさんも私が味方であると、勝手に判断してしまい、私が
「真相を確かめてからじゃないと、何も考えられないでしょ?」と言ったら、
もう、ifはVの味方だ・・・と、なってしまいました。
Xさんは人を「味方と敵」に分ける癖があり、
これは多分そのような育ち方をしたから
だと、私は思います。

つまり、
二人とも他人の真意が全然わからない人なのです。
ひたすら自分の我を押し通すだけ。
片方は柔らかく、片方は硬いけど、同じ。
私の友人ZがXさんの言い分を聞いて言った言葉は
「どっちもどっち。」でした。
本当にその通りでした。

何故真意がわからないか・・・それは「わかるレベルに達してないから」です。
あくまでも、自分の考えというのものは自分の頭のレベルを超えてはいないんですよ。
自分がわかる範囲のことしかわかりません。
なので
言葉でいくら説明しても、それは自分の理解の範囲外なのでわからないのです。
むしろ説明すればするほど、ムカついてくる。
これを「謙虚でない」と言います。
殆どの人が当てはまってます。

(だから、私はこの二人がトラブったと聞いても放っておいたのにぃ!)

さらに、ここでVさんvsXさんの女の喧嘩を、私が書いているのを読んで
(何でifさん、悪口書いてるんだろ?)と思うか
(ifさんはこれをサンプルにして、人間関係の解説をしているんだ)と思うかは
その人のレベルによって分かれます。
当然、誤解はつき物ですが、私は
誤解はした方に責任があり、
された方には一切責任がないと考えるので平気なんです。

普通は
誤解されないようされないよう、小さく小さく生きるのが女ですがね。
私はそれを超越してます。
(女を捨てたんじゃなくて、超越したの!)
(ホントだって!)


解釈(2005年9月29日)


さて、Vさんと仲良しの優しいQさんは、VさんのためにXさん宅へ行き、
誤解を解こうとします。
Xさんは、QさんのことはVさんよりも話がわかるので、普段から一目置いてますが、
こればかりはQさんの言うことをきくわけにはいきません。

他にTさんというもっと、わからずやがいて、Xさんは前はこの人と仲良くしていましたが、
常に自分の得になることしか頭になく、他人の悪口が大好きなので、
Xさんが嫌になり、疎遠になってた人がいます。
この人が言うには
「 if さんはVさんとXさんの両方に巧いこと言ってる。」
つまり、八方美人というか、そういうことをしていると言うんです。
この人は自分ならそうするので、他人もそうだと、思っている。
事実を確かめない人は大変多いですね。
普通の主婦には出来ませんね。
ただ、想像や推理がドンピシャリで当たることがある。
それはその対象を良くみて、感情を入れないで判断した場合です。
勘といいますが、これは当たりますね。
でも、後で事実を確かめるべきでしょうね。
最初から最後まで憶測(邪推)で、話を作る人も多いけど、
それではダメだし、幸せにはなれません。
(間違った心構えなので、事故や病気を呼びます。
 このTさん、交通事故で顔に怪我をしましたが、相手のドライバーのせいにしてます。
 これでわからないともっと凄い目に会うんだけど)

事象がどうあれ、それを解釈するのは自分の感受性・判断力です。
その解釈の仕方を私は心の姿勢と呼んでいます。

同じモノを見ても一人は喜び、一人は怒るという違いがある。
この感受性と判断力をマトモにしない限り、幸せにはなれません。

このTさんはかなり、わからずやの上にタチが悪い
かなり、レベルが低い。
でも十人に一人くらいはこうかな?と、思います。
残念ですが。
あ、それでもちゃんと社会生活はやれるんですよ。
そういう社会なんです。
今のところは。

このように、人はそれぞれ、自分なりの反応をしますが
自分とかけ離れていることは「思いもよらない」のです。
想像を絶しているというかな。
皆、ただの主婦ですがこれだけの違いがある。
それぞれの精神世界を生きているのです。

私は男の兄弟が多く、母親も男性的だったので、女にこういう傾向があることを
この時まで知りませんでした。
女子高出ているんですが、何もわからないで過ぎてしまいました。
たまに変だな?と、思ったことはありますが、ま、いいや・・・で過ごしていたのです。
わからないってのは、こういうことです。
それで

「おおおおっ!女の世界はこうなっていたのかっ!」と、驚いた。
マヌケでしょう?
でも、不思議大好きなのでこうなったらとことん観察してやろう・・・と。
モノ好きでしょう?

日月の神が言うには
「女のメグリ怖いのぞ」です。
本当だわ。
これじゃぁメグリ作るわ。
でも、そう考えちゃいけないと言われても「はい、そうですね。」と、すぐに
改まるモノでもないし。

これは大変なことですよ。

レベル(2005年9月30日)


さて、一つの事象(事件)について、人それぞれの反応をしています。
攻撃する・・・協力する・・・様子を見る・・・邪推する・・・
性格は人それぞれだから、
反応はいろいろですね。
何でもないことですよね。
でも、実はこれが大きな問題なんです。

同じモノを見ても感じるモノが違うということこそが、「問題」です。
それは天から地まで、ありとあらゆるレベルがある。
どうせなら高いレベルで反応したいものです。
これが難しいんですよ。

良いことをするのは簡単ですが。

良く解釈するのは難しい


たとえそれが善意であっても、悪く解釈したら何にもならないんです。

日月の神も「
慢心と取り違え、多いのぞ。」と言ってます。

レベルと聞くと学校の勉強のレベルとか、偏差値とかを想像して拒絶反応を起こす人がいます。
てか、多いです。
そうではありません。
精神のレベル(わかり方)のことです。

レベルと聞いて学校を連想する人はその体験によって傷ついちゃってるので
まず、そこから直して白紙に戻さないと、これ以上は考えられないでしょう。
そう、思ってしまうことそのものが「わからない」「という証拠です。

今までの体験を捨てないと無理。
知り合いの方が
「死ぬ夢」を見たと、報告していました。
それは今までの自分(が、後生大事に抱えていた不要な間違ったモノを捨てる)と
言う意味で、吉夢です。

ここに登場しているVさん、Xさん、Tさん・・・それにかなり思いやりがあって、優しくて
いつも他人のために奔走しているQさんまでが、実は
古い考え方を後生大事に抱えている人です。
中ではQさんが抜きん出て素晴らしい人格だけど、それでもまだダメなのです。

私はため息をつきました。
言っても決して理解しない人達を相手に、いくら説明しても時間とエネルギーの無駄
だからです。
と言ってる私自身がわかる人かというと、そんなコトはありません。
この中では、わかる人ですが、もっとわかる人から見たら全然わかってない人。
これは相対的なモノです。
でも、絶対的でもあるのです。

その後(2005年10月1日)


それで私は、この人たちからどう思われたかというと・・・
●一番マットウな感性・能力の持ち主のQさんからは
絶大な信頼を受けました。
●気は良いがわからずやのVさんは、その後、また変なことを言い続けてましたが、
  私が根気良く説得していたらだんだんわかって来たようで、後日引越しする前は
  「これからも
友達で居て欲しい。」となりました。
●やたら気が強くて思いやりが深いXさんも、私が最後まで意見を変えないのと
  友好的な態度を崩さなかったので、
一目置くようになりました。
  つまり、意地悪をして陥れたりはしなくなった。
  (ここに至るまでには、Xさんは私に怒ってやはり悪口を言いふらしていたんです)
  (呆れて腹も立ちません)
●タチが悪いTさんはXさんと絶縁、私の悪口を言いふらし
  仲良くしていたVさんとQさんとも
疎遠になりました。
  気が合う友人を他に探したんでしょうね。
  私がTさんに嫌われた理由はTさんにとって理解出来ないことを言ったからです。
  Tさんが欲しいのは一緒に悪口を言う仲間なのです。

というワケで最終的には事態は好転しました。

Vさんも引っ越す前にXさんに「いろいろ迷惑をかけた」と、
挨拶したようです。
Xさん「私も悪かった」と言えばいいんだけど、言わなかったようです。
とりあえず
一件落着

その後、Tさんの子が中学生になると異常な反抗をするようになったそうです。
(さらに第一志望校に落ちました。鼻を高くし過ぎたせいもある)
さらに三年後、Vさんの子のV子ちゃんが高校生になると
母親のVさんに異常な反抗をするようになりました。
数年後にVさんが私達の町へ来て、唇を震わせ泣きながら訴えるのを聞いて
(ああ、やはりな)と、思ったのでした。
Vさんは「
何で私がああいう態度をV子にされるのか、わからない。」と、
涙ながらに訴えます。
言っちゃいますと、
それ(理由)がわからないから、そういう態度をされるのです。

私はVさんにわかるように説明しましたが、やはりわからないようです。
でも、前のように私をバカにしたような態度は取らなくなっていました。
態度だけは進歩してましたね。
困ったことが起こらないと人は意見を聞けないものです。
うまく行ってる時に他人の忠告など耳に入りません。
そういえば、Vさんはこの騒動の直後には
中耳炎になりました。
それは「
他人の話を聞かない心」が原因なのです。

こういう善人を相手にした場合、説得が効かないので
様子を見ることしか出来ません。
つまり、もし、自分がVさんと同じようであれば、
私も他人からそういう態度をされるということです。
誰も、言ってわからない人に説得などしませんから。
私たちはVさんのことを参考にして常に自戒しなければならないのです。

V子ちゃん(2005年10月3日)


Vさんの子のV子ちゃんは親を超えてしまったんですね。
だから、親のわからなさが見えて、それを説明してもわかってもらえないので
それで自分のしたいようにしている・・・そのことが
わからずやのVさんから見ると「反抗」になるのです。

このV子ちゃんは小学生時代、何でも良く出来て性格も良い。
一度、私がVさん宅へ行き、その帰りに帰宅してきたV子ちゃんと会った。
普通なら小学6年生の子は「こんにちは。」で終わり。
でも、V子ちゃんは私が訪問してきたことを気遣い、
いろいろと話かけてくるのです。

どう、思います?

大変良く出来たお子さんだわ・・って思いますか?

変。(2005年10月6日)


私は自分の親に会いに来た大人に対して、あれこれと世間話みたいなことをする子供は
ハッキリ言って「変」だと思いますよ。
過剰に適応しちゃってるな・・・と、内心(ありゃりゃ)と、思いました。
私が親だったら、こんな気持ちの悪いコトをしたら心配しますね。

子供は大人じゃないんだから、大人と同じコトなんかしなくていい・・・っていうか、
しないのが当たり前で正常じゃないでしょうかね?
子供は子供らしくあればいいんじゃないでしょうかね?

「V子ちゃんは普通よりも大人なんじゃないのぉ?」
と、いう意見もあるかもしれないけれど、
大人っぽい子供か、小さな大人になっちゃってる子供かの違いはわかります。
いくら子供が大人っぽくても、「親とイコール」なことはしないでしょう。
つまり、大人っぽい小学生なら中学生に見えるとか、高校生に見えるとか、
老けて見えるとかだけど、
V子ちゃんの場合はそうではないのです。
「子供のくせに大人を演じている」のでした。

V子ちゃんは小さい頃から殆ど毎日学習塾と、レッスン(ピアノ・書道・水泳など)に通い、
成績も良く、何でも良く出来ていました。
遊びもちゃんとやってました。
本当にどこから見ても「良い子」「優秀な子」だったのです。

でも、私はそういう表面上のことには何の価値も置かない人。
私が一番価値を置くのはその子の人間性というか、
性格・・・物事の受け取り方・明るさ・子供らしさなどです。
なので、V子ちゃんのように「小さな大人」のような子供は
私に言わせると「変」だし、「子供失格」なのです。

「次郎物語」という小説がある。
太郎・次郎・三郎のうちで次男の次郎だけが、よそで育てられます。
母親が身体が弱かったせいなのですが、次郎だけが或る程度まで育ってから
実家に帰ってきた。
なので次郎だけが母親に甘えることができない。
母親も次郎を他の子のように可愛がることが出きない。
それがテーマ。
或る日、次郎が親に気に入られようと思ってあることをします。
でも、それを同居している祖父に見破られ「とても嫌な顔」をされるのです。
次郎は祖父が嫌な顔をしてるのがわかります。
それでますます「自分はどうやったらいいのか、わからなくなり」「悩む」
いつもギクシャクしている次郎・・・・という話。
母もそういう次郎をどう、育てていいかわからずに、困る。
が、最後に母が悟るのでした。
そしてやっと母と次郎は本当の親子になったのでした。
この話も「親がわからない人だと、子供が困る(グレル)」という話でした。

母親のVさんの日ごろの言動と合わせて(これは将来、必ずおかしなコトになる)
と、思ったのです。

<進歩>(2005年10月11日)


そんな良い子のV子ちゃんはその後引越していき、勉強が出来たので良い高校に入り、
その途端、親に異常に反抗する「悪い子」になりました。
でも、これはやっとV子ちゃんが自分の生きたいように生きるようになった証拠では?と、思うのです。
V子ちゃんが良い高校に入れそうな時自慢そうにしていたVさんが、その1年後に泣いていたのでした。

その様子を一部始終見ていたQさん。
一番初めにあった時、QさんはVさんとは「同類」でした。
QさんにVさんのおかしさ、わからなさが「わからなかった」、
でも、Vさんが引っ越して数年経ち(高校受験)、さらに数年経ち(高校生)、さらに数年経って
V子ちゃんの大学受験の際の話です。

V子ちゃんはこれと言って行きたい学部があるわけではない。
いろんな大学のいろんな学部のいろんな学科を受験して、
そのどれも受かったそうです。
そのことをQさんは「おかしい」と評価していました。

行きたい大学学部学科がない。
やりたいことが決まってない。
いったい何?
という感じですね。

これもおかしいのと、V子ちゃん本人が本当は史学をやりたいのに、
両親が「それでは就職に不利だから」と、他の学部にするよう、説得したそうです。
これもおかしいと、Qさんは言います。

QさんはVさんとは「同類」だったのに、いつの間にか超えてしまったのでした。
それでいろいろと見えて来たのです。

そのVさんとまた数年経って会いましたが、あい変わらずでした。
数年経っても同じままの人と、着実に進歩(物事がわかるようになる)した人との
違いがハッキリしていました。

人間はその気になれば変われる(進歩できる)のです。
その気にならない限り、一歩も進みませんが。

以上で、Vさんのケースを終わります。


<手放す>(2005年10月20日)


いったん終わりにしましたが追加しますね。

Vさんは引っ越してしまったので縁が切れました。
たまに会うたびに(ああ、まだわかってないな)とは思います。
でも、もう、関係がないのです。

「観察」→「教育」→「放棄」という関係に変化しました。
放棄という表現が嫌なら、
「無関係」「無関心」でもいいです。

私は言うだけのことは言いました。
まだ言いたいことの1/10も言ってないけど、仕方ないですね。
相手に聞く気が殆どないのと、物理的に不可能になったからです。
物理的に離れていても、インターネットで会話できますが、Vさんはネットをしません。

いつかVさんは私が言った言葉の意味がわかるかもしれないし、わからないかもしれない。
それはVさんの心にかかっているので、こちらとしてはやりようがありません。
それで、私はVさんを祝福して
「手放す」ことにしたのです。

私にはこういうことが多々あります。
友情よりも人情よりも、自分の気持ちを優先しているのです。
自分の気持ちというのは「妥協してまで、我慢してまで人と付き合いたくない」ということ。
何に妥協できないかというと、どんな良い人でもわからずやとは付き合いたくない。
お互いに消耗するだけだから。

と言っても私はVさんを嫌いじゃないんです。
Vさんはいい人なんですよ!
ただ、手放しただけで、特別な感情がないだけなんです。